第24話 孤児院へ
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そしてセレスが出掛けたのはいちばん近い孤児院だった。
そういえば先代の王妃もこういう慰問を行っていたと思い出す。あれにはちゃんと意味があったのだ。王太子もあちこち視察するのがよいのではとセレスが提案したことはあるが、リュシアンが嫌がって実現しなかった。
訪問する孤児院は商業地区の向こう端にある。危険な地区ではないし、セレスがいつも礼拝にいく教会が運営するものだ。だから問題ない――と言い訳するのは、レオに無断で即日行動したからだ。
「奥さまに何かあったら私がレオさまに殺されます」
そう言ってダニエルがついてきた。コラリーもだ。申し訳ないとは思うが、セレスは王都の民のために何かがしたい。その気持ちに突き動かされるのを止めることはできなかった。
「奥さまったら、お出かけがクセになったんじゃないですか? てことは、まあ原因は旦那さまですもんね」
コラリーはケロッとそんなことを言う。この間のデートで街を歩いたことが発端なので間違いではなかった。
あの日はレオと二人で通った道を、ダニエルとコラリーを連れて行く。時間も昼下がりで、前よりは遅かった。
「あら、セレスちゃんじゃないかい」
いきなり明るい女性の声がした。「セレスちゃん」という呼ばれ方が慣れなくて驚いたが、見ればその人は、先日出会ったパン屋のおかみさん。大きな籠にパンを山盛りにぶら下げている。
「――まあパン屋さん。先日のパンはとても美味しくて、つい食べすぎました」
「あらあ、嬉しいねえ。セレスちゃんは小鳥ほどしか食べないってレオさんが言ってたけど、ウチのパンだからね!」
得意げなおかみさんの言葉を聞きながら、後ろでコラリーが「セレスちゃん……」とつぶやいた。必死で笑いをこらえている。
「あら、間違ってたかい? レオさんは『せれすてぃーぬ』って言ってたと思ったけど」
「いいえ、合っています。気安くしてくださって嬉しいわ」
「そうかい? あはは、じゃあこれからもご贔屓にね。あたしゃそっちの商会に配達なんで!」
まくしたてるとパン屋のおかみはさっさと行ってしまう。コラリーがたまらずヒーヒー笑い出し、ダニエルですら頬をヒクヒクさせた。
「すいぶん自由なご婦人ですな」
「……たぶんレオさまが貴族になったのもご存じないのよ。咎めないでね」
「はあ」
レオはずっと一介の騎士だった。とはいえ騎士団員はそこそこの家の子息だらけ。対等に話すパン屋も妙なものだが、たぶんレオがそうしてほしいと要請したのだろう。
それにレオの身分が変わったからといって、貴族の夫人を名前で呼ぶのは礼を失するなんて常識は市場にない。親愛をこめて「セレスちゃん」と呼んでくれて、むしろセレスは楽しくなった。
ゴホン、と咳払いしたダニエルはことさらキリリとしてみせた。
「それでも私はきちんと礼儀を保たせていただきますよ。さ、参りましょう奥さま」
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男爵夫人を名乗る仮面の女に突然訪問された孤児院の院長は、バタバタしながら迎えてくれた。
冬を迎えても院内は火の気がなく寒々しい。子どもたちと話すのはちょっと、と都合が悪そうにされた。身なりや栄養状態が良くないのかもしれない。セレスは慈愛に満ちた微笑みを浮かべてみせた。
「当家は独立したばかりで慈善事業をまだ何も行っておりません。こちらでは何か不足などございませんか? どこの施設を後援していくか検討しているところですの」
「おお、そういうことでしたか」
なんの用かとビクビクしていた院長は、この孤児院がいかに努力しているかを滔々と語り出した。
だが子どもたちを見せたくないほど困窮しているのは図星だったらしい。ぜひ支援をと懇願された。セレスの考えていたこととは違うが、まず基本的な衣食住が揃わなければどうにもならないのはわかる。
「……子どもたちに食べさせ眠る場所を与える以外に、できることはありませんかしら」
それでもセレスは尋ねてみた。
大人になって働ける技術を持たなければ、ならず者が増えかねない。それに働いて税を納められるようになってもらわねば国も破綻するのだ。しかし院長は笑顔で首を振る。
「手に職を、ですか。それは職人の徒弟になって覚えることでございます。希望する子どもは組合に紹介しますが……」
子どもの方も、どんな仕事をしたいかなど考える機会がないらしい。ここにいても関わるのは母体である教会の手伝いぐらいだから。
「そうですか……貴重なお時間をさいていただき、御礼申し上げます。ためになるお話でした」
優雅に微笑んでみせたセレスは、内心がっかりして孤児院を後にした。
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「……難しいものね」
セレスは少し歩いてから立ち止まった。そのつぶやきは返事を求めてのものではないとわかり、ダニエルもコラリーも黙っている。
制度としての孤児院で、ひとまず命をつなぐ子は多いのだ。運営する彼らが特に悪徳というわけでもないのだろう。
だがあそこでは、一人ひとりの人生を背負うことはできない。はい上がるには各人の才覚が必要で、そうなれるのは一握りの幸運な子どもだけだ。
(私には、何ができる……?)
セレスにはなんの力もない。王妃でもなく、ただレオに愛されているだけの男爵夫人には。
だけどセレスは「何もできない」と考えたくなかった。できることはある。きっと。
「――帰りましょうか」
顔を上げ、待たせている二人にセレスは気丈な笑みを見せた。でも強がりだとバレているようでコラリーがおどけてくれる。
「え? 奥さま、お散歩しましょうよ」
「あらだめよ。ダニエルには他の仕事もあるわ。これ以上時間を取らせるわけには」
するとダニエルは大真面目に一礼した。
「奥さまより大事なものはございませんッ……そうレオさまならお命じになるでしょうな」
二人の気づかいが嬉しい。落ち込んだまま帰ったら、むしろレオが心配すると思い直したセレスは少しだけ街をめぐることにした。
「コラリーの実家はどのあたり? 近いのかしら」
「いいえ、ここいらは大きな商会ばかりですもん。うちは布を扱っているんですけど、高級品じゃないんです」
「でも、ドレスを縫ってくれたのに」
「あれはお芝居の衣装で勉強したんですよ。劇場もいいお客さまでした。楽しかったなあ」
「まあ、お芝居!」
そうだ、最初にレオから街へ誘われた時には劇場も選択肢に入っていた。芝居は貴族から庶民にまで人気の娯楽なのだ。
でもセレスは劇場に行ったことがない。王宮に劇団を招き上演したのなら観たことがあるが。
「……奥さま、本当にお姫さま育ちなんですねぇ」
あんぐりと口を開けたコラリーは、「でも」と笑った。
「おっとりしてて、なんでも面白がってくださる奥さまにお仕えできた私は運がいいです!」
言い切ったコラリーは、劇場のあるあたりへ案内してくれた。




