第23話 動き出す心
「貴族にも庶民にも、不満を持たれるような噂を広めまして。できれば王都から兵の主力が離れているようなタイミングで小さな火種を撒こうかと。暴動につながるようなやつです」
「暴動はよくない。民に被害が出るような騒ぎは許容できんぞ」
「足もとで起こる騒ぎにも対処できない無能っぷりをさらけ出してもらいませんとねえ。そこであなたさまが辣腕をふるい、事をおさめる。それで人望が集約できますし」
「ふむ……」
「庶民ってのは『あいつらが儲けているせいで自分が貧しい』という話に踊らされるんで。マルロワの貴族や商人に被害が出るのがまずければ、矛先はビルウェンの大商人なんかでどうです?」
にこやかに同国人を売るギードにマティアスは片眉を上げた。たしかにビルウェン商人の大倉庫が王都にあるが。
「……それは、おまえの商売敵なのか」
「まあ、そんなところで」
ふふん、とギードは食えない笑みだ。この暗躍でギードにだって利があるのは当然のこと。でなきゃ危ない橋は渡らないのだ。
それにそんな裏がなければ相手も陰謀に乗ってはくれない。正義なんてものは人によって変わるが、金の価値はほとんどの人間が認めるものだから。
「ただし、最初の襲撃からすぐに事態を鎮圧して下さいよ。他国の商人にまで被害を広げては賠償問題ですからな」
「――ビルウェンは何を求めるつもりだ」
マティアスの舌は鋭かった。ギード個人の利害はともかく、ビルウェン王国としての報酬も要求されなくてはおかしい。そこを曖昧にしておいては何も始められないのだ。ギードはニヤリと笑って口を開いた。
――ビルウェン王国が求めるのは、国境地域の一部割譲だった。
指定されたのは歴史的に領有国が変わりがちな地方で、たまたま今はマルロワのものになっている。隣接するビルウェン側の領主が野心的でそこを欲しがっているらしい。
(そんなものを与えては、いずれ独立を求めてややこしいことになるだろうに)
そうマティアスは思った。だがビルウェンとしても何か国内事情があるとみえる。無視できない実力派辺境派閥と、いずれ叩き潰す口実が欲しい中央。そんなところか。
ビルウェンはそこで小競り合いを起こすかもしれない、とギードは匂わせた。
平定のための派兵で王都は手薄になる。そこで発生する商人襲撃騒ぎ。王都の混乱を受けて戻らなくてはならない軍は、早々に不利な和平に応じざるを得ない。という筋書きだ。
「あなたさまが……上に立たれたあかつきには、そのまま領土割譲に調印を」
「私が、か」
やや考えるそぶりのマティアスの判断をギードは待った。王位に就いて最初にやる仕事が領土の売り渡し、というのは確かに気分がよくないだろう。だがビルウェンとしてもこれは慈善事業ではない。マティアスはうなずいた。
「仕方があるまい。だが私が――とならなければ、この話は成立しないぞ。泥沼にならんよう努力してくれ」
「かしこまりました」
マティアスとギードはがっちり握手する。証文などは残さないが、それが信用というもの。言葉すら濁しての会話だ。
こんな内容がどこかに漏れてしまったら首が飛ぶのだ。比喩ではなく、物理的に。
✻ ✻ ✻
今夜もレオはセレスの寝台にいた。
のどから漏れる声を恥じらって、セレスはレオの肩にかじりついてしまう。レオにふれられると、セレスはわけがわからなくなってしまうのだ。
やがて果てたレオに包まれ、セレスはぐったりしながら微笑んだ。甘えて夫に頬ずりしようとしたセレスだが、「あ」とつぶやく。
仮面がほどけてずれていた。レオの下になって手が届かないセレスに気づき、レオは顔をそらしながら腕をどかす。セレスは荒い息のままそそくさと仮面を直した。
「すみません」
「いや。暗くて見えていない、安心しろ」
「……すみません」
セレスはもういちど謝った。
レオはセレスが嫌がることを決してしない。こんな時ぐらい妻の素顔も見たいのだが、セレスの方からそうするまで強いる気はなかった。
夫の気づかいはセレスにもわかっている。レオが薄い傷跡ごときでセレスを嫌うわけないとも知っている。だが――もうずっとこうして生きてきたし、勇気が出ないのだった。
微笑んだレオは妻にそっと唇を降らせる。まぶたに、頬に。そして仮面にも。
「謝ることじゃない。これがあることでセレスが安心するのならいいんだ」
「でも……私、ずっと仮面の下に隠れているんですもの。それって情けないことじゃありませんか」
弱音を吐くセレスなど珍しい。レオに対しては心を許しきっているのだ。ぞくりとしたレオはもう一度セレスを抱きしめ、意味をこめてささやいた。
「大丈夫。俺はもうセレスをぜんぶ知っているぞ?」
「そう……です、けど……」
恥じらうセレスにもう一度挑みかかりながら――レオは考えを巡らせた。
✻ ✻ ✻
「貧しい子どもへの施策がどうなっているか……でございますか」
首をひねる執事のダニエルへ、セレスは言葉を重ねた。
「私の領地では教会が孤児を拾い育てたり、貧しい人に施しを行うの。その支援を私もしています。王都でも同じですよね」
「だと思いますが……?」
でもセレスは納得いかなかった。
ならば何故、ひったくりに手を染める少年が出てくるのか。守りの手は子どもに届いていないのではないか。
「ええと奥さま、口を挟んでよろしいです?」
後ろからコラリーが手をあげた。もちろん口出ししてほしい。街中のことならダニエルよりコラリーが詳しいのだ。
「そういうのって親がいてもやるんですよ。ていうか親がやらせてるまであるんで」
「親が? 犯罪をやらせる?」
「です。手っ取り早く稼ぐためには盗むしかないってなるんですよね。何も持たずに街に流れ着いた人は」
手に職があれば職人組合に掛け合うこともできる。だがすぐに開業できるわけはないし道具も買い揃えなければならないのだ。
まずは一家総出で金を作りたい。しかし肉体労働は賃金が安いし子どもの体では無理だ。なら盗んでこい、となるらしい。
「そんな……」
「孤児院で育つ子も、何も教えられず仕事のあてがなくても大人になれば放り出されます。それじゃ何かの拍子に食いっぱぐれますよ」
「そうなったら罪を犯すしかないのね……」
もちろんすべての人間がそんな道を選ぶわけではない。地道に努力する人々を応援するのは当然なのだが、支援の手からこぼれ落ちていく者のことも捨てられないとセレスは考えた。
物思いに沈んだセレスは、「直接見てみなくては」と決めた。




