3「英雄、子供を寝付かせる」
「【温かな風・竜の吐息・ウールウィンド】」
竜言語魔術をまとわせた右手から、温風が出てきた。エルはルキを自室に入れて、彼女の長い髪を乾かしている。
長い間溜め込んだらしい汚れと脂質を洗い落とすのには骨が折れたが、努力の甲斐あってか、今やルキの髪は魔導ランタンの灯りを受けてキラキラと光り輝いている。
エルは彼女の髪を茶色だと思っていたが、実際は金色だった。この、黄金のような色こそが、彼女の本来の髪色なのだ。
エルの部屋は、縦八キュビト(三六〇センチ)、横六キュビト(二七〇センチ)の、寮住まいとしてはわりあい大きな部屋で、しかも一人部屋だ。
若手のくせにこれほどの待遇を受けているのは、英雄特権である。
ベッドにクローゼット、テーブル、そして椅子。壁にはマスケットと銃剣が立てかけられている。
それ以外には、何もない。いや、テーブルの上には、マリアから先ほどもらったばかりの手鏡が置いてある。
「女の子には必要でしょ」
とのことだ。
ルキには、ひとまずエルのシャツをワンピース風に着せることにした。手首を何重にもまくり上げないといけないが、仕方ない。
「明日は非番だから、服と靴を買いに行こうな」
話しかけると、ルキが首を傾げた。
「そうだな」
エルは笑う。
「最優先は言葉だな。貸本屋に絵本がないか探してみよう」
つられたルキが、ニコッと微笑んだ。
「!」
エルは衝撃を受ける。
(か、可愛いな。娘がいたら、こんな感じなんだろうか)
――ぐぅ~~~~
ルキの笑顔が凍りつき、それから真っ赤に染まった。ルキの腹の虫が部屋中に響き渡ったからだ。
「そうだな。飯食いにいくか」
「!」
ルキが目を輝かせた。日中、エルが食料のことを飯と呼んでいたのを覚えたらしい。
(頭のいい子だ)
エルは立ち上がり、腕を広げる。
「ほら、おいで」
ルキが躊躇なく飛び込んできた。
エルはルキを抱き上げ、部屋を出る。靴がなくては、自由に歩かせることもままならない。
マグダラ協会ダヴィド本部は、大きい。
百匹余りの竜と百数十人近くのドラゴンライダー、そしてそれらを支える数百人の従業員が詰めており、その十分の一ほどが寮棟に住んでいる。
寮棟には大浴場といくつかの浴室、そして厨房と大食堂がある。
――くんくんっ
ルキが鼻を鳴らして、目を輝かせた。
「メシ⁉」
「そう、メシだ。【糧】。メシ、ご飯、食事」
「しょくじっ」
(やっぱりこいつ、頭がいい)
――ガヤガヤっ
――ワイワイっ
――やいのやいのっ
大食堂への扉を開くと、喧騒がエルとルキに襲いかかってきた。何十人もの男たちが、騒々しく飯を食ったり酒を飲んだりだべったりしている。
ルキはエルにしがみついたまま、固まってしまった。驚いているらしい。
「ウワサをすれば、だ」
ベテラン竜騎兵の男が、ベロンベロンになりながら話しかけてきた。
「エル、エル坊、お前、ガキ拾ったんだって?」
「エル坊はやめてくれよ、先輩。おい、酒臭い息をルキに吐きかけるなっ」
「邪竜王を倒したと思ったら、今度はガキ拾ってくるたぁな。エル坊はネタに事欠かねぇな」
「うっせ」
などとあしらいながら、エルはどしどしと進んでいく。飯を受け取るためには、大食堂の最奥、窓口へ向かわなければならないからだ。
「そいつがウワサのお嬢さんか」
「嬢ちゃん、竜言語が使えるんだって?」
「あの女嫌いのリヴィが大人しく乗せてくれたってマジかよ。将来有望だなっ」
「目指せ、女竜騎兵」
「一緒に飛べる日が待ち遠しいぜ」
むさ苦しい男どもが次々と話しかけてきては、ルキの頭をなでたり、肩や背中をぽんぽんと叩いていく。
「ぴゃぁ~~~~っ⁉」
ルキはすっかりおびえてしまい、悲鳴を上げながらエルの胸に顔を隠す。
「こらっ、てめぇら! ルキがびっくりするだろうが。あっち行け、しっしっ」
「あのクソガキがパパとはな。時が経つのは早いもんだぜ」
男どもが次々と言葉を投げかけてくるが、どれもこれも温かな内容ばかりだ。
間違いなく、マリアが事前にウワサを流し、ルキに対して好意的な空気を醸成しておいてくれたのだろう。
孤児なんて、冷たくあしらわれるだろう……そう覚悟していただけに、これはエルにとってうれしい誤算だった。
ようやく窓口にたどり着き、エルは二人分の食事を受け取る。コックいわく、
「胃がびっくりするといけないから」
と、ルキの分はパンとヤギミルクの粥だった。
「はふっはふっ」
よほど空腹だったらしく、ルキが無我夢中で食べる。
(育ちもいいみたいだな)
てっきり手づかみをしたり皿をなめるものと思っていたが、意外にもルキはお行儀よくスプーンを使って食べた。
(竜言語、仕立てのいい服、テーブルマナー……ますます謎だ。ルキはいったい、何者なんだ?)
ルキがすぐに食べ終わってしまった。
「まだ食えるか? 俺のステーキをやろう。ほら、こっちのふかし芋も――」
「こらこらっ」
マリアが現れ、エルの頭を叩いた。
「胃がびっくりするって言ってるでしょうが。せっかく私からコックに消化がいいものを頼んであげたのに。肉なんて食べさせたら吐いちゃったり、最悪死んじゃうかもしれないんだからね」
「えっ、そうなのか? 俺はどんだけ腹減ってるときでも、肉食ったら元気になったもんだけどな」
「アンタの野生の胃袋と一緒にするんじゃないわよ。この子は女の子なんだから」
「でも、それだと腹が減るだろ。空腹は駄目だ」
元孤児のエルにとって、空腹ほど忌むべきものはない。あの苦しみをルキに負わせたくはなかった。
幸い、今の自分には、ルキに腹いっぱい食わせてやれるだけの稼ぎがある。
「お夜食を作ってもらうから。寝る前に受け取りにいらっしゃい。歯磨きはちゃんとさせるのよ」
「ぷぷっ、マリアこそママだな。人のこと言えねぇじゃねぇか」
「私がママで、サリエルがパパ⁉ もうっ、サリエルったら。そういう話は二人きりのときに――」
「ルキ、まだちょっとお腹が空いてるだろうが、我慢するんだぞ。寝る前におやつをもらえるからな」
エルのステーキを熱心に見つめていたルキが、エルを見上げて首を傾げた。
◆ ◇ ◆ ◇
コックが用意してくれたすりおろしリンゴは、ルキがペロリと平らげた。
ルキのとろけそうな笑顔を見て、エルも笑顔になった。
驚くべきことに、ルキは歯磨きのやり方を知っていた。
こいつはもしかすると、中流どころか上流階級のお嬢様なのかもしれない……エルはそう考えながら、えらいえらいとルキの頭をなでてやった。
エルに褒められて、ルキはうれしそうだった。
夜、エルは自分のベッドの半分をルキに与えた。エルの大きな枕はルキには高さが合わなかったので、エルは腕枕をしてやった。
「※※※※※、エル。くぅ……」
お休み、に類する言葉であろう竜言語のあと、ルキはすぐに眠りについた。
(疲れてたんだろうな。無理もねぇ。急に環境が激変したんだから)
エルはルキの頭をなでる。
不思議な感じだった。
(俺が、親か。ルキは、俺の娘。娘……俺の……)
◆ ◇ ◆ ◇
真夜中、エルは泣きそうな顔のルキにぺちぺちと頬を叩かれて目覚めた。
ルキが『飯』の次に覚えた単語は、『トイレ』だった。




