第30話 鈴園月報
「ここって……」
「司書の先生と図書委員がバックヤードに使ってる部屋。正式には資料室なの」
関係者以外立ち入り禁止の札が掛かっていた、カウンター横の部屋。
東側の窓をカーテンで覆われ薄暗いその部屋には、天井にも届きそうな大きく高い棚が壁を背にして、中央の長机を囲むように配置されていた。
長机には書きかけ読みかけの書類や本が積まれ、使いっぱなしの油性ペンやボールペンが散らばっている。
「電気点けるね。それで確かこっちに……」
小路信者にして図書委員だった雀子の案内に従って長机を回り込み、深衣とカルテは本や書類のファイルで埋まった棚の前に立つ。
雀のヘアピンを着けた少女が手を差し伸ばしたのは、台紙に挟むようにファイリングして保存された古い紙の束の羅列。その中の一つを取り出して、深衣へと渡してきた。
[鈴園月報 2017年 7月号]
「これって……学校新聞のバックナンバー、なのです!?」
「そう! リニューアル前のやつなの!」
「え、今のってリニューアルしてたの」
「ふっふっふ。実はそうなんだよ、大宅さん」
それは生徒一般には知られていないこと。かく言うスズメもつい最近知り得たこと。
鈴山学園高校新聞部によって毎月刊行されている学校新聞『鈴園風便り』は三年前の一年生、現在は卒業した生徒が復刊を企画したものだ。
それ以前に刊行されていたのが、今カルテが渡された『鈴園月報』。棚には2007年から約十年分が揃っている。
「夏休みに始めた資料室の片付けがちょうど先週終わってさ。その整理中に『七不思議』って文言をどっかで見たなあって記憶があって……たぶんこの中のどれかに書いてあったと思う」
「あ、ありがとう。読んでみる」
「ありがとうございますなのです!」
「いいっていいって! 詳しくは聞かないけど、小路さまのためになることなんでしょ? だったらこれくらい当然です!」
それに……。そう言うと雀子は二人に正対してから、やや目線を下げて俯き。
唇を一度強く閉じて、もう一度開いて空気を取り込んでようやく、強張った笑顔もどきの表情でその言葉をつづけた。
「ごめんね。今までずっと。……見てみぬフリ、してて」
「あっ……」
「…………別にいいわよ」
カルテは背を向けて黙り、古びた学校新聞を読み始める。
深衣はカルテの内心を代弁すべく、一歩前へ出た。
「あたしたち、まだ区切りが付けられていなくて。ごめんなさい、『許す』とは簡単に言うことができないのです」
「っ……そだよね」
「でも、受け取ります。スズメちゃんの後悔と、反省と、謝りたい償いたいっていう気持ち。今すぐにはそれを許容できなくても、きっとこの先、スズメちゃんを許せる日が来るように」
「レイさん……。ありがとう、ね」
声に震えが滲む。彼女が抱いていた恐怖が、振り絞っていた勇気が、押し寄せる安堵が、深衣に伝わる。
衣擦れの音がカルテに聞こえないようゆっくりと動いて、深衣は雀子に軽い抱擁を交わして、耳元で囁いた。
「こちらこそ。ありがとうなのです」
「なんでレイさんがありがとうなの、もう。あー、ちょっと涙ぐんじゃった。わたしもう行くね! 図書室は十八時には締めちゃうから、あと一時間くらい、ゆっくり調べていって!」
「はい! ご親切痛み入りますです!」
「それじゃっ!」
跳ねるように資料室を出る雀子を見送って、深衣は振り返る。
カルテは新聞を読みながら壁の直前まで前のめりになって俯いていた。読むのに集中しているようにも見えるが、その背中から漂うのは胸を裂くような哀愁と自己嫌悪。
カルテはクラスメイト全員を蔑視していた。理由はもちろん、いじめられている自分たちを助けなかったから。
故にその有象無象の一人と見なしていた雀子から謝られたことに彼女は戸惑った。赦しを欲する彼女に苛立ち、許せない自分の小ささに虚しさを覚え、それを言葉にすることから逃げた弱さを呪っていた。
心をぐちゃぐちゃにして、目で追う新聞の文字が何を伝えているかなどまるでわからなくなっていた。
「カルテちゃん」
「………………」
「いずれ、許せる日が来るのです」
「…………誰を?」
「みんなを。スズメちゃんを、クラスのみんなを、そして自分を」
「…………エミとリコは一生許さない」
「……はい」
「……今は、それでいいわよね」
「はい! 今は、それでいいのです!」
目元を拭い、気を取り直して新聞を最初から読み直すカルテ。
深衣は隙間のできた棚を探り見て、最も古い号を取って読み始めた。
みんなを許せるいつかの日。
その日に辿り着くために、二人は調査を進める。
◇
「ない」
「はい。ありません」
五十分。二人は七不思議の情報を求め十年分の学校新聞に目を通した成果をまとめていた。
それは端的に述べるならば、「ない」ことがわかった、これに尽きる。
というのも。
「『鈴園月報』は毎年7月号で怪談特集のコーナーを設けていました。2007年の7月号から2016年の7月号まで、学校・地域・街での怖い伝説や噂話を取り上げているのです」
「クロユリさんも載ってたわね。まあまとめサイト以下の概要文程度だったけど」
「そうですね。広く浅く網羅的に流行を取り上げて導入とし、ローカルな怪談一本を主軸に据える。それがコーナーのテンプレートになっているように見えたのです」
「標戸の学校なんだから怪談は定石、ネタ切れの心配もなし。だろうに、この2017年の7月号だけは……怪談特集がない」
九年間続いてきたコーナーが突然の休載。
しかもこの号より先は資料室中を探し回っても出てこず。
そしてそれは2017年、八年前。
『禁七』が誕生した年だ。
「多分だけど、学校側による七不思議禁止令のせいでしょうね。禁七がネットで噂されるようになったのが2017年の冬。その前に地域で広まって、さらにその前に学校で事件になっていたとしたら、時期は二学期始まってから二か月か三か月ってとこ。9、10、11月号は回収されちゃったんでしょ」
「まさにその三か月を読みたかったのですが……」
「よくよく考えてみれば、わざわざ禁止にした七不思議の情報を学校が置いとくわけないかぁ……」
椅子に座るカルテはため息を吐きながら長机に突っ伏す。
対面に座った深衣は見落としがないかと、もう一度最後の新聞を読み直していた。
時候の挨拶から期末テスト終了を労う文。
中庭の植生の観察から季節の変化を愛で、部活動の功績を称え夏季休暇に控える練習や大会に向け鼓舞する文。
ここで一面を全国大会に進出したダンス部部長へのインタビューに割いており、おそらくこのために怪談コーナーが削られている。
「…………?」
そのインタビューの文章になにか引っかかる深衣。
彼女に刻まれた『共感の呪い』は、それが感情を伴って綴られたものなら文章からでさえ思いを感じ取ることができる。
インタビュワーの質問に答えるダンス部部長の女子生徒の感情は、緊張、喜び、自信、自尊心……だが、それをぼかすような、あるいは飾り付けるような気配を深衣は心の内に読み取っていた。
これはきっと、このインタビューを書き起こした人物の心。
努力の末に栄誉を掴んだ部長が輝かしい存在として伝わるよう、脚色といわれない範囲での編集と表現を考えに考え抜いた誰かの、優しい気持ち。
それが誰なのか確認しようと、深衣は新聞の表紙を見た。
『鈴園月報』のタイトル、年月の副題、その下に新聞部メンバーの名前が記されている。
[武部千代 服部蝶華 志田梨乃 加洲姫綱]
「……かしゅう、ひめつな……?」
「ん? どしたの?」
「あ、いえ、この記者の人の名前、なんと読むのかなと不思議になっただけなのです」
「んー? ……たけべちよ、ふくぶちょうか、しだりの、かしゅうひめつな」
「この人は『はっとりちょうか』さんだと思います」
「は? なに? まあそれもありえるかもね。だったらこっちは『かしまきづな』ってこともあるかもね。州は『しま』とも読むし姫は『き』とも読むしね。アタシだって漢字くらい読めるんだから馬鹿にしないで」
「か、カルテちゃん、今なんと……」
「なに!? そんなにアタシが漢字読めるのが意外だっての!?」
「違うのです! そこじゃなくて、えっと、この人の読みが……」
[加洲姫綱]
きづな。
その響きに深衣は強烈にデジャヴを感じる。初めて見聞きするはずなのに、日常的に聞いていると錯覚する。
……いや、それは錯覚などではなく。
確かに彼女たちは、その名前に慣れ親しんでいた。
「お二人ともー? そろそろ閉室の時間だけどー」
「スズメちゃん……あたしたち一年四組の、担任の先生のフルネームは何だったでしょうか」
「えっ、フルネーム? えっ……となんだっけ、あ きずなちゃーん! きずなちゃんのフルネームってなんだったっけ?」
二人を呼びに来た図書委員は資料室の入り口からカウンターの向こうへ叫んだ。
退室時間を過ぎて生徒の去った図書室。夜闇の窓から灯りの残る校舎を眺めていた教師は振り返り、図書委員に近づいて説教する。
「図書室ではお静かに、雀子さん」
「えへへ、人いないしいいかなって……。それで、お名前なんでしたっけ?」
「はあ。みんな『きずなちゃん』って呼ぶから誰も覚えてくれてないのよね……」
深衣とカルテは椅子から立ち上がって、出入口の扉へと歩み寄った。
扉の向こうで困り顔を浮かべて立っていたのはクラスの担任教師。借りていた本をギリギリで返しに来たついでに、委員の戸締りを確認すべく残っていた先生。艶のある茶髪をシュシュでルーズサイドテールにした、甘い香りの優しい女性。
「加洲姫綱、だよ」




