9「英雄、死闘に身を投じる」
五日目の朝、エルはけたたましい鐘の音で飛び起きた。
「ルキ!」
起こすまでもなく、ルキは目を覚ましていた。
「俺は今から出る。ルキはここでじっとしてろ」
「エル、どこ行くの?」
ルキがぐずりながら、エルに抱き着いてくる。
「戦闘だ。これは敵襲を知らせる警鐘だ」
エルはルキを振り払い、素早く着替える。この音は、否応なく胸をざわめかせる。邪竜王を倒すまでは、毎日のように聞いていた音。不吉な音。死を運ぶ音。
「ルキも行く!」
ルキがエルの脚にまとわりついてきた。
「駄目だ。ワガママを言うな」
「エル、エルぅっ」
「寮棟からは出るな。絶対だぞ」
ルキがべそをかく。
「エル、死なない? エル、戻ってくる?」
エルはしゃがみ込み、ルキと視線の高さを合わせながら、ルキの頭をなでた。
「大丈夫だ、大丈夫」
気が急いていた。ルキを十分に安心させられたかどうかは、分からなかった。だが、ゆっくりと確かめている暇などなかった。
エルはマスケットを背負って、部屋を飛び出した。
◆ ◇ ◆ ◇
朝日が差し込むマグダラ協会の滑走路に、歴戦のつわものたちと、その愛竜たちが整列する。
「キュクロプスどもの襲撃よ」
若き副会長にして女竜騎兵のマリアが、声を張り上げた。
「数は、確認できただけでも五十。けっして油断できる数ではないわ。けれど」
マリアがニヤリと微笑む。まさしく女傑と呼ぶにふさわしい、力強い笑みだ。
「邪竜王と竜の軍勢に比べたら、屁でもないわ。我らマグダラ協会の力を、愚鈍な巨人どもに見せつけてやるわよ!」
――うおぉおおおおおおおおおおおっ!
勝鬨を上げた竜騎兵たちが自身の愛竜にまたがり、次々と空へ上がっていく。
エルとリヴィも空に上がった。
エル騎の右斜め後ろに、マリアと彼女の愛竜が就いた。今回の戦闘では、マリア騎がエル騎の『僚騎』になるのだ。
空の上では、竜騎兵たちは基本的にツーマンセルで戦う。
とはいえ、マリアには指揮官としての役目があるし、エルとリヴィの高速機動について来れる竜はそうそういない。
だから、このバディは便宜上のものにすぎない。
◆ ◇ ◆ ◇
ルキはベッドの上で震えていた。
震えながらも、情報収集に努めていた。
窓とドアを開き、周囲の喧騒に耳を傾けているだけでも、おおよその事情は把握できた。ルキは、耳がよいのだ。
(敵襲。敵はガラリア山脈の北向こうにいる一つ目の巨人・キュクロプス。数は最低でも五十。戦場はカペナウムの村――私がエルに拾ってもらった場所)
キュクロプスは魔術適正が低く、竜から見れば弱い種族だ。
だが、奴らは武器を使う。奴らが鍛えた鉄製の弩級は、竜の翼にも届きえるだろう……乳母から学んだ知識と、実際に何度か接敵した経験からそう考えると、ルキはいてもたってもいられなくなった。
キュクロプスが放った巨大な矢に翼を貫かれ、落下するリヴィ。地面に投げ出され、キュクロプスに踏みつぶされるエル――。
それは単なる妄想か、それとも母が持っていた『過去・現在・未来を見通す力』の発露か。記憶の中の母の死体が、想像の中のエルのそれと重なった。
「い、嫌ぁっ……」
ルキはたまらず、部屋から飛び出した。
「おい、嬢ちゃん、危ないから部屋に――」
「きゃっ、エルさんのところの娘さん? どこへ――」
マグダラ協会の職員たちが声をかけてくれるが、ルキには答えるだけの余裕がない。
(エル、エル、エル……っ! 死んじゃやだ。絶対にやだ!)
あの日、
エルに拾ってもらえたあの日、
ルキは生きているのが不思議なほどの追い詰められようだった。
水も薪も尽き、ウサギやシカを狩るだけの体力も残っておらず、そこに畳みかけてきたのが、あの一つ目の巨人たちだった。
いよいよ母と乳母の元へ行くしかないのか、と幼いながらも漠然とした覚悟と恐怖に震えていたそのとき、彼の声がしたのだ。共にいる竜に水と食料を与え、優しげに語りかける彼の声が。
彼は警戒している様子だったが、イチかバチか、ルキは姿を現した。すると彼は驚いたことに、ありったけの水と食料を分け与えてくれたのだ。
しかも、ルキを連れて暖かな屋根の下に招き入れてくれ、お湯と、食事と、清潔な寝床をくれた。
ルキは、一生分の幸運を使い果たしたのだと思っている。
だからこそ、この幸運を失うわけには――エルを失うわけにはいかないのだ。
「ガブリエル!」
ルキは竜の厩舎に駆け込んだ。入口に近いほう、喧騒を好む子たちが集められた区画に、人間たちに『反抗期』と判断されて置いて行かれた少年が座り込んでいた。
「ガブリエル」
ルキは少年竜の部屋に転がり込む。
「エルが大変なのっ。お願い、助けて!」
――グゥルルルァッ!
幼きレッドドラゴン・ガブリエルが、王の前にひざまずく重臣のように、うやうやしく頭を垂れた。
ルキは、その首元に飛び乗り、しがみついた。
座り心地は、恐ろしいほど不安定だった。
だが、仕方がない。悠長に鐙を着せている時間など、ないのだから。




