第34話 セレスの覚悟
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差し入れを用意して孤児院を訪れたセレスは悲鳴を飲み込んだ。怪我人が多数いたのだ。大人も、子どもも。
青ざめながら駆け寄ってみれば、彼らは孤児院とは関係のない人々だった。
「何があったのですか!」
「なんでも、家に押し込まれたんだそうで……」
傷を洗う水を桶で運んでいた院長が答えてくれた。
「強盗ですよ。市場が閉まって売れなかった品物が家にあるはずだと」
「なんてこと……」
市場の周辺であちこちの家が荒らされたらしい。警ら隊の目をかいくぐる盗賊がいたのだ。
一時大混乱におちいった町からは住民が大挙して逃げ出し、教会などに身を寄せているという。
「私どもの孤児院はラヴォー男爵家のご支援を受けているので安全だ。そう言われたら受け入れるしかありませんな」
初対面では小ずるい弁舌で寄付を引き出そうとした孤児院長だが、運営に余裕が出たからか人の好いことを言う。率先して治療に働いているのを見れば根は人のためを思う気質なのだろう。
「だんしゃく夫人さま……?」
疲れきった細い声に呼ばれた。振り向くと、そこにいたのは炊き出しの時にパンをひったくられ転んでいた女の子だ。確か親は病気なのではなかったか。セレスは駆け寄って確認する。
「怪我はしていないのね、よかった」
「うん。おとなりに、どろぼうが来たの。父さんと母さん寝てなきゃダメだけど、危ないから逃げてきた」
「そう……怖かったわね」
「……うん」
女の子はベソ、と涙目になる。セレスはそっと腕を回して抱き寄せると背をトントンして励ました。
「ご両親がここまで来るのも大変だったでしょうに。あなたが守ったの? 勇敢だったわ」
「……あたし、がんばった」
グッと顔を上げ誇らしげにニコリとする女の子の瞳が透きとおっていた。
――それでセレスは覚悟を決める。私も勇気を出そう。
誰もがただ平穏に暮らしていきたいだけだ。
でもそのためには物事の流れを整える者がなくてはならない。品物の売り買いを守り、優れた才があれば取り立て、敵が来れば跳ねのけ、弱い者には手を差し伸べる。
レオは国境で戦った。
マティアスは政を支えようと奮闘している。
では、セレスが為すべきことは。
「――王宮へ行きます」
そう告げるセレスの声は、これまでになく凛々しかった。
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「どうして出てきたんだい!?」
執務室からすっ飛んで出てきたマティアスは、控えの間に義妹の姿を確認して目まいを感じた。無鉄砲な女性ではないと思っていたのだが何をしに来たのか。
セレスの椅子の脇にはひっそりと執事ダニエルだけが控えている。孤児院からセレスを守りながら共に来た下男たちはさすがに帰らせたのだ。
立ち上がったセレスは義兄に対して美しく一礼した。
「こんな時に申し訳ありませんけれど、陛下にお会いしたく参りました」
「陛下……? いや、そんな。君は」
「ご心配なさらないで。私、もうあの方の振る舞いに傷つくのはやめました。だって私、レオさまの妻ですもの」
セレスの声は落ち着いている。その凛とした佇まいにマティアスは目を見張った。
――リュシアンに会わせることは、できる。側近のマティアスならば。だがさすがに目的を知らずには伴えない。
「……何を奏上するのかな?」
「あれこれと。あらためていただかなければ民が救われません」
「それは理解するよ。でも……きっと受け入れてはもらえない」
「諦めないでくださいませ、お義兄さま。ご存知でしょう、小さな子が飢えていたことを。家々が盗みに入られているのは知っていらっしゃいますか。私の知る孤児院に、たくさんの人が逃げてきているのです。騎士団も警ら隊も頑張っているのはわかります。でももう……元を正すしか」
いつになく饒舌なセレスの勢いにマティアスは驚いた。キリリと前を向く瞳に宿る力に圧倒される。
(ああ……セレスティーヌは腹をくくったのだな。民を守り導くために)
ふ、とマティアスは笑った。それはマティアスの望むところ。ならば義兄として応えるしかあるまい。
「――わかった、じゃあ行こうか。ただし私も同席するよ、腕力では陛下が勝つだろうからね」
「心強く思います。お願いいたします」
怒りにまかせて暴力を振るうかもしれない相手なのは否定せず、セレスはうなずいた。
訪ねた国王執務室にはミレイユもいた。ずいぶん腹が目立つようになり、クッションを置いた長椅子に悠々と陣取っている。そしてマティアスが連れてきた姉の姿に嫌そうな顔をした。
「ああら男爵夫人。こんな所へなんの用かしら? そんなみっともない格好で、陛下のお目汚しだわ。お下がりなさいな」
ミレイユがせせら笑うのも無理はない。セレスは孤児院を訪問するために飾り気のないドレスをまとって出かけたまま来たのだ。
だがこの揺れる王都では、華美な装いの貴婦人など危なくて外に出られない。セレスは静かに言い返した。
「陛下、並びに妃殿下にはご機嫌がよろしくないご様子でしょうか。おいたわしく存じます」
完璧な一礼をするセレスの言葉にムッとして、リュシアンが声を荒らげる。
「何用だ。マティアス、何故こんな女を通した」
「宰相補佐官さまをお咎めにならないようお願いいたします。私はただ、忠告しに参ったのです。妃殿下の姉として、また陛下を支えた昔のよしみを持ちまして。お二人が民から憎まれるのをながめていたくはありません」
「――その放言、罪に問うてやるぞ!」
リュシアンが椅子を蹴立てた。マティアスは舌打ちをこらえる。これだからついてきたのだ。
「落ち着いて下さい陛下。ここは王としての度量を示す場面です。男爵夫人の話はまだこれからです」
「う、うむ」
リュシアンはこの補佐官が自分の味方だと信じている。そう思い込ませ、振る舞いの矯正をはからなかったマティアスの態度がリュシアンを堕落させた――とまで言うのは酷か。臣下で従兄のマティアスに、そんな責任はない。
だが今のマティアスは、真っ直ぐにリュシアンへ立ち向かうセレスのことを守りたかった。陰謀の真っ只中にあって、このセレスの純真はマルロワの良心なのだ。
マティアスにたしなめられ、リュシアンはもっともらしく胸を張る。そんな姿勢をとっても偉くは見えなかったが。
「では言ってみよ、男爵夫人。そなたの思う『忠告』とやらを」
「おそれながら、妃殿下の前では申し上げにくいことでございますので。退室を願えればと」
「はあ? 私をないがしろにするの!?」
セレスの言い分にミレイユは激昂する。
妹に生まれただけで、ずっと下に見られていた。そう思い込んでいるミレイユは、セレスに従う気など少しもなかった。
「陛下に何を吹き込むつもりかしら? 私も聞かせてもらうわ!」
「うむ、ミレイユにもいてもらおう。私にはやましいことなどないからな!」
どうやらリュシアンは浮気の疑いでも突きつけられると思ったらしい。ミレイユに歩み寄り愛おしげにふくらんだ腹をなでた。
「私にはミレイユだけだ。この子が産まれるのが待ち遠しいな」
「リュシアンさま……!」
熱いまなざしを交わす二人に小さなため息をつき、セレスはうなずいた。
「では仕方がありません、このままで申し上げますが――まずは誕生日の祝賀会を中止にするべきだと進言いたします」
ミレイユに内緒だった誕生祝い。それをバラされて、リュシアンはダンッと足を鳴らした。




