12「英雄と娘、通じ合う」
(これからどうしよう……)
衝動的に家を飛び出してしまい、ルキは途方に暮れていた。
ルキは手頃な岩を見つけて、その上に座る。
(この感じ、懐かしい)
孤独と焦燥感。明日はおろか、今日を生き抜けるかどうかも分からない不安定さ。
――グルルァッ
ルキの不安を見抜いたのか、ガブリエルがルキの背中に鼻先を当ててきた。ルキは、困る。
「ガブリエル、帰って。アナタは帰るの」
――キュゥウン……
主人に拒絶されたガブリエルが、ぐずるように鳴いた。
ルキは辛抱強く、竜言語でガブリエルに語りかける。
「私と一緒にいたら、アナタまで疎まれてしまう。私とアナタは同じ竜だけど、私とアナタは違うの。アナタはダヴィドの竜。でも私は……邪竜王の娘だから」
――キュルルアッ
「行って! 行きなさい!」
風を打つ大きな音が、空の上から聴こえてきた。
ルキは空を見上げる。よくよく見知った赤い竜が、ゆっくりと降りてくるところだった。
「ルキ⁉」
背の高い男性が、リヴィから飛び降りてきた。
彼自身や、あの口の悪いマリアなどは『冴えない顔』と評するが、ルキから見れば、まるでキラキラと輝いているかのように格好いい顔。
凛々しく、包容力のある顔。
あの荒廃した村で初めて逢ったときからずっと、ルキの心をわしづかみにし続けている顔。
エルだ!
エルが来てくれたのだ!
あぁ、なんということだろう。エルに迷惑をかけまいと、二度と戻るまいと誓って家出をしてきたはずなのに、あっさりと見つかってしまった。
「ルキ!」
エルが両腕を広げた。
とたん、ルキは泣きたいほど安心してしまった。
「エルぅ! ……っ」
エルの胸に飛び込みそうになって、ルキは必死に踏みとどまった。胸の中に湧き上がった『うれしい』という激情に、ルキは死にたくなるほどの恥ずかしさを覚えた。
そう、『恥』だ。
自分は生きていてはいけない存在なのだ。生きているだけで人間社会に不安をまき散らし、エルの立場を悪くしてしまう存在なのだ。
この数日、ヨシュアたちと一緒に街を歩いてみて、今の自分の立場がいかに特殊なのかを思い知らされた。
家を持たず、
親を持たず、
親類の一人もおらず、
手に職もつけていない。
そんな自分は、極めて弱い立場なのだ。
そう、『立場』だ。人間は群れて暮らす動物で、立場というものをひどく大切にする。
今のルキには、立場というものがない。強いて言うなら『孤児』という立場だ。そのくせ身なりはよく、毎日いい物を食べさせてもらって、そのうえお小遣いまでもらっている。
全部ぜんぶ、エルがくれたものだ。生まれ持ったものでもなく、自分で勝ち得たものでもない。エルがくれたのだ。
今のルキにとって、エルこそが世界のすべてだった。ルキは、エルの恩に報いたい。せめて、エルの重荷になりたくない。ルキがそばにいると、エルは立場が悪くなってしまうのだ。
そう、『立場』だ。
ルキの本当の立場は、邪竜王シャイターンの一人娘・ルキフェル。『英雄サリー』が母を討ち取ったその時に、一緒に殺されるべきだった存在なのだ。
少なくとも、ヨシュアやダヴィド人の大多数にとっては、そうなのだ。そんな自分がエルのそばにいたら、エルは最悪、反逆者として処刑や追放の憂き目に遭うかもしれないのだ。
だから、身を切り裂かれるような思いで家出した。なのに……。
(うれしい……)
ルキは死にたくなる。
(エルが迎えに来てくれた! うれしいうれしいうれしい!)
と同時に、エルと一緒に生き続けたくなる。その願いが、エルを不幸にしてしまうとしても。
ルキが飛び込んでこないことを不思議に思っている様子のエルだったが、やがてエルのほうから抱きしめてくれた。
ルキは抵抗しようとしたが、できなかった。それどころか、エルの体にがっしりと抱きつき、わんわんと大泣きしてしまった。
「ルキ、どうして家出なんて……いや、今のは失言だな。分かってる、俺が悪いんだ」
「ひっく、ひっく……どうしてエルが謝るの? 悪いのはルキのほうなのに。ルキが一緒にいたら、エルの『たちば』が悪くなるのに」
「やっぱ、そこまで理解しての家出だったか」
エルがルキの頭をなでてくれる。ルキは死にたくなるほど安心する。
「ルキは本当に賢いな。それに、優しい子だ。……ヨシュアから聞いたんだな、お前のお母さんのこと。本当なら、もっと早くに俺から話しておくべきだったんだ。それに、ヨシュアの家庭の事情も俺がちゃんと調べておけば」
ヨシュア。
そう、ヨシュアのことだ。
あの自由奔放なガキ大将といった感じの少年が、深い深い恨みのこもった目をしたのが怖かった。
仲良くさせてもらっているあの少年にあんな顔をさせたのが、あの優しい母だったという事実が、未だ受け止められずにいる。
「ルキ、ヨシュアに殺されちゃうのかなぁ」
そんなこと言うつもりはなかったのに、不安が口を突いて出てきてしまった。
「ルキ、殺したいって思われるほど、ヨシュアに恨まれてるのかなぁ?」
人間語を扱うとき、ルキはどうしても舌足らずな口調になる。媚びるような響きになってしまうのだ。
今ばかりは、自分のそんなしゃべり方が恨めしい。なぜなら、ルキはエルの本心を聞きたいからだ。エルの同情心をくすぐって、彼の判断力を鈍らせたくない。
「大丈夫だ」
果たしてエルは、ルキが『一番欲しいと思っている言葉』を返してくれた。だがそれは、ルキが『最も求めている言葉』ではなかった。
「何がっ、大丈夫なの⁉」
ルキは食ってかかる。エルから体を引き剥がしながら、
「ルキが『じゃりゅうおう』のむすめだってバレたら、エルがダヴィドを追い出されちゃう! ううん、もっとひどいことになるかも――」
「大丈夫だ」
エルが静かに言った。それは、付け焼き刃の言葉ではなさそうだった。
「大丈夫、心配ない。隠しとおせばいいのさ。実は、マリアもお前の出自を知っているんだ。マリアの親父――マグダラ協会長もな。マグダラ協会は、ダヴィドで最も大きな組織だ。力もある。だから、バレる心配はない」
「でもっ、それでもっ、もしバレたら――」
「そのときは、一緒に逃げよう」
エルがニカッと微笑んだ。
「まぁ、ダヴィドよりは住み心地が悪いかもしれねぇが、ダヴィド以外にも人が住む街はあるんだから。それに、ルキがそうしてきたように、山で暮らすって手もあるしな。いざとなればルキが竜に変身できるんだ。どこへでも行けるし、どうとでも生きていけるさ」
「!」
気がつけば、ルキは泣いていた。ぽろぽろ、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしていた。
なぜって、エルの腕が震えていたからだ。
それこそが、ルキが『最も求めている言葉』だった。その場しのぎやごまかしや嘘のない、心からのエルの言葉。エルの覚悟。
……怖いのだ、エルも。住み慣れたダヴィドの街を追い出されるのが、震えるほど怖いのだ。だが、その恐怖を押して、エルはルキと一緒にいると言ってくれたのだ。
ルキは、うれしかった。震えるほどうれしかった。若干五歳にして、この先、生涯とおして感じることができるかどうか分からないほどの巨大な感情を、ルキは抱いていた。
「エルっ、エルぅ……」
ルキは無我夢中でエルに抱きつく。
「でも、ルキ、エルにつらい思いをさせたくないっ」
「奇遇だな。俺も、ルキにつらい思いはさせたくないのさ。それに、言ったろ。そんなことにはならない、って」
「……ルキ、エルのそばにいてもいいの?」
いつものように、エルがルキの目線の高さに姿勢を合わせてくれている。
エルがルキの頭をなでながら、優しく微笑んでくれた。
「いい。構わない。もしバレて、世界中が敵になったとしても、俺は――俺だけは、ルキの味方でい続ける。だって俺は、お前の親なんだから」
◆ ◇ ◆ ◇
エルとルキが佇む小高い丘の、ひときわ大きな樹の陰で。
ヨシュアが、二人の会話を聞いていた。
その瞳には爛々と、復讐の炎が燃え上がっていた。




