第35話 凛と顔を上げて
「それ……それを言うのかっ!」
顔を真っ赤にされたが、セレスは落ち着いていた。
「ですから妃殿下には退席をと願いましたのに」
「セレスティーヌ、貴様……!」
「まあリュシアンさま、誕生日の祝賀会とはまさか私の……?」
怒鳴るリュシアンへ、妃のミレイユはキラキラした瞳を向けた。本人に秘密でパーティーを準備してくれるなんて私は最高に愛されている、と考えたのだ。ミレイユらしい。
「嬉しい……!」
「ああミレイユ。驚かそうと思っていたのに、こんなふうに知られてしまうなんて」
「いいえ、リュシアンさまのお気持ち、受け取りましたわ」
二人の世界に没頭する国王夫妻は幸せそうだ。だがそのパーティーへの反発が王都を混乱におとしいれた。そうセレスは諭しに来ているのだった。
「想い合うお気持ちは、こうしてお伝えするだけでもよろしいではありませんか」
「なんだと?」
セレスだって妹が幸せそうなことに文句はない。だが王妃としてのつとめをなげうっていると評判なのは悲しかった。ただただ放埒に贅沢へ溺れていくなど許されない立場なのだと気づいてほしい。
「陛下におかれましては国庫の状態を把握なさってますでしょうか。この一年で立て込んだ葬儀、即位式と婚礼、さらには出兵で民は疲弊しております。そのうえ妃殿下の祝賀会をと命じられ、市中には不満がうずまきました」
「そ……それはすべて必要なことだったろう!」
「誕生祝いもですか?」
「セレスティーヌ……! ハハンそうか、まだミレイユに嫉妬しているのだな、見苦しいぞ!」
見下すような視線を向けられ、セレスの記憶の片隅がうずいた。婚約者だった時もこうして馬鹿にされ続けていたのだ。
生真面目で面白みがない。
言われるまま仕事を肩代わりする間抜け。
下を向いて顔を隠す〈傷もの〉。
――でも、もうセレスはうつむかない。
レオに愛されているから。
レオを愛しているから。
レオの妻として、仮面の男爵夫人として堂々とここに立ちたいとセレスは願った。
「陛下、以前にも夫が申し上げましたが、私の名を呼びつけるのはおやめくださいますか」
自分の誇りを守るための言葉をセレスが口にするのは――初めてかもしれない。
誰かのためではなく、セレス自身のために。
大切な真心を壊されないよう戦わなくては。
「夫は私をたいそう大事にしてくれます。留守中の不義を疑ったら、どんなに怒ることでしょう」
「ああ、怒り狂ったレオなど誰も止められないでしょうなあ。兄として断言します」
マティアスは後ろから口を添えた。
いちおう立会人としての分を守り控えていたのだが、リュシアンの無礼から貴婦人をかばうのは紳士のつとめだ。しかもセレスは弟の愛妻。ミレイユに嫉妬しているなどと侮辱されては黙っていられなかった。
「レオからは夫人のことをくれぐれも頼まれていますし、どう過ごしていたか細かく訊かれるはずでして……そうだ、たぶん今日帰着しますよね。そろそろここへ報告に来るのでは?」
「な、何!?」
「レオさまが戻るのですか?」
セレスはパアッと瞳を輝かせた。先ほどまでの冷静な話しぶりとは打って変わって少女のよう。仮面の下で頬を染めソワソワする。
「まあ……まあどうしましょう」
「どうもしなくていいんだよ、早く会えればレオも喜ぶさ」
「でも私が王宮にいたらびっくりしますでしょう」
「おっと、あいつの心臓が止まったら口づけて起こしてやってくれるかい」
セレスの恋する顔をからかいたくなりマティアスは軽口を叩いた。しかし国王の前でふざけすぎたかもしれない。リュシアンはワナワナ震えると怒鳴り散らした。
「黙れ! レオを驚かせたくないと言うなら、とっとと帰るがいい! あいつがここへ戦勝を捧げに来る前にな!」
憎々しげに扉を指さす。我に返って、セレスは深呼吸した。軽く頭を下げる。
「――取り乱して失礼いたしました。話を戻してもよろしいでしょうか」
「フン、よろしくなどない。出ていけ」
にべもないリュシアンへセレスは食い下がった。以前ならすぐに口が動かなくなっていただろうが、もうセレスは負けない。
「陛下、このままでは民の心が離れてしまいます。国庫を開いて民にほどこしを約束なさいませ。そして貴族たちには贅沢をいましめ、陛下がその手本となってみせるのです。きっと人々の尊敬を取り戻すことになりましょう」
これでも気をつかった言い方だった。今のマルロワでもっとも奢侈に溺れているのは国王夫妻。民の反感をかっているのは貴族ではない。
だがリュシアンは聞く耳を持たなかった。燃えるような目でセレスをにらみ、叫ぶ。
「下がれ!」
――大変な剣幕で命じられては、従うほかなかった。
✻
「それにしても、ずいぶん頑張ったね」
ため息とともに廊下を歩くセレスを横目でながめ、マティアスは微笑む。
勝てなかったけれど、まだ負けてはいない。セレスはそういう顔だった。
「お義兄さまにはご迷惑をおかけして」
「いや、いいのさ。私も言いたかったことだ」
「……私にできることをやらなければと思ったのです。戦うレオさまの隣にいたければ、逃げていてはいけない、と」
レオにふさわしくありたい。そう告白されてマティアスは立ちどまった。弟はなんて果報な男なのだろうか。深々と頭を下げる。
「レオのこと、よろしく頼むよ」
「おやめくださいませ」
慌てるセレスをマティアスは誘う。
「本当に王宮でレオを待つといい」
「……よろしいのですか?」
「言ったろう? レオが喜ぶ、と。待ってやっておくれ」
セレスは花がほころぶような笑みを見せた。
「では、甘えさせていただきます」
「レオが着いたら控えの間へ報せるよう手配するから。執事を帰して館へ伝えさせるといい。夫婦で帰る、とね」
宮殿の表へ向かう。すると何やら騒がしい足音が近づいてきてマティアスは眉をひそめた。現れたのは騎士団員を数人連れた団長フェルナンと、宰相ラヴォー公爵。
「父上」
「お義父さま」
驚くセレスに目礼し、フェルナンたちは奥へ消えていく。しかし公爵の方は息子のマティアスに用事があるのだった。
「商組合から要望書が届いた。緊急の会議を開かねばならん。マティアスも出席を」
公爵の顔は険しい。
商組合には倉庫襲撃を回避するための協力を求めていた。配給用の物資を提供せよ、と要求したのだが――。
「どんな返事でしたか」
問われて、公爵はセレスに目をやった。
聞いてはいけない話だとわかり、セレスは一礼して二人と別れた。




