10「娘、家出する」
「仇を取りたいからだ。邪竜王の子孫を根絶やしにするためだ」
ヨシュアが急に、ぞっとするほど冷たい声で言い放った。
「じゃりゅうおう……?」
それは、不吉な響きの言葉だった。
「邪竜王は、ものすごく悪い奴なんだ」
木の剣を振り回しながら、ヨシュアが言う。
「ダヴィドに住んでいる人をたくさんたくさん殺したんだ。俺の母さんも殺した。母さん、何も悪いことなんてしてないのに、邪竜王が操るレッドドラゴンに生きたまま燃やされたんだ……っ」
思い返せば、エルに拾われてからというもの、ルキは何度もその単語を耳にしてきた。大通りで、商店で、公園で、そして何よりマグダラ協会構内で。
その単語は、常に憎悪や恐怖といった色とともに口にされていた。
ルキにはまだ、人間の複雑な感情は理解しきれない。だが、『じゃりゅうおう』という存在が人間たちからいかに嫌われ、恨まれ、あらゆるマイナス感情を向けられているのかというのは、十分すぎるほど分かった。
そしてどうやら、『じゃりゅうおう』というのは竜族の王であるらしい。まるで、ルキの母親と同じだ。
『一つは、お前が竜であることを隠しとおすこと。特に、お前の母親が邪りゅ……ごほんっ、女王シャイターンであったことは、絶対にバレちゃ駄目だ』
いや、薄々気づいてはいたのだ。だが、エルは優しかったし、マリアもリディアもマグダラ協会の人たちもヨシュアもシモンもペトロもアンナもみんな優しかったから、気づかない振りをしてきたのだ。
それがまさか、これほどまでに恨まれていたなんて。それも、ヨシュアのような小さな子からも!
(そんな……だってルキは、ルキも被害者で)
そう、ルキはむしろ、被害者のつもりですらいたのだ。だって、母親と乳母を殺されたのだから。
それでもエルに保護してもらい、マグダラ協会で生活させてもらう以上は、恨み言は口にしないようにしよう、と思っていたのだ。
とんだ思い違いだった!
「邪竜王は死んだ。英雄サリーが殺してくれた。みんなの前で首がさらされていたから、それは確かだ。俺も見たしな。けど、邪竜王の子供の首は見てない」
ヨシュアの声がますます冷たくなっていく。
ルキは足が震える。
「仮にも王なんだから、絶対に子供がいるはずなんだ。俺の母さんの仇は、英雄サリーが取ってくれた。でも、だから、俺がこの手で母さんの仇を取ることは、もうできない。だから」
剣を掲げながら、ヨシュアがルキを見下ろした。
「俺が竜騎兵になって、いつか必ず邪竜王の子供を見つけ出して、この手で殺してやるんだ!」
口角に泡を溜めて叫ぶヨシュアの顔が、爛々と輝く血走った目があまりにも恐ろしくて、ルキは立っていられなくなった。
◆ ◇ ◆ ◇
夕方。
「ただいまーーーーっ」
エルはいつものように、満面の笑みで自室のドアを開いた。
『ただいま』という単語は、エルが最近になってようやく覚えたあいさつだ。いや、もちろん言葉の意味は知っていた。だが、エルにとっての自室は、
『寝床』
『待機場』
『荷物置き場』
くらいの認識でしかなく、『帰ってくる場所』という感覚ではなかったのだ。
それが、この半月ばかりで劇的に変わった。
ルキが、この部屋でエルの帰りを待ってくれているからだ。ルキそのものが、エルの帰る場所になってくれたからである。
「今日のお土産は、街の屋台で見つけた可愛い髪飾りで――……ルキ?」
その、ルキが。
エルの変える場所が、留り木が、拠り所が。
いなかった。いなかったのだ。
「ルキ……」
嫌な予感とともに、エルは自室を検める。
そうして、見つけた。机の上に置かれてあるボロ布の切れ端だ。パピルスは高級品なので、ちょっとした書き物にはボロ布や木板を使うのだ。
『さがさないでください。 ルキ』
ルキからの書き置きだった。
エルは、その場に崩れ落ちた。
ルキが、家出したのだ。




