#1-3 三日月が沈む
推進機関の低い重低音だけが、帰還する巡洋艦の内部を満たしていた。
クラスⅢを撃破した。それは事実だ。だが、ブリッジに歓声はなかった。オペレーターたちの指先がホロウィンドウを叩く音すら、どこか遠慮がちで硬い。
空気が軋んでいた。原因は分かっていた。強制リンクで流れ込んできたもの——あの画面、あの名前、あの赤い線——を、全員がまだ胸の奥に抱えたままでいた。消化できていない。消化できるものでもなかった。
マリナは隔壁に背を預け、唇を結んだまま視線を床に落としていた。深紺の外套はボロボロに引き裂かれ、白い肌に擦り傷が覗いている。だが彼女が黙り込んでいるのは、肉体の痛みのせいではない。
シルヴィアも操作卓に向かったまま、一度もユトスと目を合わせようとしない。ただ、キーボードを叩く指先が小さく震えていた。
誰も口を開かない。話すべき言葉を、誰も持っていなかった。
「……ユトス」
沈黙を破ったのは、ウィルだった。
「問題ないです」
彼は短く答えた。驚くほど平坦な声だった。
「強がりじゃない。本当に、どこも痛まないんですよ」
シルヴィアの肩が、びくりと跳ねた。ユトスはブリッジに一瞥だけを残し、踵を返した。自動扉が閉まる間際、背後でマリナが小さく息を呑む気配がした。
*
自室の狭い洗面台。蛇口をひねり、冷たい水で顔を洗った。滴る水を拭いもせず、鏡を睨みつける。
おかしかった。これだけの高出力術式を連続展開した後、術士のノードは焼き付くような激痛にのたうち回る。筋繊維は断裂し、指一本動かすのも億劫になる。それが絶対の常識だった。
なのに——皮膚の裏側から力がじわじわと湧き上がるような、異様な全能感すらある。世界の解像度は上がったままだ。換気扇の微かな歪み。壁の向こうを流れる冷却水の音。すべてが完全に聞き分けられる。
ゆっくりと、首筋の襟を引いた。
「……」
鏡の中の自分と、目が合った。
術式接続部の周辺に、かすかな——しかし明確な、黒い線が走っていた。
あのヴァジュタスの体表を走っていた、あのノイズと同じ性質の。
指先で触れる。痛みはない。
ただ、冷たかった。ユトスは鏡から目を逸らした。逸らして、また戻した。
「生きているのか」
吐き捨てるように呟く。返事はない。ただ、鏡の中の自分だけが、黙って答えを待っていた。
* Reminiscence *
風が吹いていた。七番区画。まだ何も失われていない頃。
イノベルムの装甲はまだ外していなかった。胸当ての右側が抉れ、焦げた匂いがまだ残っている。本来なら整備に出す傷だったが、そういう気分になれなかった。右腕だけが、まだわずかに震えていた。
高架施設の屋上。フェンスにもたれながら、二人で夜空を見ている。
ロイが缶を振る。炭酸が抜けた音がした。遠くで輸送船の光が流れていく。
「なあ」
すぐには続かなかった。
「……なんで今日、あんな無茶をした?」
下の路地では、誰かが大声で笑っている。任務帰りの連中だろう。今夜生き残った人間は笑える。それだけのことだ。
「だんまりかよ」
ロイは缶を地面に置いて、隣に腰を下ろした。
「……たくさん、死んだ」
「だな」
ただそれだけ言って、缶を傾ける。その飲み方が腹立たしかった。こちらの世界には何もないみたいな、のんびりした飲み方。ユトスは立ち上がり、胸ぐらを掴んだ。
「なんでそんな他人事なんだよ!」
動揺しなかった。まったく。
「それで浮かばれんのかって言いたいんだろ」
黙った。
「自己満足でしかねぇよな、俺も」
「そうかもな」
あっさり認めた。手を離す。ロイは缶を拾い直して、フェンスに背を預けた。
「白錬化、使っただろ」
空気が変わった。
「見てたのか」
「見てなくても分かる。その腕」
右腕に視線が落ちる。震えは止まっていない。内体を犠牲にして武装へ変換する。その代償は、錬成が終わったあとにじわじわと返ってくる。
「死ぬ気だっただろ」
「違う」
「じゃあなんで使った」
答えなかった。
理由なんてなかった。あの瞬間、前しか見えなかった。止まるという選択肢が、最初からなかった。それだけだ。
「しんどいよな」
ロイの声が、少しだけ変わった。
「忘れようとするほど、ずっとそこにある。見るたびに同じ光景が来る。ばか騒ぎしたやつら全員の顔が、そのまま」
「……お前はないのかよ」
「あるよ」
間があった。
「あるから、ここにいる」
ロイが空を指した。夜空の端に、細い三日月が浮かんでいる。
「見えるか」
「見える」
「変な形だろ」
「別に」
「嘘つけ」
「うるさい」
ロイは笑った。ユトスはフェンスに肘をついて、視線を空に戻した。変な形は確かだった。半分欠けているというより、消えかけているというより、もっと曖昧な。どっちつかずの光。
「いつかな」
ロイが言う。
「完全に消えるのかな」
路地の笑い声が、少しずつ遠くなる。
「見えなくなっても、そこにあるってことだよな」
夜空を見たまま、もう一口飲んだ。真面目な声だった。それが嫌だった。こいつが真面目な声を出す時、たいてい、聞きたくないことを言う。
「もし俺が先にいなくなることがあったらさ」
「もしもの話なんかするな」
ロイは笑った。否定もしなかった。それがまた腹立たしい。
三日月が、雲に入っていく。端から。少しずつ。ゆっくりと、光が薄くなっていく。
「覚えてくれよな」
それだけだった。
何も言えなかった。馬鹿言ってんじゃないとか、消えるわけないだろとか、いくらでも出てくる。それなのに、口が動かなかった。
三日月が完全に雲に飲まれた。
残ったのは暗い空だけだった。それなのに、さっきまであの光がそこにあったことだけは、骨に刻まれたみたいに、はっきりと覚えている。ロイは笑っている。変わらない。馬鹿みたいな顔で。
*
都市型衛星ノア。最上層区画。中央監視管理層。人の気配は少ない。清潔すぎるほど静かだった。磨き上げられた床。白い壁。温度も湿度も一定。生きている場所というより、巨大な実験室に近い。壁一面を埋めるホログラムの中心に、旧七番区画の戦闘ログが流れていた。クラスⅢ。ユトス。マリナ。シルヴィア。脱出までの全記録。何百ものログ。何千もの数値。画面の端で、一つの項目が不気味に明滅している。
【生体ログ:適合率 24.8%】
数値は今も少しずつ上昇を続けていた。暗がりに佇む人影が、顎を突きながら冷たく呟いた。
「適合が始まっているな」
その声に、驚きも懸念もない。実験の成果を淡々と確認するような、冷たい満足感だけがある。
「やはり」
モニターが切り替わる。ユトスの生体ログ。異常な波形。完全な安定。人間にはありえないほど整った曲線。
「修復も始まっているな」
「はい」
女性が答える。
「侵食耐性も増加。予測値を超過。現在も進行中です」
男は立ち上がる。窓の外。遠くにノアの街明かり。数百万、数千万、人々の生活。眠る者。働く者。笑う者。泣く者。そのすべてが遠い。男の視線は街ではなく、その先——宇宙の、さらにその向こうを向いていた。
「ようやく始まったか」
一拍の間。
「記憶回復率は」
「二・三パーセント」
「十分だ」
ホログラムが切り替わる。一年前。旧七番区画。避難センター。映像は荒れている。爆発。悲鳴。警報。崩れ落ちる天井。その中で、一人の少年が立っていた。
今より幼い。まだ背が低い。幼さが残る。彼の前には巨大なホログラム。避難者リスト。無数の名前。
残り輸送可能人数——二百。周囲で何かを叫んでいる人間がいる。音声が欠損している。男は黙って見つめる。
画面中央。認証欄に、一瞬だけ表示される。
【権限承認】
【管理者キー認証】
【YT-01】
女性の目が細くなる。
「被験者の精神保護を考慮するなら」
「不要だ」
即答だった。
「神との接続」
男が言う。
「壊れたなら」
一拍。
「その程度だったというだけだ」
ホログラムが切り替わる。ユトスの生体ログ。その隣にマリナ、シルヴィア。三本の波形が並んでいた。重なっている。同期している。干渉し合っている。
「こちらは想定外です。第三同期も始まっています」
画面を拡大する。
「まだ早い」
「三つの波形が、まるで一つの形になろうとしています」
男が本当に少しだけ笑う。
「偶然ではない」
「観測を継続しますか」
男は窓の外を見た。遥か彼方。見えない場所。そこをまるで知っているように。
「いや」
そしてゆっくりと振り返る。
「向こうも気づいたようだ」
女性の瞳が揺れる。それは珍しい反応だった。部屋の温度は変わらない。だが、どこか冷えた気がした。
*
ユトスは目を開いた。荒い呼吸。汗。胸が痛い。夢だ。ただの夢。そう思おうとしても消えない。ロイの顔。最後の言葉。なぜそんなことを言う。思い出されたら困る何かがあるのか。
頭を押さえる。鈍い痛み。記憶の奥を無理やりこじ開けようとしたときみたいな痛みだった。
そのとき。耳元で、本当にすぐ近くで、声がした。
*
同時刻。ノア管理層。
一つだけ、警告音が鳴った。短く、鋭く。
「外縁監視ネットワークに異常です」
ホログラムが展開される。小惑星帯外縁。観測不能領域。何も映っていない。空白。黒。ただそれだけ。なのに警告だけが鳴り続ける。
「原因は、不明です」
「機器故障か」
「違います」
オペレーターが首を振る。顔色が悪い。
「観測機器が消失しています」
沈黙。
「通信断ではありません」
震える声。
「記録ごと消えています」
ログを確認する。確かに存在していた。観測衛星。監視プローブ。中継システム。だが途中から消えている。撃墜された記録もない。爆発もない。故障もない。存在した痕跡だけがある。存在そのものがない。
「観測番号」
順番に消えている。まるで何かが、記録を、情報を、観測そのものを食べているみたいに。
中央管理層。男だけが立ち上がっていた。
「今のを見たか」
「記録できませんでした」
「分かっている」
男の拳が握られる。僅かに、本当に僅かに、震えている。
「まさか……」
その呟きが、そこで止まる。言葉にできない。したくない。そんな表情。
ホログラムが切り替わる。大量のデータ。大量の削除履歴。黒塗り。黒塗り。黒塗り。そして最後に残る一つのファイル名。
【十戒計画】
女性が沈黙する。記録上には存在しない。検索結果ゼロ。参照権限なし。完全抹消。そんなもの、今まで一度もなかった。
「全員死んだ、少なくとも。」
窓の外。ノアの夜景。その光を見下ろしながら、静かに続ける。
「そう報告されていたが……」
そのとき。ノア全域の照明が消えた。街。居住区。工業区。商業区。軍事区。管理層。すべて。一秒だけ。完全停電。暗黒。そして一秒後、復旧する。何事もなかったように光が戻る。だが、その一秒の間に、何かが起きた。中央管理層。全員が凍り付いていた。ホログラム。モニター。通信画面。ありとあらゆる表示が、一斉に書き換わっていた。
【継承者確認】
【第一継承者】
【第二継承者】
【第三継承者】
【再接続開始】
怪しく、かつ気高く輝くその瞳の網膜には、今まさに遥か宇宙の彼方で爆ぜている、純粋な蒼い閃光の残照が、ありありと刻み映し出されていた。時空の割れ目で、ボロボロになりながらも刃を握り直す少年の苛烈なシルエットが、その冷たい硝子のような瞳の奥に鮮烈に焼き付けられていく。その戦場を、彼方の命の煌めきを、瞳は凝視し、世界の行く末を測るようにじっと――。
*
宇宙。暗黒。巨大な影。その周囲で、繭が割れていく。一つ。二つ。三つ。十。百。千。
亀裂。亀裂。亀裂。蒼い光。無数の瞳。無数の口。無数の腕。眠っていた何かが、ゆっくりと目を開けていく。まるで、王の目覚めを待っていた家臣たちのように。
巨大な影の中心で、蒼い光が強くなる。宇宙全体が呼吸しているみたいな振動。その中で、一つの声が響く。人類には理解できない。
『見つけた』
『沈めた者』
瞳が見開かれる。何百年も開かれていない隔壁。その中央に刻まれた紋章——三日月と同じ。青白い光の瞳は、静かに、一度だけ、まばたきをした。
*
砂浜に波が引き寄せ、血の色に染まる海岸。
戦争は広い。誰かが英雄として語られるその裏で、誰にも知られない兵士たちが死んでいる。
エルデラ大陸東方海域。F006ノアール諸島沖補給基地。外洋から押し寄せるヴァジュタスを迎え撃つために建設された海上防衛網。最初は百十二名いた。今、戦闘可能な兵士は四十七名。砲撃陣地は半数以上が沈黙した。
夜明け前の海は鉛色の向こうで爆発が起こる。赤い閃光が海面を染めた。
直後、衝撃波が防波堤を震わせる。砲撃型イノベルムによる迎撃。
しかし、着弾地点からなお無数の影が現れる。ヴァジュタス。人類と百年以上戦争を続ける異形種。
黒い外殻。歪な骨格。生物とも機械ともつかない肉体。海中から這い上がるその姿は、まるで深海そのものが意志を持ったようだった。旧第三十二独立特命課エドガー・ライルは、防波堤上からその光景を見下ろしていた。
「北区画接敵」
通信が入る。
「敵数百以上。増加中」
「予備兵力は」
「ありません」
エドガーは苦笑する。当然だ。予備兵力など昨日の時点で使い切った。
残っている全員が前線に立っている。後方など存在しない。
「アルファをこちらに回せ、ガンマは索敵支援の継続」
返答を聞きながらエドガーは戦術端末を確認した。赤い表示が並んでいる。
通信途絶。戦闘不能。四十八時間前には百以上あった友軍信号が、今は地図のあちこちに散らばっていた。
生存者四十七名。数字だけなら既に中隊とは呼べない。
全滅していないからだ。
海面が爆ぜた。十数体のヴァジュタスが防波堤へ飛び上がる。兵士たちが迎撃へ動く。剣が振るわれる。銃声が響く。火花が散る。黒い体液が飛び散る。最前線では既に白兵戦が始まっていた。
橙色の光。術式起動。無数の金属粒子となり、全身へ展開した。装甲形成。神経接続開始。視界に戦術情報が流れ込む。イノベルム。人類が生み出した対ヴァジュタス決戦兵装。術者と共鳴し、自律的に最適化を行う戦闘装甲。出力正常、同期率安定。
剣を錬成。そして前線へ走った。北区画。
戦況は悪かった。標準型イノベルムを装備した兵士たちが防壁を維持しているが、数が違う。
一体を倒しても次が来る。二体倒しても三体目が飛び掛かる。
終わりが見えない。兵士の一人が吹き飛ばされた。盾ごと防壁へ叩きつけられる。
そこへ四体のヴァジュタスが殺到した。指揮官は地面を蹴る。
一閃。二閃。三閃。剣が光る。四体まとめて両断された。
「大佐!」
「隊列を崩すな」
短く命じる。兵士は頷き、再び前へ出た。誰も怯えてはいない。怯える余裕がない。
それが四十八時間続いた戦場だった。昨日の朝。戦闘開始直後は違った。百十二名の兵士。
砲撃陣地五基。観測塔三基。
防波堤各区画も健在。いつもの迎撃戦になるはずだった。最初の六時間は順調だった。砲撃で敵を削り。
上陸部隊を迎撃し、防衛線を維持する。教本通りの戦い。
誰もがそう思っていた。だが昼過ぎ。海が割れた。
観測班が絶叫した。
「大型反応!」
海霧の中から現れたのは巨大な異形だった。防衛施設を見下ろすほどの巨体。
厚い外殻。複数の腕。発光する内部器官。大型個体。
それが全てを変えた。衝撃波一撃で砲撃陣地が消し飛んだ。
第一小隊壊滅。第二小隊半壊。戦況は一気に崩れた。
そして今、四十八時間後。また同じ反応が海中から現れていた。警報が鳴る。
観測班が叫ぶ。
「大型個体接近!」
誰も声を上げない。上げる気力が残っていない。
海霧の向こうで巨大な影が立ち上がる。昨日の個体より大きい。エドガーは本能で理解した。終わるかもしれない。巨大な影が立ち上がる。誰も声を出さなかった。
「死に際は決められる」
エドガーの言葉は、オープンチャットで聞こえている。だが、四十八時間戦い続けた兵士たちは、既に感情をすり減らしていた。先日、出現したものよりも明らかに大きい。防波堤を見下ろす巨体。
全身を覆う黒色外殻。節くれだった複数の腕。背部から伸びる棘状構造。発光する赤紫色の器官。
「全砲門、目標変更」
エドガーが命じる。残された砲撃陣地が反応した。生き残っている砲撃型イノベルムが術式を展開する。
リングを加速させる。収束開始。発射。夜明け前の海へ無数の閃光が走った。
着弾。爆発。衝撃波。
ヴァジュタスの上半身が煙に包まれる。
煙が晴れた瞬間、誰もが息を呑んだ。立っていた。外殻は砕けている。肉片も飛び散っている。
それでも進んでいる。止まらない。海中から腕を引き抜く。
その腕には砕けた防波堤の一部が握られていた。振りかぶる。
「伏せろ!」
直後の轟音。防波堤が吹き飛ぶ。数十トン単位の瓦礫が雨のように降り注いだ。兵士たちが宙へ投げ出される。悲鳴。通信断。爆発。エドガーも衝撃で吹き飛ばされた。背中から地面へ叩きつけられる。
肺から空気が抜けた。視界が白く染まる。それでも立ち上がる。
「大佐!」
通信が入る。若い兵士の声だった。
「南区画突破されます!」
それから数秒後。その識別信号は消えた。海上ではなおも白兵戦が続いている。
残存するイノベルムが各所で戦っていた。剣が振るわれる。
槍が突き出される。砲撃が放たれる。だが敵が多すぎた。防波堤は既に死体で埋まり始めている。人間とヴァジュタス。その区別すら曖昧になるほどだった。刃が外殻を断つ。だが腕が重い。疲労が限界を超えている。視界も霞む。ノードの警告が表示される。今さら気にしても意味がない。
残り百メートル。八十。六十。
近い。近すぎる。第一防衛線は崩壊寸前だった。兵士たちも理解している。
誰も口にしないだけだ。敗北の二文字が現実味を帯び始めていた。
最後の一撃。あれが落ちれば終わる。エドガーは剣を握り直した。折れかけている。
腕も痺れている。脚も震えている。責務がある。兵士が最後まで立つ理由など、それで十分だった。その時だった。
「さらに、熱源反応!」
通信士が叫ぶ。全員が空を見上げた。雲を裂きながら巨大な艦影が降下してくる。朝焼けを背負った船体。表示される情報は一つだけ。無所属。戦場がざわめく。
「何だ、あれは」
「救援?」
エドガーだけは理解していた。巨大艦はゆっくりと戦場上空へ停止する。
「アシャル」
*
一人の男が立っている。鋭い眼差し。戦場を眺める姿には奇妙な余裕があった。
海を見下ろし、小さく笑った。
「この戦力差に、新米兵ばかり。後方戦線への奇襲によく持ちこたえたもんだ」
呆れたように呟く。
「だが、歳には勝てねぇってか?」
多重リング形成。術式展開。光が集まる。海が震える。空気が軋む。
兵士たちは思わず空を見上げていた。すると、リングが回転を始める。加速。さらに加速。エドガーは目を見開く。
「ツインリング」
高度なテクニック操作だ。
装甲が無数の金属粒子へ変わり、集束する。肩部。腕部。背部。全てが組み替わっていく。
黒鉄の装甲。鋭く伸びるシルエット。深紅に輝く発光ライン。
背後で回転する二機のユニット。神話の天使を鉄と血で作り直したような異形。
狙撃銃が形成される。
無数の粒子が収束し、一つの巨大な砲身へ変わっていく。空中へ術式陣が展開した。
赤黒い幾何学模様。リングが共鳴する。空気が震える。海が鳴る。戦場全体が静まり返った。
若い声が通信へ流れる。
「目標固定」
静かな声。
「射線良好」
大型個体が立ち上がろうとする。咆哮に揺らがない。
「――」
閃光。赤い流星が夜明けの海を貫いた。大気が裂け、海面が割れる。時間が止まったような一瞬。
次の瞬間。大型個体の頭部が消失した。
爆発すらない。ただ、そこだけが消えた。巨体が揺れる。
崩れる。ゆっくりと海へ沈んでいく。津波。
残されたヴァジュタスたちが動きを止めた。統率を失った群れは海へ退いていく。
「力任せは、相変わらずだな」
ようやく終わった。朝日が昇る。
*
後方司令部からの正式報告が届く。エドガーは仮設司令所で資料を受け取った。無所属艦についての調査結果だった。
「レッドカラー」
次の一文にエドガーは目を止める。軍の規定を違反した俗名。
発見時は報告。さらにページをめくる。
そこには粗い映像から切り出された写真があった。
もし彼が来なければ、基地は存在していない。
それでも軍は軍だ。
救われた事実と組織の判断は別である。エドガーは資料を閉じた。
銀翼の群れが、紺碧の境界を埋めつくす。
逆光の中、友軍の存在に明朝のときと同じ高鳴りはない。




