第33話 揺れる王都
王の執務室を逃げ出したフェルナンは、並んで歩くマティアスにしみじみと述懐した。
「貴殿のご苦労は並大抵のものではないな」
「――いたみいります」
マティアスもさすがに疲れ果てた顔をする。演技ではあるが、わりと本心だ。
暴言を投げつけられ、マティアスはさっさと「では行って参ります」とあの場を辞してきた。
少々不敬な行動ではあるが、フェルナンという証人がいるから大丈夫。非はリュシアンにある。国民へ王国軍を差し向けろとまで言われては、穏健派でチャーミングな騎士団長もリュシアンを見限ったに違いない。
「ですが仕方ない。陛下になんとかしろと命じられたわけですし、参りましょうかフェルナン殿」
「……現場に行かれるのか」
「力ずくでどうの、はやりませんよ。民を殺すなどあり得ない」
マティアスの目が憂いを帯びた。リュシアンがあそこまで馬鹿だとは。
「被害を受けているのは商人ですから……商組合に協力を求めましょう」
集まっている人々にほどこしをし、帰らせる。その物品の供出を付近の倉庫所有者に要請するのだ。不満は出るだろうが、これ以上暴力にさらされるよりマシなはず。
「説得に応じてもらえるかどうか。困窮する民へ無策だったのは私もなので、肩身が狭いですね」
「いや補佐官殿は努力していただろう。宰相殿も。皆が知っているはず」
「おっと、父にも相談してから行かねば」
苦笑いするマティアスは、どこから見ても貧乏くじを引かされている苦労人。謀略をたくらんだ側とは思えなかった。
「そうだ団長殿、レオはそろそろ帰着する頃でしょうか」
「おお、明日にも戻るのではないかな」
「うーん……留守に騒ぎを起こしたのは失策だった。あいつに心配かけたくないんだがなぁ」
兄としての面目を気にしてみせる。だがマティアスは考えていた。
(ちょうどいいぞ……レオが現場に駆けつければ、民心はこちらのもの)
腹黒な宰相補佐官は、着々とリュシアンを孤立させていくのだった。
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「――街で、騒ぎが?」
セレスはお茶を飲む手をとめた。
使用人が買い出しに行ったら市場が封鎖されていたと、家政婦長アネットが報告に来たのだ。
「なんでも川岸の倉庫が襲われたそうです。他で略奪が起きないように、人が集まる場所を警ら隊が閉じたんですよ、きっと」
「襲われた……」
というと、貧しさからの犯罪だろうか。飛び火を警戒するのだから、王都全体の雰囲気が不穏なことは誰もが感じているのだ。
「買い物ができませんので保存食料だけでなんとかしないと、と料理長が申しております」
「それはかまわないわ。でも市場の皆さんが困るでしょうね」
パン屋の明るいおかみさんはどうしているだろう。今日焼いたパンを売り切る前だったのではないか。それにその日暮らしの者たちが大変だ。その状況では仕事も食べ物も得られない。
「早く落ち着くといいけれど……」
義兄マティアスからはあまり表に出ず安全に留意するよう手紙をもらっている。その懸念が形となってしまい、セレスは気をもみながら窓の外に視線をやった。
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しかし騒ぎはすぐには終わらなかった。最初の襲撃があった倉庫は鎮圧されたが、どうも首謀者は逃亡したらしい。
翌日も警戒態勢が続いていたが、触発されたように小さな略奪行為がいくつか発生した。宰相補佐官が商人たちに掛け合って配給を始める予定だと警ら隊が布告しているが、民は半信半疑で口々にかまびすしかった。
「補佐官さまっていうと、マティアスさまか。あの人ならやれるんじゃないか? ほら前も、仮面のご婦人と一緒に炊き出しをして下さったよ」
「しょせん国王陛下の側近だろ。信用できないね」
「だけど国境で戦ってるっていう騎士団のレオさんの兄さんなんだって」
「そうなのかあ。なら平気かね」
「なあ、あの仮面の人ってレオさんの奥方だそうじゃないか。傷跡を気にしてるらしいけど、レオさんはぞっこんなんだと」
「そりゃ高慢ちきの我がまま女とかより、あのご婦人の方がいいやね。会ったことあるけど優しい御方だったよ」
民衆の意見は正直だ。仲のいい夫婦、信頼し合う兄弟の彼らなら何とかしてくれるかもと淡い期待が寄せられていた。
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民から人気の「仮面の男爵夫人」セレスはその日、館で焼いたパンを荷造りしていた。あとは林檎や酢漬けの野菜なども。それらを孤児院に差し入れるのだ。
「何も奥さまが行かれませんでも……」
「いいえコラリー。私が行きたいの」
以前訪れた孤児院は寒々しく、子どもたちに生気がとぼしかった。それを変えるべくセレスはささやかな支援を続けている。その縁で、炊き出しの日に助けた男の子もそこに預けた。
だが資金があっても市場が開かないと食べ物は買えない。どうしているか様子を見たくなったのだ。
「じゃあ参りましょう」
「はあ……そこらにウスターシュさんでもいませんかねえ」
コラリーがぼやいてセレスは笑ってしまった。貴族が住まう地区は騎士団が巡回してくれている。その一人を護衛に使おうとはコラリーもいい根性だ。
差し入れの荷物を抱えた下男や執事ダニエルも付き添ってくれたので、ひとまずの男手はある。でもセレスだって、ふと不安を感じた。それはレオが隣にいないから。
(こんな騒ぎの時に、レオさまがいてくれたら――)
レオから「大丈夫だ」と抱きしめられたなら、きっと何も怖くない。
(――でもあの人、暴徒の真ん中に突っ込んでいって仲裁を始めるかもしれないわ)
責任感の塊のような人だから。その可能性を思いついてセレスはぞっとした。後ろで待っていたら心配で死にそうになるだろう。
だがセレス自身もこうして外に出ている。それをレオが知ったらどう思うかというのが頭からすっぽり抜けているセレスだった。
今のセレスは、人々を助けなければ、としか思っていない。それがセレスの真心だから。
勝利の伝令を早馬で寄越したレオ。無事に帰還する手はずになったとマティアスから連絡があり、セレスは再会を心待ちにしている。
そのレオが今日にも王都に到着する速さで進んでいることを、セレスはまだ知らなかった。




