第12話 先と後の繋ぎ目に
スマートフォンの画面に浮かぶ[10月6日 (火)]の表示。
都市伝説怪異【人生破壊光線女】を倒してから、十三日。
深衣に焼き刻まれ消えることのなかった『いい子の呪い』、これを相殺できる『悪い子の呪い』を探す日々はここで一度中断となった。
「キミのその霊媒体質を借りたい」
昼休みに陰陽師少女・蘆屋小路と交わした会話の内容を深衣は振り返っていた。
彼女たちの通うこの学校、私立鈴山学園高等学校では、かつて七不思議に関わることの一切が禁止にされた。標戸のマイナー都市伝説【S高の禁じられた七不思議】その現場であった。
怪異の一部と目される生徒の霊が昼間にも大量に湧き出しており、何度祓えど消えることがない。
怪異を作り出していると考えられるのは、実際に七不思議を禁止にされたのであろう九年前からその恐怖を引き継いで残している者たち……学校の先生。
彼らはなぜか自分たちに『黙殺の呪い』を掛けていて、校内で起こるトラブルに対し徹底的に冷淡な態度を取り、しばしば隠蔽する。
小路は担任教師の呪いを解いて学校設備の不審点や怪異について問いただそうとしたが、呪いによる洗脳から醒めた女教師立山は狂を発し、自殺に走った。
他に解決の糸口も見つからず、もはや怪異を直接退治して状況の打開を試みることしか小路には残されていない。
しかし都市伝説怪異、小路たち陰陽師が言うところの伝承怪異には、それらに遭遇するための『条件』を備えるものが少なくない。
先の光線女は「人生の幸福を味わっている少女であること」。
今度の学校の怪談では、トイレの花子さんが「女子トイレの一番奥の個室を三回ノックする」というように。
『条件型』と呼ばれる怪異はその条件を満たさなければ通常現れることはない。
故に小路は、深衣の『霊媒体質の呪い』を必要とした。
彼女の体質は「穢れを散らし、霊を遠ざけ、しかし怪異は引き寄せる」。怪異少女がかつて言ったことによればそれは、「条件を満たさなくても『実体条件型』が見えるレベル」。
深衣を連れて夜の学校へと入れば、すべての七不思議怪異と遭遇できるはず。向こうから近寄ってさえ来るだろう、彼女はそう考えていた。
スマートフォンを閉じて、黒い液晶に映る自分の顔を見つめる。共感の呪いは意識を向ければ自分の顔からすら感情を読み取る。
決意、不安、恐怖、喜び、緊張。様々な思いが渦巻く中に、一つ。深衣自身も気づかなかった小さな小さな疑問を見つけた気がして、小首をかしげて注視してみる。
傾げた頭の後ろに誰かが立っている。
「ひぃっ!!」
「わあっ、ごめんなさい!」
机を押し出して立ち上がった深衣。
照明の白に西日の橙が混ざり合う教室、彼女の後ろに立っていたのはゆったりしたブラウンのロングスカートから甘い香りの漂う女教師。
一年四組の担任、加洲だった。おっとりとした顔立ちに驚嘆を浮かべつつ、「大丈夫?」と声を掛けてくる。
「すみません、気づかなくて、ビックリしてしまっただけなのです」
「それもだけど……」
「?」
疑問符を浮かべる深衣の額に手を添えて、彼女に熱がないかを確かめる加洲。
細く柔らかな彼女の指は深衣の頭よりやや冷たい。
ぴたりと触れるその体温の差。そこから彼女の意図を深衣は心の内に再現する。
──最近眠気と戦っている姿を見なくなって安心していたのだけど、まだ体調が優れないのかしら……。
「う」
「熱はないみたいね……。悩み事でもあるの?」
「いえ。その、ごめんなさい。居眠りが多かったのは頭痛が酷くて睡眠が足りなかったからなのですが、今は定期的に治してもらえているので! これからはしないよう気を付けるのです!」
「え? そ、そう。じゃあ、よかった……のかな? まあ無理はしないようにね。ホームルームが終わったのにずっと座っていたから、気分が悪いのかと思っちゃった」
「お気遣い感謝いたしますです、先生。ですが、先生の方こそ疲れているように見えます。お大事になさってくださいなのです」
「うん…………やあ、冷杯さん、なんかほんとに丁寧になったわねぇ」
──前までもっと雑な、これくらいの言葉遣いでいいでしょみたいなタメ口だったのに。
よく見ていらっしゃる、と深衣は小さく驚いた。一学期までの深衣は教師に対して畏まりすぎず舐め過ぎずの絶妙な感覚で接し、多少の無礼は成績の良さで見過ごさせるというスタンスを取ってきた。好んで関わることはなく、故に加洲のことは「優しくて人気の先生」くらいのイメージしかない。
今こうして、内心を写し取る呪いを受けた身で相対してみると。
──二学期デビューって次元じゃないわよね。人格大工事……リフォーム、いやフルリノベーション? もう別人みたいなもの、よね……。何があったのか聞くつもりはないけど、きっとよっぽどのことがあったはず。支えてあげなきゃ!
その印象は何も間違っていなかったとわかる。
「冷杯さん。重ねて言うけど、無理しないようにね。不登校なんかは困るけど、一日二日学校を休んでリフレッシュするくらいなら、先生アリだと思うから」
「そんな!! 学費を出してもらっている身で学校をサボタージュするなんていい子のすることではないのです!!」
「おおう、それはそうだけれど」
でもね、と額に添えていた手を頭の上に持ってきて、深衣の髪を撫でながら加洲は言う。
「良いことばっかりっていうのは疲れちゃうから。一番大切な自分を守るために、二番以降の大切さんに時々ちょっと傷ついてもらうくらいが、先生おすすめの生き方」
──誰かを傷つけてもいい。何かを間違えてもいい。無理して合わせて自分を壊してしまうより……絶対にいい。
「先生もどうしようもなく疲れたときは布団でごろごろショート動画見てる。資格の勉強さんをお休みしてね」
穏やかで温かな愛情を湛える声で加洲はくすくす笑いながら言った。
つられて深衣も笑って、ぽかぽかと心の温まるのを感じる。
『黙殺の呪い』があるにも関わらず、彼女は生徒に積極的に関わって優しく接してくれる。それはこの学校にやってきてまだ一年ちょっとという期間の短さのためか、はたまた彼女の性格に起因するものか。
きっと後者だろう。深衣は思った。
なにせあのリコとエミが一学期に数回しか陰口を叩かなかったほどだ。加洲先生にはきっと呪いに負けないほどの生徒を想う心が……。
そこまで考えてハッと覚めたように思い出した。
「先生! 聞きたいことがあるのです!」
「はい!? な、なあに?」
「リコちゃん……相島莉子さんと三重寺笑美さんがずっと学校に来ていないのですが、二人のご両親から何か聞いていることなどありませんか?」
「……………………」
相島莉子と、三重寺笑美。一学期には冷杯深衣と一緒になって大宅カルテに凄惨ないじめを加えていた二人。
二学期には一転してカルテを庇った裏切り者をいじめの対象に移したが、最後にはカルテから痛烈な反撃を受けることとなり。
九月半ばのあの日以来、二人は一度も登校してきていなかった。
あれから二人はどうしているのか。
問われた加洲の目玉はぐりぐりと上へ回転し。
──知りたくない。聞きたくない。もうやめてほしい。知りたくない。聞きたくない。もうやめてほしい。知りたくない。聞きたくない。もうやめてほしい。知りたくない。聞きたくない。もうやめてほしい。知りたくない。聞きたくない。もうやめてほしい。知りたくない。聞きたくない。もうやめてほしい。知りたくない。聞きたくない。もうやめてほしい。知りたくない。聞きたくない。もうやめてほしい。知りたくない。聞きたくない。もうやめてほしい。知りたくない。聞きたくない。もうやめてほしい。知りたくない。聞きたくない。もうやめてほしい。知りたくない。聞きたくない。もうやめてほしい。知りたくない。聞きたくない。もうやめてほしい。
優しかった眼差しが充血した白目に変わる様を深衣は目撃した。無感情に閉じられた口からは先ほどまでの温もりは一切感じられず、押し込めるような沈黙はこれ以上この話題を続けることを不可能にする。
「ごめんなさい、なんでもないのです」
そう深衣が告げると、まばたきをした次の瞬間には加洲は元の優しい教師に戻っていた。
「あんまり放課後の教室に長居しちゃだめよ。あっちでスマホとにらめっこしてる大宅さんにも言っておいてね」
「はい……なのです」
それじゃ。小さく微笑んで加洲は教室を出て行く。
その後ろ姿が扉の小窓の向こうから消えるのを見届けてから、深衣は茫然と独り言ちた。
「……あれも、『黙殺の呪い』のせい……なのですよね」
本来の彼女なら、不登校の生徒を放っておくようなことは絶対しないだろう。
保護者と連絡を取ったり、交流のあった生徒から事情を聞いたり、家を訪ねて直接会ったりして寄り添ってあげようとするだろう。たった今深衣にしたように。
たとえそれが、見下していた相手に殴り飛ばされプライドをズタボロにされた惨めないじめ加害者であったとしても。
さっきの『黙殺』を、呪いによる洗脳が解けた加洲が自分事として直視したらどうなるだろうか?
その答えを深衣はすでに見ている。
あれがもう一度起こるようなことは絶対に避けなければならない。
席を立ち、教室の隅の席でスマホに向かって悪戦苦闘しているカルテに声を掛ける。
「行きましょうカルテちゃん! こみ先輩と合流して、七不思議退治の作戦会議です!」
「えっ? あ、そうね、そうそう! 行きましょっか!!」
早く事件を解決して、元の先生に戻してあげなくては。
深衣は決意を再び固めた。




