第五章 ノース・テラスからセントラル・コアへ
【ノース・テラス】
フォスターは、一週間ほど毎日のようにノース・テラスの様子を見てまわった。
聞いたこともない作家の本ばかり置いている書店、八割ほどつくられた作品を客に完成させる工房、微妙にフラットした音程で歌う歌手。
書き上げた本の何箇所かをわざと貼り合わせ、読めない部分をつくって売る作家、目隠しをして客の指示を受けながら描く画家。
何人かはフォスターの考えを聞きたがったが、エイドリアンにしたように曖昧に答えた。
【BAR ノード】
ノース・テラスを歩き回った一週間が終わった。
その夜、フォスターはひとりでBAR ノードのカウンターに座っていた。
店内には数人の客がいるだけだった。照明は落とされ、棚に並んだボトルが淡い光を受けている。奥では、緩やかなジャズが流れていた。
マスターがウイスキーを注ぎ、フォスターの前に置いた。
フォスターはグラスを手に取り、少しだけ口に含んだ。
「ひとりですか?」
声がして、フォスターは顔を上げた。
隣に男が立っていた。
三十代半ばくらいだろうか。短く整えた髪に、柔らかな表情をしている。服装も派手ではないが、清潔感があった。
「ここ、いいですか?」
フォスターは軽く頷いた。
男は笑って腰を下ろした。
マスターが近づいてくる。
「何にしましょう?」
「同じものを」
男はフォスターのグラスを見て言った。
マスターがウイスキーを用意する。
男はグラスを受け取ると、フォスターに向き直った。
「エリオット・マーサーっていいます」
「リアム・フォスターだ」
「やっぱりそうなんだ。そう思って声をかけさせていただきました」 エリオットはうれしそうに言った。
フォスターは少し笑ってウイスキーを一口飲んだ。
「ここ、よく来るんですか?」
「ちょくちょくな」
「いい店ですよね。こういうところ、好きなんですよ。ところでフォスターさん、このエリアに来てどれくらいです?」
「一週間くらいかな……」
「じゃあ、まだ来たばかりだ。私はもう半年になります。前のエリアでは会計士をしてたんです」
「よく、しゃべるんだな。いつもそうなのか?」
「すみません。フォスターさんに会えて、ついうれしくて」
「別に気を悪くしたわけじゃない。少し驚いただけだ」
「それなら、よかった。これでも前のエリアでは幸せな家庭を築いていたんですよ。あの、話してていいですか?」
「ああ、構わないさ」フォスターはウイスキーを飲み干し、マスターにもう一杯頼んだ。
「毎朝早くジョギングをしたあと、私は張り切って妻と息子の朝食をつくりました。年二回の旅行、妻と息子の誕生日には必ず気の利いたプレゼントを用意して、パーティーにはたくさんの人を招きました」
ここでエリオットはウイスキーを一気にあおった。
フォスターは新しく置かれたウイスキーのグラスを手に取りながら、エリオットに目を向けた。
「私のスケジュールは、仕事だけでなくプライベートまで隙間なく決まっていました。昨日と同じように今日を過ごし、今日と同じように明日を過ごす。
仕事先の連中も家族も、私がこれまでと同じように振る舞うと信じていました。私自身も、それが幸せなことだと思っていたんです」エリオットはそこで言葉を切った。
「でも……ある時から、それが少しずつ違って見えるようになった」
「ある時……」フォスターはウイスキーのグラスを持つ手を止めて静かに言葉を繋いだ。
「そうです」エリオットはグラスの中で揺れる琥珀色を見つめた。
「ある朝、いつものように目を覚まして、いつものようにジョギングをして、いつものように朝食をつくった。
その時、ふと思ったんです。私は今、自分でこれを選んでいるんだろうか、と」エリオットはゆっくりと顔を上げた。
「考えてみれば、何もかもが決まっていた。何時に起きるか。何を食べるか。誰と会うか。家族に何をしてやれるか。休日をどう過ごすか……私は、それをひとつひとつ自分で選んでいるつもりでした。でも、違ったんです」
「……」
「選んでいたんじゃない。選ぶべきことを、ただ繰り返していただけだった」エリオットはそこで小さく息を吐いた。
「私には、自由な選択というものが許されていなかったんです。いや……許されていないことにさえ、気づいていなかった」
グラスを握る指に、わずかに力が入った。
「私は延々と幸せを演出するオペレーターだった。妻や息子を幸せにしているつもりで、本当は『幸せな家族』というものを毎日演じ続けていただけだったんです」エリオットは苦笑した。
「自分はピエロだったんじゃないか……そう考えたことさえあります」
「家族は、あんたに感謝してたんだろう?」
「もちろん、それは感じていました。でも、一度そう考えてしまうと、何もかもが窮屈に思えてきたんです。そこから逃げ出したくなった。そんな時に、このエリア98のことを知って、人生をやり直すことにしたんです」
「家族は、びっくりしたんじゃないかい?」
「ええ。ですが、そこからがまた滑稽な話でして……」
エリオットはグラスに口をつけ、静かにウイスキーを飲んだ。
「私はエリア98への移住を妻に告げたんです。すると、妻は突然、自分の浮気が私に知られたのだと思い、泣きながら謝り始めました。
妻は大学で臨時講師をしているのですが、学生との不倫生活を一年以上前から続けていたんです」エリオットは肩をすくめた。
「息子も同じでした。知人から多額の借金をしていて、よからぬ仕事に手を出していたことを、私が聞いてもいないのにベラベラと話し始めた」
「よからぬ仕事?」
「詳しくは聞きませんでした。ただ、人を騙して金を稼ぐような仕事だったようです。二人とも、心を入れ替えるからエリア98には行かないでくれと、泣き叫びながら私を引き止めました」
「それで?」
「今まで張り詰めていたものが、心の中でしぼんでいくのを感じました。私の気持ちは、家族という虚像からすっかり離れてしまったんです」
「……」
「私は妻と息子を残し、ここへやってきました。でも、それは私にとっても、妻や息子にとっても、それぞれの人生を始めるきっかけになったんです。
妻は学生とは別れて講師もやめましたが、今は出版社で編集に関わる仕事をしているようですし、息子は家庭用のネオイド(人型人工機械)の整備士の資格の勉強を始めたようです」
「あんたはここで何をしてるんだい?」
「パーソナル・モビリティの整備士をしています。バッテリーの交換、駆動モーターの調整、センサーの校正。それに車体の傷や歪みを直す仕事です」
「やり甲斐があるようだな」
「数字を扱うより、部品をいじってるほうが楽しいことに気づいたんです。汚れた手を見て何か仕事している、生きているんだなんて嬉しく感じました」
「そいつはよくわかるよ」
「毎日が充実しています」
「付き合っている女はいるのか?」
「はい。愛車を整備にちょくちょく持ってくる女性がいまして、私のことを気に入ってくれまして……」
「結婚するのかい?」
「ご存じなかったんですか? エリア98では結婚も、家族を持つことも認められていないんですよ。恋愛は自由ですが」
「そうだったのか……このエリアらしい考えだな」
「はい。ですから私たちはお互いを尊重し合えるパートナーとしてやっていければと考えています」
エリオットはそのあとフォスターをじっと見て言った。
「フォスターさんはどうなんですか?このまま死刑判決を受け入れるつもりですか?記事を読みましたが、どう考えてもあり得ない判決ですよ」
「……」
「今現在、死刑制度を行っているエリアはひとつもないんですよ。犯罪が日常的なエリア13でさえ終身刑止まりだ。あれはマレー博士に狂信的な一部の学者や若者たちが世論を誘導して起こしたヒステリックな裁判ですよ」エリオットは少し興奮気味にまくし立てた。
「ヒステリックか……」フォスターは笑みを浮かべながらウイスキーをあおった。
「すみません。こんなこと言うつもりは……私の話を聞いてくれるあなたを見ていて、つい怒りがわいてきて……」エリオットは感情的になってしまったことが恥ずかしくなったのか、声を落として続けた。
「あなたが控訴すれば、死刑判決が覆るのは間違いない。これはどの有識者も言ってました。あなたはソクラテスじゃないんだ。戦うべきです」
「そろそろ帰るよ」
フォスターは最後のウイスキーを飲み干し、立ち上がった。
エリオットは不安そうにフォスターを見つめた。
「確かにオレはソクラテスなんかじゃない」
フォスターはそう言って、エリオットを見た。
「オレはれっきとした殺人犯さ」
【セントラル・コア】
それからフォスターは、しばらくの間セントラル・コア(中央区域)を歩き回った。
ノース・テラスとは、ずいぶんと雰囲気が違っていた。
エリア98の行政機関が集まる一帯には、低層の建物と高層のオフィス棟が整然と並んでいた。
道路を行き交うパーソナル・モビリティは多く、歩道にも人の姿が絶えない。それでも騒々しさはなく、信号や案内表示、交通の流れまで、すべてがうまく調整されているように見えた。
市場では、生鮮食品から加工食品まで、ありとあらゆるものが並んでいた。
大型モールには衣料品店や書店、家電店、飲食店などが入り、休日になると大勢の人で賑わっていた。必要なものは、ほとんどここだけで手に入るらしい。
昼になる前にフォスターはセントラル・コアの大通りから一本入った通りにあるホットドッグ屋へ向かった。
ここのところ毎日のように通っている。昼時は行政機関や商業施設で働く人間で混み合うため、フォスターは少し早めに来るようになっていた。
小さな店だった。
間口は三メートルほどしかなく、通りに面したカウンターの向こうに、鉄板と小さな調理台が並んでいる。壁にはホットドッグと飲み物のメニューが簡素な文字で表示されていた。店内に椅子はなく、カウンターの前に数人が立って食べられるだけだ。
昼時になると、行政機関や商業施設で働く人間が次々とやって来る。
焼けたソーセージの香ばしい匂いと、炒めたタマネギの甘い匂いが通りまで漂っていた。
「オヤジさん、いつものやつ、それと黒ビール」フォスターが注文を告げると、五十代半ばぐらいの腹の出た男が振り返る。
「あんたか、うちはいつものやつはないよ!」
髪には白いものが混じり口ひげを生やした店主が笑って言った。
「だから、あんたが出すいつものやつさ」
「そうだったな。よし!今日は少しピリッとしたのをつくってやるよ」店主は袖を少し捲り上げ奥へと向かった。
このホットドッグ屋は客の注文を聞かない。店主がその日来た客の顔を見て勝手につくって出してくる。その日によって具材や味加減が微妙に違うので飽きないのだ。
ノードのマスターにここを教えてもらってから毎日のように通っている。
「はい、お待ち!」店主が紙皿にのせたホットドッグと黒ビールの小瓶をフォスターの前に置いた。
フォスターは黒ビールの瓶を手に取り、そのまま一口飲んだ。
ホットドッグにかぶりつくと、パリッとしたソーセージの皮が弾けた。確かに昨日食べたのよりピリッとしている。
「前から不思議だったんだが、オレはいつもどうやって店に対価を払ってるんだ?」
「あんた、ニューロ・リミッターを組み込まれたんだろ?そいつに相当なLVI(生活価値指数)が入ってるんじゃないかな」
「そうなのか……」
「あんたが毎日来てくれるおかげで商売繁盛さ。お礼を言わんとな」店主は小声でささやいた。
「どういうことだ?」フォスターは黒ビールを飲んで言った。
「みんなが、あんたのことを聞きに来るのさ」
「オレのことを?」
「ああ。あんたは知らんだろうが、あんたがここへ来ることが決まった時、ローウェルエリア長からのお達しってやつがあったのよ」
「お達し?」
「ああ。リアム・フォスターを見かけてもむやみに声をかけたり刺激したりしないようにとな」
「……」
「ここのメディアや雑誌関係のやつらも、あんたに近づいて来ないだろ?ローウェル様が目を光らせてるからさ」
「話しかけてきたやつもいたが……」
「そりゃ、よっぽど無神経なやつか他の何かだな」
「他の何か?」フォスターは店主の顔をじっと見た。
「まあ、無関心なフリをしていてもあんたに興味がある人間も結構いるってこった。みんなオレにあんたがどんなことを話していたか聞きたがるのさ」
「そうなのか……」
「大した話もしてないし、気にすることじゃないけどな」
「オヤジさんは、ずっとこの商売をやってたのかい?」
「……昔はいろいろとやっていたな。占い師を騙ったり人探し、宝探し、何でもやってたな。ホットドッグ屋は不似合いか?」
「いや、ホットドッグ屋にしては優秀すぎると思っただけさ」
フォスターは店主の顔を見ながら、黒ビールを飲み干した。




