侍女長の微笑み
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「カメーリア・モレッティをイラーリオ・ジェントーレ伯爵が望んでいる」
ファウストは柔らかい笑みを湛えた侍女長に、緊張しながら告げた。
侍女長はファウストよりも十歳ほど年上で、王太子時代には彼付きの侍女として、少々やんちゃだった彼をたしなめてくれた人物の一人だった。
たとえ王太子であろうとも、ダメなことはダメだと叱ってくれる存在の有難さを実感したのは、学園に入って横暴な貴族の子供たちを見た時だった。
一歩間違えば自分もああなっていたのかと思うとぞっとして、周りの人間に感謝をしたものだ。
長い付き合いとはいえ、王宮の全ての侍女を統括する立場になった彼女に対して、有能侍女を引き抜かれました、と告げることに緊張しないわけがない。
「はい」
たった一言もとっても怖い。
その微笑みが意味ありげな感じを受けるのは自分だけだろうか。
「い、いいのか?」
おそるおそる聞いたファウストに、侍女長はもう一度「はい」と言った。
「先ほど、カメーリア・モレッティより同じ報告を受けました。具体的な日時はまだ決まっていないそうですが、ジェントーレ伯爵にお仕えしたいと言われました」
「そ、そうか。反対はしなかったのか?」
侍女長が自分の後継者候補の一人として目を付けていた人物だけに、反対するのかと思っていた。
「そうですね。これが陛下と伯爵が勝手にしたことなら、もちろん反対いたしました。お二人に事情を聞かねばならないところでしたが、今回は、伯爵とカメーリアが話し合った末の結論とのことでしたので、引き止める理由がございません」
よかった。先に言っておいてくれてありがとう、カメーリア・モレッティ。
おかげで事情を聞くという名目で行われたであろう説教を回避出来た。
「後継者の一人に、と思って色々と教えていたのだろう?」
「はい。ですから、伯爵家に行ってもカメーリアの力量ならば大丈夫でしょう。正直、給料増額に加えて、週一日の休み、温泉入りたい放題と聞いて、少々うらやましいと思ったほどです」
「え?行かないよな?」
「行きませんよ。私は陛下や先王ご夫妻に恩がございますから。ですが、私がそうだからといって、彼女たちを縛ることなどしませんよ。彼女たちには彼女たちの人生があります」
「よかったぁ。君までいなくなったら、俺が困るところだった」
「陛下のお子様やお孫様の代までお仕えしたいところですね。カメーリアは確かに後継者候補の一人でしたが、まだ他にも人材はおりますので彼女一人が抜けたくらいでは問題ございません。せいぜいしばらくの間、残った責任者たちが苦労するくらいです。彼女の下に付けていた者たちを振り分けるので、一人頭の面倒を見る人数が増えますね」
そう言った侍女長は、ファウストと目を合わせるとにこりと微笑んだ。
「……その責任者たちの給料を少し上げてやってくれ」
「かしこまりました」
どさくさ紛れに、責任者たちの給料増額が決まった。
だって、これで増額しなかったら、残った侍女たちもどこかに行ってしまうかもしれないし。
「あ、君の給料もだぞ」
「ありがとうございます」
いくら身近にいてこっちの意図をくみ取ってくれる人だからといって、蔑ろにしてはいつか愛想を尽かされる。
部下に愛想を尽かされた人間を、どれだけ見てきたことか。
「カメーリア・モレッティは、嫌がっていなかったんだよな?」
「はい。ジェントーレ伯爵とのことを詳しく聞きましたが、カメーリアは侍女として適切な態度を取っておりました。ですが、伯爵の近くにいたことで、ベネデッタ嬢の攻撃対象にされてしまったようですね。失礼ながら、ベネデッタ嬢は私共の間で要注意人物とさせていただいております。ベネデッタ嬢ご本人も問題のある方とお見受けいたしましたが、周りにいらっしゃる方々も少々問題がございます」
「そうか。やはりお前たちもそう見ているのか」
「はい。あの方は、どうも言葉や行動を曲解して受け止めておいでになることが多く、それがトラブルの原因の一つとなっているようです」
「みたいだな」
「先日もベネデッタ嬢と一緒にいらした子爵がハンカチを落とされて、たまたま少し後ろを歩いていた侍女がそれに気が付いてお渡ししようとしたのですが、ベネデッタ嬢が急に、ハンカチが落ちたことに気が付かなかったわたくしが悪いのね。あなた、わたくしにつけられた侍女でしょう?どうしてこっそり教えてくれなかったの?それとも、わたくしが失敗すると思って後をつけていたの?、と正直、訳の分からない言いがかりをつけられたそうです。その侍女は単純に行く方向が同じだっただけで、後をつけていたということではありませんでした。そもそも、王宮侍女はベネデッタ嬢にお仕えしているわけではありませんし、ベネデッタ嬢に誰かがつくということもありません。その時は一緒にいた子爵がベネデッタ嬢を慰めていたそうですが、近くにいるだけで何かしらに巻き込まれると侍女の間では有名な方です」
「おおぅ。かといって、何もしていないのに出入り禁止には出来ないしなぁ」
「さようでございますね。今のところベネデッタ嬢は、被害者意識が強く、近くにいる貴族の男性の意識がしっかり自分の方に向いていれば満足しているご様子です」
「辛辣な評価だな。イラーリオの話では、あいつはだいぶ軽くあしらったらしいんだが」
「そのようですね。ですから、ベネデッタ嬢は近くにいたカメーリアを何としても悪者にして、ジェントーレ伯爵の気を引きたいのでしょう」
「そんなんで引けるか?」
「親切な周りのご友人が伯爵に、ベネデッタ嬢との仲介をお引き受けになるのでは?ベネデッタ嬢とカメーリアのことを知らない人間に噂を振りまけば、何か言われるのはカメーリアの方です。侍女如きが貴族の男女の仲を引き裂くな、といったところでしょうか」
「事実とは全然違うのにな」
引き裂くも何も、イラーリオとベネデッタの間には何もない。
ファウストは顔をしかめた。
そういう人間は、一人いるだけで周りが勝手に踊らされて崩れていく。
「侍女長、ベネデッタ嬢の周辺には気をつけてやってくれ。出来れば、夜会などでは君がついていてくれるといいんだが……」
「それをしてしまいますと、国王陛下がベネデッタ嬢に気があるようだ、という噂を流されますがよろしいでしょうか?」
「よろしくない!」
「王宮の侍女長をつけるのですよ?ベネデッタ嬢のような方でしたら、はにかんで、陛下が心配してくださって……とかおっしゃると思いますが」
「違う意味の心配なんだけど」
「曲解すると言いましたよね?」
「はい」
下手な手出しは厳禁だ。かといって、騎士とかつけたらもっと何か誤解しそうだし。
「ジェントーレ伯爵は、カメーリアがベネデッタ嬢に絡まれそうになった状況の責任を取って、カメーリアを引き取るそうです。その条件が破格だったのはうらやましいですが、ベネデッタ嬢の力の及ばない場所に連れていくというのは、逃れる手段の一つとしてはよいのではないでしょうか。カメーリアも宝石伯爵の領地に行くのを楽しみにしている様子でしたし、ジェントーレ伯爵は仕え辛い方ではなさそうだと言っておりましたので」
「そうか。……って、仕える?」
「はい。侍女としてきちんとお仕えして参りますと宣言していました」
「確かに告白はまだだって言ってたけど、ひょっとしてカメーリアは、イラーリオのことを主としか思ってない?」
「それ以外、何があると?」
にこりと笑う侍女長に、ファウストの胃が痛んだ。
イラーリオ絡みで痛みまくる胃の耐久値が心配でしょうがない。
「陛下、カメーリアは侍女としての話しかしておりません」
「イラーリオ、ふられそう?」
「どうでしょう。以前、カメーリアに宝石の話をしたことがありますが、カメーリアは宝石そのものよりも、原石を見たいと言っておりました」
「は?原石?」
「キラキラして綺麗なのだとか。それでいて、値段が付かなくて捨てられる物も多く、とてももったいないと思っているそうです。宝石を身に着けるよりも原石を眺める方が大好きで、ここにもいくつか持ってきています。それを毎晩、眺めているそうですよ」
「……宝石伯爵の名に恥じぬようにイラーリオが高級な宝石を贈ろうものなら、ものすごく引きそうだな」
「そこら辺のくず石を箱一杯に詰めて贈った方が喜ばれるかもしれません」
「そっか。これは秘密にしておこう」
「はい」
胃の回復のためにも、たまにはイラーリオの失敗話でも聞こう、そうファウストは決意して、侍女長は若者たちの未来を思って楽しそうに微笑んでいたのだった。




