2「英雄、子供を風呂に入れる」
「ちょっとサリエル、女を連れ込んだって本当⁉」
ドタバタと騒がしい女が、浴室に飛び込んできた。
その時、エルはルキの頭を洗っていた。
「ひゃあっ⁉」
ルキが飛び上がるほど驚いた。石鹸が目に入ってしまったらしく、悶絶している。
「あぁあぁ、大丈夫か、ルキ」
エルは大急ぎで桶に水を汲み、
「ほら、これで目を洗うんだ」
「なぁになぁに」
女がいぶかしげに、ルキの顔をのぞき込む。
「まだほんの子供じゃないの。っていうか、幼女? サリエル、アナタってば私がいくらアピールしてもなびいてくれなかったのは、幼女趣味だったから?」
「その呼び方はやめてくれよ、マリア」
「綺麗な名前じゃない。天使の名よ」
エルは、この騒々しい女性が少しだけ苦手だ。いや、人生の恩人だということは重々承知しているのだが。
マリア・マグダラ。
二十一歳。
『マグダラ協会』の若き副協会長。
腰まで届くウェーブがかった茶髪に、自己主張の強い碧眼。
二重まぶたの目と、スラリと通った鼻筋で彩られた顔はとても美しいが、気の強さが祟って男っ気がない。
彼女の男装――竜にまたがるための真っ赤な乗馬ズボンが、モテなさに拍車をかけているのかもしれない。
「それでサリエル、この子、誰なの?」
「北の集落跡地で拾ったんだ」
「拾ったぁ⁉ アナタの優しいところは美徳だと思うけれど、そういう事情なら孤児院に連れて行くべきでしょ」
「空いてねぇよ」
「あー……うん、アナタは事情に詳しいものね。でも、だったらどうするつもりなの?」
「俺の部屋に住まわせてくれねぇか? 生活費は俺が出すから」
「アンタねぇ、協会内に私設孤児院でも作るつもり? 神に説法でしょうけど、善意で飯は食えないのよ」
「少しして慣れたら、下働きでもなんでもやらせるさ」
「こんなちびっこに何ができるっていうのよ」
「リヴィが、コイツを背中に乗せたんだ」
マリアが目の色を変えた。
「……へぇ?」
「こいつは竜と相性がいい。厩舎の掃除係から始めさせて、ゆくゆくは――」
「女ドラゴンライダー、ね」
竜に騎乗する者のことを、ドラゴンライダーと呼ぶ。
手紙を運ぶ者、
荷物を運ぶ者、
乗客を運ぶ者、
いずれもドラゴンライダーだ。
唯一、竜に乗って戦う者のことを竜騎兵と呼ぶ。
「それは確かに魅力的ね。竜言語適正に男女差はないのに、『竜に乗るのは男の仕事』って先入観のせいで、我が協会でも女ライダーは私を含め四人しかいないもの。先入観が完全に消え去れば、ライダー数は二倍になるわ」
マリアはマグダラ協会長の娘だ。
『マグダラ協会』は竜を育て、竜にまつわる様々な事業を司る、ダヴィドおよび周辺地域最大の組織である。
防衛、狩猟、輸送、通信、交易。空を駆けることができる竜は、戦闘面でも産業面でも抜群の性能を発揮する。
戦場では強力無比な索敵能力を発揮し、かつ見つけた敵を高所から一方的に叩くことができる。
交易の世界においても、竜に勝る輸送速度を有する生物は他に存在しない。あまりに早く便利なので、通信産業――手紙の世界でも、マグダラ協会は地域一帯の雄として君臨している。
それらのあらゆる優位性の根幹にあるのが、竜の飼育技術だ。
マグダラ協会は竜と相性のよい人間を集め、竜言語を学ばせ、竜を卵から育てさせて家族のように懐かせるためのノウハウを蓄積しているのだ。
「それに、こいつは竜言語が使えるんだ」
「ええっ、それはすごいわね⁉」
「というか、竜言語しか使えねぇ。人間語が話せないんだ」
「それは、教育が大変そうね……」
マリアが頭を抱える。
「なぁ、頼むよマリア。こいつの命も拾ってやっちゃくれねぇか? 俺の命を拾ってくれたようにさ」
エルは深々と頭を下げた。
マリアはエルの人生の恩人である。
六年前、エルが戦災孤児の王としてダヴィドのスラム街に君臨し、ゴミ漁り・スリ・窃盗など悪逆非道の限りを尽くしていたころの話だ。
当時のエルは生きるのに必死で、
『殺しだけはしない』
という誓いは立てていたものの、はっきり言って生きる価値のないクズだった。
エルは治安維持事業の一環でスラム街に突入してきたマグダラ協会の小隊長――当時十五歳だったマリアに検挙された。
エルはあわや処刑される寸前に、彼が使える片言の竜言語を見込んだマリアに引き取ってもらえたのだ。
一年の下積みを経たエルは十二の時に卵――リヴィを任され、リヴィとともに成長し、邪竜王を倒すまでになった。
「あー、もう。救国の英雄様に頭まで下げられたんじゃ、断れないじゃない」
「ってことは!」
「ちゃんとアンタが面倒見るのよ?」
「分かった! ありがとう、マリア! やったな、ルキ」
「……?」
当の幼女は、金色の瞳をパチクリとさせていた。
「っていうか、曲がりなりにもレディなんだから、男のアンタがお風呂に入れてんじゃないわよ。受付の子とか下働きの子とか、いくらでもいるでしょうに」
「仕方ないだろ。こいつが俺の裾から手を放してくれなかったんだから」
「へぇ~。ずいぶんな懐かれようねぇ、パ・パ」
「パパ?」
エルは目をパチクリとさせた。
「俺がパパ……親、か」




