1「英雄、世界一危険な子育てに身を投じる」
「……はい?」
マリアが目を真ん丸にした。みるみるうちに、マリアの酔いが覚めていくのがエルには分かった。
「説明を」
冷静沈着なその声は、いつもの頼れる上司の声だ。
「実は、あの敵指揮官を討ったのは俺とリヴィじゃないんだ」
エルは事のあらましを説明した。
自分が死に瀕したあのとき、ガブリエルに乗ったルキが現れたこと。
ルキの体が一瞬で小柄な竜に変じたこと。
ルキのブレスによって、敵指揮官が灰燼に帰したこと。
竜の姿になっても、ルキが人語を操ったこと。
その鱗が、漆黒だったこと。
そして、ルキが再び人間の姿に戻ったこと。
「なんてこと……」
マリアが天を仰いだ。エルも同じ気持ちだった。
「で、アナタはそのことを秘匿した、と?」
「ああ。ルキとガブリエルはこっそりと帰らせたんだ」
「漆黒の竜鱗、邪竜王……アナタの判断は正しいわ。ルキの正体は、エンシェントドラゴン。邪竜王シャイターン――サタンの娘である可能性が高い。ルキの名前は、ひょっとして『ルキフェル』というんじゃないかしら? ルキフェルは、人間語で発音すると――」
マリアが言った。
「ルシファーよ」
明けの明星。
光をもたらすもの。
堕天使の長。
魔王サタンの、別名。
「アナタはどうすべきだと思うの?」
マリアの視線が、憐みや慈しみの色を帯びている。
「ルキが人類に仇なすのなら……こ、殺してしまうべきだと思う」
エルの声は、みっともないほどに震えている。つい先ほど、ルキの頭部にマスケットを突きつけたときの感覚が、今もまだ手に残っているのだ。
「けど、あいつが人類と共存できるのなら、俺はあいつを幸せにしてやりたい」
「そうね。アナタがその覚悟を持ち続けている限り、私はアナタの意見を尊重するわ」
「今のあいつは、極めて善良だ。エンシェントドラゴンが悪だ、なんてのは迷信だ。いい竜もいれば、悪い竜もいる。人間と同じさ。人間から見て『悪い竜』の筆頭が、たまたまエンシェントドラゴンだったにすぎない。だから、ちゃんとした教育を施せば、ルキは人類と共存できる、と俺は思う」
「同意見よ。問題は、すべての人間が必ずしもそのように考えられるとは限らないってことね」
「そう、そうだ」
「邪竜王とその軍勢に家族を殺された者は、あまりにも多い」
「……そうなんだよ」
かく言うエルも、戦友や孤児仲間、知り合いの多くを亡くした。
大切な者を邪竜王に殺された者たちがルキの正体を知ったときに、あの子を吊し上げ、火あぶりにしようとするかもしれない……彼らの家族が焼け死んだのと同じように。
「隠しとおすしかない」
「そうね。人前で竜の姿にならないように、くれぐれも教育なさい。それと」
マリアの目が冷たさを帯びる。為政者の目だ。
「もし、あの子の正体がバレてしまったそのときは、私はあの子を処刑するわ。私は今日、この場でルキの話なんていっさい聞かなかった。ただ、キュクロプス軍の指揮官を討ったときの話を肴に、アナタと楽しく酒を酌み交わしただけなの」
「……分かってるさ。お前がルキのことを隠していたことがバレてしまったら、マグダラ協会は内部から崩壊しちまう」
こうして、山岳城塞都市ダヴィド至上最も危険な子育てが始まった。




