8「英雄、娘不足に苦しむ」
ルキが、足りない。
ここ数日のエルは、深刻なルキ不足に陥っていた。
キュクロプスの威力偵察は連日続いており、哨戒任務は持ち回りでも回しきれないほどだ。朝食をルキと一緒にできるものの、帰りは日によっては深夜になる。夕食を共にできない日が、もう三日も続いていた。
――ルキは今ごろ、何をしてるんだろうなぁ。
哨戒中、気を抜くとそんなことばかり考えてしまう。
「そんなあなたに朗報よ」
ある晩のこと。報告に上がった副会長執務室で、マリアが一枚の指令書をひらひらと振ってみせた。
「明日のアナタに、特別任務。東壁外の開墾支援よ。切り株の抜根、焼畑作業。作業自体はルキとガブリエルが担当し、あなたとリヴィが監督役よ」
「なっ……いいのか⁉」
エルは思わず身を乗り出した。
「ルキと⁉ 仕事で⁉ 一緒に⁉」
「顔に『ルキ』って書いてあるわよ、アンタ」
マリアが、ふんっと鼻を鳴らした。
「しなびた顔の英雄がうろついていると、若手の士気に関わるのよ」
「ありがとうございます、副会長様!」
「よろしい。灰はそのまま畑の肥料になるんだから、燃やし残しのないようにね」
◆ ◇ ◆ ◇
翌朝の厩舎は、ルキのはしゃぎ声で満ちていた。
「おしごと! エルと、おしごと!」
「そうだ。今日は一日、俺とリヴィ、ルキ、ガブリエルとでお仕事だ」
「やったー!」
はしゃぎながらも、ルキは手を止めない。
鞍架けから自分用の幅広で腰高な鞍を選び出し、ガブリエルの首の根本へ。ハーネスを身につけ、鞍と接続する。ハミをガブリエルに噛ませながら、具合を竜言語で問いかける。
「※※※※※苦しく※※※?」
――グルルァッ
「うん、へいきだって!」
一連の所作は、もはやベテランライダーのそれだ。
(おいおい……)
エルは感心しきりだ。
(毎日ヨシュアたちと遊び回ってるだけかと思ってたが……)
娘がいつの間にか成長してしまっていて、エルは少し寂しい。
「エル、じゅんびかんりょーです!」
「お、おう。よし、上がるぞ」
◆ ◇ ◆ ◇
ダヴィドの東壁を越え、朝の空を二騎で飛ぶ。
「いいかルキ、今日はバディ――僚騎ってやつの練習も兼ねている。ルキはガブリエルを、俺の右斜め後ろ、二十キュビト(九メートル)につけろ。俺が曲がったら、同じだけ曲がる。上がったら、同じだけ上がる。声は使うな。前に教えたろ、戦場じゃ声は届かない」
「うんっ」
言うが早いか、ルキ騎がすっ、と定位置に滑り込んできた。
(ほう?)
エルは軽く左へヨーイングしてみせる。ルキ騎が、寸分違わぬ半径で追従してくる。右へ切り返す。ついてくる。緩く上昇、緩く降下。ついてくる。二十キュビトの間隔が、まるで見えない棒でつながれているかのように、ぴたりと動かない。
(……嘘だろ)
エルは徐々に機動をきつくしていった。体を右に四十五度傾けてのローリング。高度を落としての地形追随。それでも、右後ろの気配は影のように貼りついたまま、離れない。
編隊飛行――僚騎の位置を保持し続ける技術は、単騎の曲芸よりも、よほど難しい。先頭の意図を読み、風を読み、竜の癖を読み、常に半瞬先を修正し続ける必要があるからだ。若手が一人前の僚騎になるまで、普通は何年もかかる。
ルキがガブリエルに乗りはじめて、まだひと月も経っていない。エルは、開いた口が塞がらなかった。この異常さは、同じドラゴンライダーにしか分かるまい。
(マリアの奴、『ルキの騎乗訓練も兼ねて』なんて言ってたが……訓練になってねぇ。もう仕上がってやがる。こりゃいったいどういうことだ?)
◆ ◇ ◆ ◇
東壁外の開墾地では、農夫たちが待ち構えていた。
「おお、英雄様! それに、噂の嬢ちゃんまで!」
「二頭も来てくれるたぁ、ありがてぇ」
戦争が終わり、ダヴィドは壁外の東西南北へ、意気揚々と畑を広げつつある。だが、新しい畑を拓くにはまず、地面に居座る古い切り株どもを引っこ抜かねばならない。人力なら大人数人がかりで半日仕事という難物だが、
――グルルァッ!
ガブリエルの前足にかかれば、ニンジンの収穫と大差なかった。
「ガブリエル、切り株※※※※※。石※※※畑※※※※※※※※※※※※※※」
ルキが竜言語で細かに指示するたび、ガブリエルが誇らしげに働く。引き抜いた根の土を律儀に振り落とし、切り株は集積場へ、石は畦となる予定の位置へ。
「すげぇ、もう十本目だ!」
「石まで運んでくれるのか。竜さまさまだなぁ!」
農夫たちが歓声を上げる。
一方のリヴィには、エルは軽い運搬だけをやらせる。右翼に負荷をかけさせたくないからだ。
――キュゥ~ン……
もっと働きたい、と訴えるリヴィの額を、エルはなでてやる。
「焦るなって。今のお前の仕事は、まず完治させることだ」
「※※※※※※、リヴィ※※※※」
ルキも竜言語で何やら取りなしてくれたらしく、リヴィはしぶしぶ引き下がった。
昼を回るころには、開墾予定地の切り株はあらかた抜き終わり、集積場に小山を成していた。後ほど薪になって、ダヴィドの冬を温めてくれることだろう。
仕上げは焼却――焼畑だ。灰は、そのまま畑の肥料になる。
「ガブリエル※※※火※※※※※小さい※※※※※※※※※※※※※」
ルキが竜言語で、『最小の炎』『極小の炎』と念入りに言い含めた。
――ゴ……ォ……
ガブリエルが、蝋燭の火を吹き消すような、遠慮がちな吐息を漏らす。ドラゴンブレスとも呼べない、小さな小さな火。それでも、地面を覆っていた草花や枯れ枝はたちまち燃え上がった。
(……いやぁ、これも相当なもんだぞ)
エルは内心、舌を巻く。
竜のブレスは、撃つよりも加減するほうが難しい。骨をも溶かす業火を、焚き付けほどの火加減にまで絞らせる――リヴィにやらせて同じことができるかと問われれば、エルは正直、自信がなかった。
「はー、便利なもんだ」
「嬢ちゃん、英雄様、ありがとうな。ほれ、この野菜、採れたてだ。ぜひ持っていってくれ」
農夫たちに見送られながら、エル騎とルキ騎は午後の空に舞い上がった。豆粒のようになって見えなくなるまで、農夫たちは手を振り続けていた。それほどに、今日の仕事は彼らの助けになったのだ。
「エル、ルキ、おやくにたててる?」
風の合間から、ルキが話しかけてきた。
「もちろんだよ、ルキ!」
「あのね、エル! ルキ、またエルと、おしごとしたい!」
「俺もだ!」
エルの『ルキ不足』は、いったんは解消された。
だが、明日もエルは哨戒任務に駆り出されることだろう。キュクロプスどもと決着をつけない限り、エルとルキの平穏は訪れそうにない。




