8「英雄、子供を教育する」
その日の晩、副協会長の執務室にて。
「頼むっ。このとーりっ」
ルキを寝かしつけたあと、エルはマリアに頭を下げていた。
「俺をルキの同行可能な仕事に割り振ってくれ」
寝起きのルキが錯乱したと聞いて、どうしようもなく不安になってしまったのだ。
「アンタねぇ」
マリアがため息をつく。
「一週間でいいんだ。ルキは環境に適応するのが早いから、一週間もすれば、俺が四六時中そばにいなくても平気になるはずだ」
「過保護って言葉、知ってる? 見たところ、あの子は五、六歳。赤ん坊じゃないのよ」
「でも、あいつは多分、親を亡くして間もない。今が一番不安な時期のはずだ」
「連日、キュクロプスの小部隊が威力偵察に現れているのよ。若手竜騎兵たちはみんな、不安がってる。英雄のアンタがいるといないとでは、士気に大きな差が出るのよ」
「ルキだって不安なんだ」
「……はぁ~。分かったわよ。一週間だけだからね」
「ありがとうっ」
感極まって、エルはマリアの手を握る。
「ありがとうマリア! 俺の天使、聖母様!」
「もう……こんなときばかり、調子いいんだから」
マリアが顔を真っ赤にさせて、そっぽを向いた。
◆ ◇ ◆ ◇
翌日、日中。エルとルキはダヴィド上空にいた。
「たっかぁ~い!」
ルキがエルの腕の中ではしゃいでいる。
「ルキ、こんな高いの、初めて!」
陽の光が温かで心地よい。
ルキはエルの胴体にベルトでぐるぐる巻きにされており、万が一にも落ちないようにと細心の注意が払われている。
(もっと怖がるかと思っていたが)
ルキの小さな体を抱きしめながら、エルは意外に思っていた。
ここは、高度二百キュビト(九〇メートル)は下らない空の上だ。落ちればもちろん、死ぬ。子供はもちろん、大の大人ですら怖気づくような高さなのだ。
(子供特有の怖いもの知らず? 考えてもみれば、こいつは北の山脈でたった一人、数ヵ月も生き抜いた戦士なんだ。強い心の持ち主なのかもな)
今日の任務は荷物や手紙の輸送。落下以外の危険がない、極めて安全な任務だ。しかも、輸送範囲はダヴィドとその周辺地域のみ。
明らかに、
『ルキにダヴィドの地理を覚えさせよう』
というマリアの心遣いを感じる。
「ルキ、落ちないように気をつけながら、下の景色をしっかり目に焼き付けておけ」
「焼きつけ……? お肉?」
「あー、えっと。街を、覚えろ」
「! うんっ。ルキ、覚える!」
「竜に乗ることができて、しかもダヴィドの地理を知っていれば、食うには困らないからな」
「メシ⁉」
「飯の種――稼ぎに困らないって意味だ」
「かせぎ……?」
「金だ」
「お金!」
(稼ぎは通じないのに、金は分かるのか)
ダヴィドを含む周辺都市国家群では、通貨が流通している。が、田舎村では物々交換が主流だ。
ますます、ルキの出自に対する謎が深まる。だが、どんな出自であれ、ルキがエルの大切な娘であることに変わりはない。
エルが頭をなでると、ルキが全幅の信頼を置いた無防備さで、エルの胸に背中を預けてきた。
◆ ◇ ◆ ◇
そんなふうにして、エルは平和のうちに数日を過ごした。
昼には空の上でルキにダヴィドの地理や竜の操り方を教え、夜にはルキに言葉を教えた。
ルキの吸収力といったら凄まじく、カタコトでなら日常会話が可能なほどになっていた。
だが、平和は四日しか続かなかった。




