第29話 セレスにできること
相変わらず王都では食料不足気味の日々が続いていて、貧しい者の中には冬の寒さで倒れる人々もいるという。そのため温かい煮込みとパンを配ることにしたのだ。ボロを着込んだ人々が自前のお椀を手に列を作っている。
この慈善活動、資材の調達や調理に関しての協力・協賛はマティアスが買って出ていた。政務に忙しいはずの義兄なのに、当日は本人も足を運ぶ熱の入れようでセレスは恐縮することしきり。
それにしてもレオは、妻を愛称で呼ぶようになったきっかけのことまで兄に話しているのだろうか。
「パン屋のおかみさん、とっても明るい人なんです。でもレオさまったら、お義兄さまになんでも話すんですのね」
「知らないのかい? あいつは妻の自慢ばかりするんだ」
セレスはますます真っ赤になってしまう。そして思い出した。この義兄が自分たち夫婦の恩人なのだと
ずっと前からセレスに恋していたレオの気持ちを見抜き、自由の身になったセレスの嫁ぎ先としてレオをねじ込んだのだと聞かされた時には唖然としたものだ。それがあったからこそ、今のセレスは幸せなのだけど。
「お義兄さまとレオさまは本当に仲が良くて」
「もちろん。だってあいつ、可愛いじゃないか」
マティアスは満面の笑みで言い切った。頼もしいレオを「可愛い」と言われてもセレスは困ってしまうが。
「――そうだ、レオの秘密をひとつ教えようかな」
「まあ、なんでしょう」
「あいつ小さい頃――私のことを『にいたま』って呼んでたんだ」
真面目くさって暴露され、セレスはたまらず笑い出す。が、マティアスは残念そうに首を振った。
「舌っ足らずに私の後を追いかけてきてね。いつの間にか『兄さん』とか低い声で言うようになって、がっかりしたよ。まあ頼れる男に育ったからいいんだが……」
「もう! 仲良すぎですわ」
くすくす笑うセレスにマティアスは優しい目をした。
「レオは絶対無事に戻ってくる。心配かけてすまないが、もう少し我慢してほしい」
セレスは一瞬黙ってから――泣きそうになった。夫の不在に気を張っているセレスを案じ、マティアスは慈善事業に付き合ってくれたのだろう。そっと頭を下げて感謝を示す。
「私は……だいじょうぶです。こうしてお義兄さまも気にかけて下さいますし。町に出るようになって、いろいろな方と仲良くなれました」
「『セレスちゃん』だしな」
マティアスが目を細めて笑った時、炊き出しの列の向こうで悲鳴が上がった。女の子の声だ。そして何かがひっくり返るガシャンという音。
「返してっ……!」
泣き声が響く。そして大人の怒声。
「捕まえろ!」
「くそガキめ!」
セレスは思わず走り出した。何ごとだろう。
人々の向こう側にいたのは転んで泣いている七、八歳ほどの女の子だった。目の前に小鍋が落ちていて、配られた煮込みがこぼれている。
そして路地から引きずられてきたのは――もっと幼い男の子だった。五歳になっていないかもしれない。ブカブカの大人の服を無理やり着て、パンが入った袋を抱えていた。大人にぶら下げられるように引き出されたその子はやせ細り、瞳は虚ろだ。
「何が……?」
青ざめて尋ねたセレスに、居合わせた者が口々に教えた。
「転んでる嬢ちゃんは親が病気なんだ。炊き出しを持って帰ってやろうとしたのさ」
「そしたらそっちのガキが、パンをかっぱらって逃げやがった」
「え……!」
どうして。
列に並んでくれれば誰にでも分け与えるつもりのパンを、盗む子どもがいるなんて。
「こいつは浮浪児だよ。家も親もない」
「タダでもらえるって知らなかったんだろ」
聞こえた言葉にセレスは絶句した。
(そんなことすら教えてもらえずに――?)
地面に押さえつけられた男の子は泣きもしない。涙も笑顔も無くしたような表情がセレスの心をえぐった。
この子は親が死んでしまったか捨てられたかで独り路上に暮らしているのだろう。孤児院の存在も知らなくて、拾い食いや盗みで命をつないでいるのだ。
セレスは男の子のそばに膝をついた。
「――ごめんなさい、これまであなたを守ってあげられなくて」
そっと伸ばした手で、やせこけた頬を包む。ビクッとした男の子は初めてこちらを見上げた。セレスは泣きそうなのを我慢し微笑みかける。
「もうだいじょうぶよ、みんなと一緒にご飯を食べましょう――この子を放してやってくださいな」
「いや、でも男爵夫人……」
「お腹がすいているだけよね。ここのご飯はあなたも食べていいって知らなかったのでしょう? みんなで分けっこしていただこうと思って用意したの。そうだわ、ご飯の後で、お布団のあるおうちに連れていってあげる。どう?」
やさしい声に、男の子は目を見開いた。驚いたようにキョロキョロし始める。
おずおずと体を起こした男の子の汚れた髪を、セレスはためらわずになでた。
「……母ちゃん」
小さくこぼれた言葉は、男の子の孤独の証。
伝わる寂しさがたまらなくて、セレスはつい抱きしめる。男の子は抵抗しなかった。
「――よーし、ここにいる皆が証人だ。この子は孤児院で養われることになった!」
明るく宣言したのはマティアスだ。広場の耳目が集めたところでニコリとする。
「ラヴォー男爵夫人は弱い者を捨て置かない。いつも町の皆のことを思っているんだ。『騎士団のレオ』ともども頼りにしてほしい!」
ドッと広場が沸いた。どうなることか固唾をのんでいた人々が手を叩いて喜ぶ。
「おう、よろしく頼むぜ!」
「いいぞいいぞッ!」
「こらガキ、もうかっぱらいなんかするなよ。こっち来て飯を食え!」
男の子に大人たちからお椀が押しつけられる。女の子も助け起こされ、新しい煮込みをよそってもらい帰っていった。
セレスは人々が働くのを見つめた。
自分はまだ知らないことが多すぎる。王宮で学ぶだけでは何もかも足りなかった。
後悔をかみしめている横に来たのはマティアスだ。
「いやいや、さすがだったな」
それは騒ぎを丸くおさめた手腕のこと。セレスが無自覚にやっているのはわかるが、今日の件でレオ夫妻の評判はますます良くなるだろう。マティアスにとってはありがたい流れだ。
「いえ……私にできるのは、ささやかな事だけですから」
「そんなことはない。この炊き出しも、あの男の子が救われるだろうことも、すべて君がきっかけだ。一人で為せることは少ない。でも一人がやろうとすれば、ついてくる人もいるものさ」
「そうでしょうか」
「ああ。私はよく知ってるんだ、何しろ――」
マティアスはフフ、と笑う。
「ちょっとばかり国政にたずさわっているのでね」
「まあ! ふふ、今日は宰相補佐官さまにお手伝いしていただいて申し訳なかったです」
軽口で返したセレスの表情は明るくなる。
――いつも前を向いていこうと思えた。だって、独りではないから。
愛するレオも今、国境で奮闘しているはずだ。




