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Alchemist Fantasy I  作者:
幕間 シルヴィア&ウィル サイドストーリー
5/7

Act-Silvia Administrator key

 数字は嘘をつかない。

それがシルヴィアの信条だった。感情は揺れる。記憶は歪む。人間という生き物はそういうものだと、新人研修の最初の週に骨の髄まで教え込まれた。だから端末を信じる。ログを信じる。波形を信じる。

だが今夜、目の前にある波形だけは、信じたくなかった。




 ある日の出撃前夜。

アシャルの操作卓、シルヴィアの割り当てブロック。周囲のオペレーターたちは翌日の作戦準備に追われ、誰も彼女の画面を覗いていない。それでも反射的に、端末を体で隠す姿勢をとっていた。

表示されているのは、ユトスの直近三十日分のノード波形だ。

帰還するたびに、整っていく。


 消耗の手前に戻るのではなく、消耗したこと自体が書き換えられるみたいに。峰の位置が変わり、周波数が少しずつ高くなっている。まるで何かが、ノードを最適化し続けているように見えた。

二つの波形を重ねる。ユトスのと、教本に載っている「管理者キー適合初期段階」のサンプル波形。


一致率、七十三パーセント。


数字は変わらない。当たり前だ。変わるはずがない。数字は嘘をつかないのだから。息が、細くなる。


知ってしまった、という感覚はこういうものかと思う。知る前には戻れない。画面を消しても、ログを削除しても、自分の脳みその中にあるものは消えない。

告げるべきか、という問いは三秒で却下した。何を根拠に言う。ユトス先輩に「あなたは特別なシステムの候補者です」と言って、それで何が変わる。あの人はどうせ「関係ねぇよ」と言う。その後でさらに無茶をする。だとしたら、知らせた意味は何だ。私が自分の良心を守るためだけの告白になる。


今じゃない、と思う。


情報には、届けるべき瞬間がある。タイミングを間違えれば害にしかならない。データの扱いと同じだ。端末にメモを打つ。


【要観察:ノード適合進行】


【告知タイミング:要判断】


【現状:保留】


 隣の席から「コーヒー飲む?」と声がかかる。


 「ありがとうございます。いただきます」


 いつもの声で答えた。差し出されたカップを受け取り、一口飲む。苦い。だが顔には出さない。ノードコントロールが得意というのは、こういうことだとシルヴィアは思う。感情を消すのではなく、外に出さない。荒れても、荒れていないように動き続ける。


 窓の外は暗い。ネストに昼夜はないが、艦内照明が落とされる時間帯がある。今がそれだ。眠れない人間には関係ない時間割だけど。

もう一度、端末を開く。

ログの片隅に、三日前に流れてきた一行が残っている。シルヴィアは今でも、あれが本当に流れてきたものなのかを疑っている。ノイズの誤読だった可能性がゼロとは言えない。だが波形と照合した結果は七十三パーセント一致で、誤読にしては整合性が高すぎる。アシャルの通信ログのノイズの中に混じっていたデータだった。


【管理者キー保有候補:YT-01 / 適合進行中】


 YT。ユトス、の頭文字。01は——おそらく、序列。


 誰かが追跡している。ノアの誰かが。そしてその誰かは、ユトスが管理者キーを持っていることを、ずっと前から知っていた。私が昨日発見したものを、観測者機関とやらはもっと前から把握していた。コーヒーカップを、静かに机に置く。


部屋の外、格納デッキの方向から、整備士の声が聞こえる。笑っている。出撃前夜にしては穏やかな音だ。そっちを見なかった。画面を閉じて、端末をポケットにしまって、今度こそ目を閉じた。

眠れそうもない。でも目くらい閉じていたかった。



 一年前。統制監理局、局長室にて。

壁面ディスプレイには無数の監視ログが流れている。だが音はない。

その中央に、一人の女性が立っていた。イリス。統制監理局長。シルヴィアが観測者を志した理由でもある人物。



「半年後、君にはこの艦に異動命令が降りる」


 唐突な言葉だった。表情を変えない。


「アシャル、ですか」


 彼女は端末を操作した。空中に波形データが表示される。名前はない。

ただ一つだけ分かる。異常な波形だった。規格から外れている。壊れているわけではない。むしろ完成形に近い。


「ノアから脱走し、海賊崩れのテロリスト。行きたくないとでもいいたげだな」


「はい」


「君に任せたい人物がいる」


 淡々とした声。だが不思議と冷たく聞こえない。

シルヴィアは少しだけ目を伏せた。その言葉は知っている。観測者機関で何度も聞いた。けれど初めて聞いた時からずっと疑問だった。なぜそこまで『選択』にこだわるのか。


「対象にはもう識別番号は?」


 イリスは静かに答えた。


「YT-01」




 クラスⅢとの戦いが終わった。これで旧七番区画は出現しないはずだ。

通路の壁に背を預け、端末を抱えたまま立っている。廊下の向こうでドアが開く。顔を上げる前に、足音で分かった。ユトスだ。歩き方が普段と変わらない。あれだけのノード酷使の後で、足取りに迷いがない。それが少し、不思議だった。


「先輩」


 声をかけると、彼は足を止めた。振り向く。顔に特に何もない。疲れた様子もない。


「どこも痛くないですか」

「あぁ」

「本当に、どこも」


 一拍。


「聞いてもいいですか。さっきの」


 ユトスの顔が、わずかに動いた。眉の端が、ほんの少し。それだけで十分だった。


「世界改変しましたね」


 何も答えない。


「上に報告しますから」


 ユトスのノード波形、直近三十日分を差し出す。ユトスは視線だけで画面を追う。黙っている。


「……何が言いたいんだよ」

「何も」


 正直な答えだった。シルヴィアは端末を引き戻す。


「言いたくないけど、黙ってる方がもっと嫌なんで」


 換気扇が低く唸っている。赤色灯がゆっくりと明滅する。


「管理者キー、って言葉を聞いたことありますか」


 ユトスは答えない。答えないことが、答えだ。


「知ってるんですね」


「どこで調べた」


 ユトスの目の奥が、少し動いた気がした。


「あらゆる機密情報もアクセスできてしまう。裁決者」


 その気になればできるくせに、やらない。シルヴィアはそこで少しだけ笑った。作り笑いではない。

「でも」と、続ける。


「知っておいてほしかったです。私が、気づいてるって」


「それを俺に言ってどうする?」


「どうもしません」


 その言葉に、ユトスは何も言わなかった。

二人分の沈黙が廊下に積もった。換気扇だけが、変わらず回っている。

しばらく経って、ユトスが先に動いた。何も言わずに歩き出す。その背中を見ていた。足取りに迷いはない。これだけのことがあって。これだけのものを抱えて。なんで、あんなに真っ直ぐ歩けるんだろう。

答えは出ない。でも続きを調べる理由は、少し増えた気がした。





 寝ているマリナさん。ゆっくりした呼吸が、規則正しく聞こえる。空いたベッドの端に腰を下ろし、端末を開いた。今日の戦闘ログを整理する。クラスⅢとの接触記録。エアルの軌道データ。ノード負荷の推移。脱出ルートの座標。それから——強制リンクの発生記録。

強制リンクは、ログに残る。発生時刻、持続時間、接続元と接続先。ただし内容は記録されない。何が流れたか、データとして残らない仕様になっている。シルヴィアは少し迷い、それからメモ欄に短く打ち込んだ。保存、暗号化する。端末を閉じ、天井を見上げた。


 言えた。言えてしまったことが、少し驚きだった。普段の自分なら保留にした。タイミングを測っていた。データが揃うまで待っていた。保留ばかりが、正しいわけじゃない。

その線引きが、まだよく分からない。でも今日は、少しだけ分かった気がした。


 彼女の顔を見ると、眉間に薄い皺が寄っている。眠っていても、何かを考えている顔だ。この人は、どれだけのことを抱えているんだろう。


 すごいな、と思う。すごい、という言葉が正しいのかも分からないけれど。


マリナの眉間の皺を見ていると、この人もきっと、抱えたまま眠れていないんだと分かる。眠っていても、何かと戦っている顔だ。それが少しだけ、安心に似た感情を引き起こす。一人じゃない、というだけで、何かが変わる。それが正直なところだった。

用語集

・アンダーネスト=ネストは、同義であり、略称とする。

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