5.容疑者エルザーレと火星軍中尉ペスカトーレ
エルザーレは地下施設に戻り、宇宙服を脱いだ。
「はあ、暑かった……」
ヘルメットを外す。
ようやく解放された空気に深く息を吐いた。
「というか火星って地下は普通に住めるのね」
静かな通路。
赤い非常灯。
規則的に鳴る機械音。
だが。
「……静かすぎる」
人の気配がない。
研究員の声も。
足音も。
何もない。
「避難した……?」
いや違う。
あの暴走なら避難どころではない。
数秒。
「……情報が欲しいわね」
エルザーレは通路の奥を見る。
その先。
研究員管理室。
精神入替装置開発班。
「アルクノアなら何か知ってそうだけど……」
数秒。
「頼りないのよね」
エルザーレはため息を吐く。
通路を進む。
しばらく歩いた先。
研究員居住区。
「……寮?」
自動ドアが開く。
静かな廊下。
左右に並ぶ個室。
「そういえば……」
モニターで見た名前。
エルザーレ。
精神入替装置開発班。
「私の部屋もあるわよね」
数秒。
「いや待って」
さらに数秒。
「他人の部屋漁るみたいで罪悪感あるんだけど」
立ち止まる。
「……まあ私の身体だし」
エルザーレは部屋の前で立ち止まる。
扉の横のパネルに触れる。
『キーカードを挿入してください』
「……」
数秒。
「カード? 私、クレカは持てないんだけどねえ……」
ポケットを探る。
宇宙服の収納。
服のポケット。
何もない。
「うそでしょ」
さらに探す。
何もない。
「ない!」
沈黙。
「いや待って」
エルザーレは顔を引きつらせた。
「私……じゃなかった。この身体の人、手ぶらで研究所歩いてたの?」
数秒。
視線が足元へ向く。
部屋のドアの脇。
小さな赤ランプ。
ロック中。
「……。鍵探しからなの?」
その時だった。
ピコン。
「……?」
微かな電子音。
エルザーレは音のした方向へ顔を向ける。
廊下の角。
床に何かが落ちていた。
「カード?」
拾い上げる。
白いプレート。
中央には研究員番号。
そして顔写真。
「……アルクノア?」
数秒。
「え?」
さらに数秒。
「待って」
エルザーレの顔から血の気が引く。
「なんで?」
アルクノアは今、アストライアの中。
なら。
このカードを落としたのは誰だ。
数秒。
「……誰?」
背後から声がした。
「……!」
エルザーレの身体が固まる。
ゆっくり。
ゆっくりと振り向く。
そこに立っていたのは——
「アルクノア……?」
顔は間違いない。
研究所のモニターで見た顔。
今アストライアの中にいるはずの青年。
だが。
「……俺のカードを持って何をしている」
数秒。
エルザーレの顔が引きつる。
(違う。アルクノアじゃない。けど、下手なことは言わない方がいいわね)
エルザーレは咳払いした。
「落としてたわよ」
そう言って研究員カードを差し出す。
数秒。
アルクノアの姿をした人物はカードを見る。
そして無言で受け取った。
「……ありがとう、エルザーレ」
「……!」
心臓が跳ねる。
(知ってる。この人、エルザーレを知ってる)
数秒。
「どうした?」
「え?」
「顔色が悪い」
数秒。
(まずい。このまま会話を続けたらボロが出るわ)
「ちょっと具合が悪くて医務室に行ってたのよ。ところで、私のカードキー知らない?」
「カードキー?」
アルクノアの姿をした人物が首を傾げる。
「……お前らしくないな」
「え?」
心臓が跳ねた。
「いつもなら肌身離さず持っていただろう」
(まずい)
エルザーレは笑顔を作る。
「あー……その」
「ほら」
頭を指差す。
「さっきの事故でちょっと」
数秒。
アルクノアの姿をした人物は黙っている。
見ている。
じっと。
数秒。
「……そうか」
白衣のポケットへ手を入れる。
「さっき拾った」
「え?」
取り出されたのは一枚のカード。
白いプレート。
中央には研究員番号。
そして。
エルザーレ。
(えっ、あったの!?)
アルクノアの姿をした人物は数秒ほど黙っていたが、不意に口を開いた。
「……そうか」
「え?」
「お前は入れ替わらなかったんだな」
数秒。
「……え?」
今度はエルザーレが固まる。
「運が良かったな」
そう言って視線を逸らす。
「研究所は大混乱だ」
「……!」
エルザーレは内心息を呑んだ。
(勘違いしてる。私が本物のエルザーレだと思ってる)
数秒。
(好都合ね)
エルザーレは表情を変えない。
「そう……大変だったわ」
数秒。
「それで?」
「え?」
「今のあなたは誰なの?」
沈黙。
アルクノアの姿をした人物は数秒黙っていた。
やがて小さくため息を吐く。
「……ペスカトーレ」
「え?」
「火星軍所属」
数秒。
「階級は中尉だ」
エルザーレは固まる。
(軍人!? しかもアルクノアの姿で真顔! いやいや、違和感が凄いって)
「いや待って」
数秒。
「アルクノアは研究員よね?」
「そうだ」
アルクノアは自分の顔を指差した。
「今はな」
数秒の沈黙の後、アルクノアは小さくため息を吐いた。
「火星軍も壊滅状態だ」
「え?」
「現場は大混乱している」
数秒。
「上官が部下になっていたり、部下が司令官になっていたりな」
「……うわ」
「怪獣が出ても出撃命令すらまともに出せん」
エルザーレは顔を引きつらせた。
(思ったより終わってた)
数秒。
「しかも」
アルクノアの表情が僅かに曇る。
「……黒い巨人も確認されている」
「……!」
数秒。
「知ってるの?」
エルザーレは平静を装った。
アルクノアは頷く。
「軍も追跡していた」
「追跡?」
「だが見失った」
数秒。
「そして私は今、ある人物を探している」
エルザーレの眉が動く。
「人物?」
「精神入替装置開発班主任」
数秒。
「エルザーレだ」
静寂。
「……え?」
一瞬。
本当に一瞬だけエルザーレの思考が止まる。
(私い!?)
数秒。
アルクノアは周囲を確認する。
「……ここではまずい」
「え?」
「来い」
「え?」
アルクノアはエルザーレの腕を掴む。
「ちょ、ちょっと!?」
研究員居住区の奥。
非常用会議室。
無人。
アルクノアは扉を閉めた。
ガコン。
ロック。
「え?」
数秒。
嫌な沈黙。
アルクノアはゆっくりと振り返る。
「……エルザーレ」
「な、なに?」
「聞きたいことがある」
数秒。
「精神入替装置の本当の目的は何だ」
静寂。
心臓が止まりそうになる。
(本物のエルザーレ何してくれてんのお!?)
アルクノアの目が細くなる。
「私は調べた」
「……………………」
「怪獣対策など嘘だ」
「……………………」
「地球移住計画。人工機械生命体。そして——」
数秒。
「地球侵攻」
静寂。
アルクノアはゆっくり腰のホルスターへ手を伸ばした。
「……火星軍中尉ペスカトーレとして命じる。エルザーレ、その場から動くな」
静寂。
エルザーレは乾いた笑みを浮かべる。
「……なにか誤解してない?」
「誤解ではない」
アルクノアの目は真剣だった。
「混乱後、私は軍の端末へ侵入した」
「え?」
「機密指定の通信記録も確認した」
数秒。
「精神入替装置の真の用途。人工機械生命体計画。そして地球移住計画。すべて精神入替装置開発班主任——エルザーレに繋がっている」
静寂。
(待って待って待って待って。本人なにやってんのよ!)
アルクノアは腰のホルスターから拘束具を取り出す。
金属製の手枷だった。
「火星軍中尉ペスカトーレとしてお前を拘束する!」
エルザーレの顔が引きつる。
(いやいやいやいや! 私じゃないって!)
エルザーレは拘束具を見つめた。
(待って。この身体、もしかして戦えるんじゃ……)
数秒。
(いや無理無理無理。変に動いて本物のエルザーレじゃないってバレたら終わりよ)
エルザーレは観念したように両手を上げた。
「抵抗はしないわ」
アルクノアは無言で頷く。
数分後。
研究施設地下。
臨時取調室。
重い扉が閉まる。
ガコン。
机。
椅子。
向かい合う二人。
数秒。
「……………………」
「……………………」
沈黙。
さらに数秒。
「……ねえ」
「なんだ」
「取り調べといえばカツ丼でしょ」
静寂。
「カツ丼ないの?」
数秒。
アルクノアが瞬きをした。
「……なんだそれは」
「え?」
今度はエルザーレが固まる。
「知らないの?」
「聞いたこともない」
数秒。
(しまった! 地球ネタだったあああ!)




