これで終わり
ばつん、と、まるで強制的に意識が分断されたようだった。
アルコの街が襲撃されたとき、黒い泥のようなものに捕らわれた、あの時の感覚に似ている。
何もない真っ暗な空間で、自分が立っているのか浮いているのか、動いているのか止まっているのか、何もわからないままただそこに「在る」のだ。
暗闇に包まれてはいるが、暗闇はミスティを覆い隠そうとはしない。自己というものは認識しているのに、他がまるでわからない。認識できない。それを空間と呼んでいいのか、それとも概念なのか、それすらも。
どうしてこんなことになるのだ。どうしてこんな目に遭うのだ。
最後に見たあの人影は、あれはバーチだった。顔など見ていないがあの声はそうだ。
やはりアイツが元凶なのだ。きっとミスティがこれまでバーチにしてきたことを恨んで復讐していたに決まっている!
バーチ、あの愚図! 役立たずの分際で、よくも復讐なんて!
だいたい、何が復讐だ。仕事を与えてやっていたんだろう。愚図で間抜けなお前を、それでも我慢してパーティに加えてやっていたのはこっちではないか!
王侯貴族と同じ空気を吸えただけでもありがたいと思ったらどうなのだ。そうだ、復讐されるなんてお門違いだ!
殴られたり蹴られたりするのはお前が愚図の木偶の坊だからではないか! それなのに逆恨みするなんて!
これでまた死に戻ったりした日には、まずはお前を殺して……
直情型ですぐカッとなるミスティにとって、罵倒は呼吸のように吐き捨てるものとなっていたが……不意に、思い立った。
そうだ。殺してしまえばいいのだ。前回はルイを巻き込んだのがいけなかった。バーチ一人を殺せば済む。どうせアイツは追放される身だ、一人になったところを狙えば誰にも邪魔はされない。
アイツが宿を出て行ったところを尾行して……ああそうだ! どうしてそんな簡単な事に気付かなかったんだろう!
そうと決まればこんなところすぐにでも出て……いや待て、どうやってここから出ると?
ミスティはずっと思考だけを続けていたが、その間動くことも声を出すことも出来ていない。
前回同じような状況に陥った時はどうだっただろうか。
あの時は勝手に目が覚めたのだ。気が付けばいつものアルコの宿の部屋、日付が巻き戻っていた。
今回はどうなるのだ。またあの時のように勝手に目覚めるのだろうか。だが、一つ問題がある。もしこれが死んだ状態であるとしたら、一体「いつの日」に、戻るというのだ。
ミスティが前回死んだ理由はジョルジオ以外の仲間を魔力暴発のような形で殺し、処刑されたこと。これは死に戻りの日から数日が経過してから処刑されたため、目覚めたのはタミト月の20日だった。
その目覚めた日の夜に、ミスティはこの状態に陥った。
目が覚めた場合、それは「何日に」なるのだろうか? これまでと同じように翌日に目覚めるのだろうか? 例えば目覚めるた時が21日だったとして、それは「死に戻った」状態なのだろうか?
それともこれは夢で、ただ寝て起きただけの状態となるのだろうか?
或いは……これは一番あってはならない事態だが……そもそも、目は、覚めるのか?
ミスティは急にゾッと寒気を感じた。動くことも出来ない状態なのに、そういう感情だけは溢れるように湧き出してくる。
これまで生き返ったから今回も生き返るなんて保証はない。そもそもこれまで生き返っていた方がおかしいのだ。もしかして生き返ったと思っていたのは全部幻想で、最初に死んだ時に全て終わっていたのではないのか?
もしかして、死んだことに納得が出来ずに何度も繰り返し生き返っているように錯覚しているだけで、本当は意識だけの存在になっているのではないか?
今、ここで、思考しか出来ず、その他の一切のことができないのが、その証拠なのでは?
まさか。
そう思うのに、完全に否定しきれない。全ては自分の意識が見せている都合のいい夢だったのではないか? だから何度も生き返ることが出来た。それでも実際には死んでいるから、生き続けることが出来ず何度も何度も死んでは時間を戻してまた生きようとしているのでは?
そう気付いたところで、ミスティにはどうすることも出来なかった。暗闇は暗闇のまま、意識は意識のまま。状況は何一つ、変わることもない。
いや、悲観するべきではない。
ミスティは思い直した。これまで何度死んでも生き返る想像が出来ていたのだから、また同じようにすればいいのではないか。自分は死んでいない。すぐにまた目が覚める。今度は何日に戻ろうか。うんと前に戻るのもいい。
そうして死んだことなど忘れて、何度でも人生をリセットしてやり直すのだ。その間減った金もやったことも、死ねば全部リセットされる! むしろそう考えればなんでもやりたい放題ではないか。
ミスティは自分の生きている姿を想像しようとした。大金を使い、買い物をして、見目のいい男たちを侍らせて酒を飲み、朝まで遊ぶ。気に入らない奴には遠慮せず魔法をぶっ放してやればいい。だってどうせ自分が死ねばリセットされるのだから!
王子を殺してもリセットされたのだから、これ以上気に留めることなんてあるだろうか。ない! そんなものは存在しない!
さあ、遊興の始まりだ。最初のアルコの街の凱旋の宴あたりまで時間が戻ればいい。そうすれば何もかも思い通りだ。さあ、すぐにでもこの暗闇を追い払って生き返ってやる。
ミスティは意気込んだ。意気込んだだけで、特に何の変化も起こりはしなかった。
暗闇は暗闇のまま、意識は意識のまま。動くことも話すことも出来ず、自分以外は存在しない。
どうして。
何度も何度もやり直した。しかしどれだけ歓楽を想像したとて、現状は変わらなかった。暗闇だけが続いている。時間も空間の概念もなく、流動するものは一切感じられないまま。
この暗闇の中で気が付いてどれだけの時間が経ったのだろうか。眠いだとか空腹だとか言う感情もない。何も変わらないままだ。
変わらない。どうすればこの状況を変えられる? ずっと遊興を想像出来ていたはずの脳は不安に駆られたのか、いつの間にか幸福な状況を生み出せなくなっていた。
焦り、不安からか、何度も何度も死んだときのことばかり思いだされる。
ギーカの魔獣、あれには何度も殺された。雑魚のはずの狼に囲まれたり、爪で引き裂かれたり、胸を一突きにされたり。
それからも散々だった。不死者に囲まれ、吸血鬼に襲われ、不気味な泥に飲まれ。ようやっと魔獣を倒した後は人間の手で殺された。二度もだ。一度目など、地位も権力もない田舎娘のせいで!
焦りや不安とともにまた怒りが湧き上がってくる。なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか。これまでも、今だってそうだ。
いつだってミスティは割を食っているのだ。誰かのせいでこうなったのだ、と。
ずっとそう思っている。自分が悪いだなどと思ったこともない。何故ならミスティは公爵家の尊い血を継いでいて、自分こそがスタンダートであると思っているからだ。
ミスティの役に立たないもの、ミスティの足を引っ張るもの、ミスティに利益を生み出さないものは全部悪なのだ。
だからこうなったのもバーチのせいだし、何度も死んだのは仲間が無能だったせいだし、魔物以外が原因で死んだのは全部関わった人間のせいだ。
それがミスティの世界の中の常識であり、ミスティの世界で唯一正しい理論なのだ。それ以外は認められない。特に、ミスティが悪いなどということは一切受け入れられない事なのだ。
ミスティはただただこの事態を恨んだ。怒りと憎しみばかりが募り、遊興に耽るなどと言ったことは一切考えられなかった。
ただ憎い。憎い。特に、元凶になったであろうバーチは、絶対に許さない。
早く、早く戻らなければ。生き返って元凶を断つのだ。そうして自分に不都合な存在は消してしまえばいい。公爵家ではそういう風に育ってきたのだから、それが正しいのだ。
しかしミスティの思いに反して、暗闇は依然暗闇だった。
どれだけの時間が過ぎたのか、そもそも時間が過ぎているのか、それすらもわからないが、ただひたすらにミスティは暗闇の中で存在し続けた。
いつ終わるかもしれない。終わらないかもしれない。そんな恐怖と焦燥と、それに対する怒りが何度も何度もぐるぐると輪を描いてるようだった。
もうこのままなのだろうか。
そうして、憔悴したミスティの意識が遠くぼやけ始めた頃、暗闇に変化が起きた。
揺らぎがある。遠く、一瞬だが、何か光った気がした。ちらちらと揺れるそれは、まるで水中から見つめた水面のようだった。
周囲は暗闇のままではあるが、そこはある種の出口かのように見えた。
しばらくすると、さざめきのように何かが聞こえてきた。声だ。それもさっきの光と同じで水の中から外の音を聞いているように、くぐもって反響して、言語としては認識できない。
ただ、何らかの声が聞こえる。それも、何かその揺らぎの向こうからミスティに呼びかけているようだった。
徐々にミスティの意識がはっきりと戻ってきた。暗闇の中での自分と言うものを認識できるようになった時、その声と揺らぎは一層強くなった。
揺らぐ箇所から光がゆっくりと漏れ始めた。暗闇が暗闇でなくなった。ミスティは自分の体が動くようになっていることに気がついた。相変わらず暗闇は暗闇だったが、その中を自分の足で、しっかりと歩いて動けるようになっていた。
揺らぎからの光がゆっくりと広がるにつれ、揺らぎの向こう側の闇が薄くなって行く。光の向こう側に何か見える。部屋だ。見覚えがある。まだ暗闇と揺らぎではっきりはしないが、あれはアルコの宿屋の、ミスティの使っていた部屋だ。
豪華な調度品、大きな窓、ベッドの天蓋。ミスティはそちらへ向かって走った。きっとあれが出口だ。生き返るための扉だ。
光が、出口がゆっくりと広がっていくうち、向こう側の風景に変化があった。人影だ。仲間が来たのだろうか。もしかして、誰かが起こしに来たのかもしれない。ヴィヴィか、もしくはジョルジオか。
だから急速に闇が書き換えられたのだろうか。
ミスティは揺らぎに向かってひた走った。そんなに遠くはないはずだが、随分時間がかかる。しかし問題ない。揺らぎの方が大きくなって、ミスティを呑み込もうとしている。
このままこの揺らぎに飛び込めば、きっとまたアルコの宿のベッドで目が覚める……。
声は、ミスティを呼んでいるようだった。ようやく単語として聞き取れるところまできた。ミスティの名を呼んでいる。
恐らくヴィヴィだろう。ずっと呼び名に敬称がついている。ミスティに敬称を使うのはヴィヴィか、もしくは……
不意に揺らぎから出る光が強くなり、向こう側が鮮明に映った。手を伸ばす。その向こうにミスティの日常がある。もうすぐ、ここから抜け出せる。やり直せる。
まだ大丈夫だ、生き返れるのならどうにでもできる。ここから挽回を……
『ミスティさん』
揺らぎに手が届きそうなほど近付いた瞬間、映り込んできた人影にミスティは驚愕した。
揺らぎを覗き込むように顔を見せたのは、ヴィヴィではない。バーチだ。まさか。ミスティを散々怖がって出来る限り近付いてこなかったバーチが、どうして。
まさか、まさか自分が生き返った瞬間を狙ってまた殺そうとでもしているというのか?!
ミスティの頭に一気に血が上った。まさしく噴火とでも言うべきか、暗闇の中でひたすらに燻り続けた怒りが、バーチの顔を見たことで爆発してしまった。
勢いよく腕を伸ばし、揺らぎに手を突っ込む。
届いた!
その瞬間、まるで何かに引っ張られるようにミスティは揺らぎに吸い込まれた。一気に周囲が開け、光と部屋の光景が広がる。
戻った! アルコの宿だ!
ミスティは揺らぎに手を伸ばした時の、飛び込むような体勢のままベッドから跳ね起きた。ベッド脇にいたバーチが驚いて身を引く。ミスティはそれを追うようにベッドから転がり落ちた。
どたん、と音がする。痛い。だが思ったほどではない。避けきれなかったバーチが下敷きになったからだった。
ミスティはその状態を好機と見た。何せバーチは床に転がっている。今しかない。
「バーチ! この……ッ!!!」
杖も詠唱もなしに魔術を行使することは、しかもそれを人に向けることは禁止されている。だがミスティは構っていられなかった。とにかく右手に魔力を集め、バーチに叩きつければ終わりだ。この一瞬で! そう思って思い切り腕を振るった。その瞬間、
パンッ、と、魔力の塊はバーチに触れる前に弾け飛んだ。
ミスティは驚愕に目を見開く。咄嗟に腕で頭を庇っていたバーチと一瞬だけ視線がかち合った。
何をした。読んでいたのか。それとも常時、結解を張っているのか。
至近距離で魔力がはじけ飛んだせいで、ミスティの右手は反射された魔力によってボロボロになっていた。しばらくは使い物にならないだろう。
「捕らえろ!」
唐突に至近距離で大声がしたと思ったら、次の瞬間、ミスティは腕を拘束され押し倒されていた。視線を巡らせると、自分を拘束しているのはジョルジオだ。
なんてことだ。この場にいたなんて。バーチ一人しか見えていなかった。
「ジョルジオ! 離しなさい!」
「悪いがそれはできない相談だ!」
ジョルジオに押さえつけられてはミスティの力ではどうしようも出来ない。右手は使い物にならないため、魔術で攻撃することも出来なかった。
その間にヴィヴィが倒れていたバーチを助け起こしている。クソ、ヴィヴィまでいたのか。
怒りに駆られたミスティの視界にはバーチしか映っていなかった。ジョルジオはミスティを拘束する腕に力を一層力を入れ、ヴィヴィはバーチを庇いながら部屋を出て行こうとしている。
「ヴィヴィ! 待ちなさいよ! ソイツが全ての元凶なのよ! ソイツさえいなければ……!」
「ミスティ……ついにそこまで堕ちたか」
ヴィヴィが信じられないほど嫌悪の表情を浮かべていた。そこにいつもの物腰穏やかな少年の姿はない。それこそ、ミスティがバーチを見るときと同じ表情だ。名前についていた敬称すらなくなっている。
「うるさい……クソッ、どけ! ジョルジオ! 邪魔よ!!」
ミスティは拘束を解こうともがくが、そもそも大盾と槍を振り回す巨漢のジョルジオに敵うはずもない。ピクリとも動かないまま喚くミスティの前に、銀色の軍靴の爪先が現れた。それも一つではない。続々とやってくる。
「ミスティ、本来ここまでするつもりはなかったんだけどな。残念だが、情状酌量の余地はない」
「ハァ……?!」
整列した軍靴が左右に分かれ道を開ける。現れたのは勿論ルイだった。
凱旋の際に着用する、王子としての正式な礼装だ。その背後に控えるのは白銀の鎧に身を包んだ、王宮騎士だ。
「何で……騎士、が」
「ミスティ・インフィニス。国家指定パーティのメンバーを害そうとした罪で、王命により貴殿を拘束する。ここにいる全員が証人だ」
「はぁ……? 王命?! どういうことよ! たかが孤児相手に!!!」
騎士の言葉にミスティは一層激しく喚きたてるが、しかし誰一人怯む者はいない。
騎士たちは数人でミスティを取り囲み、ジョルジオが拘束したままの腕に魔力封印の手枷を装着した。これは魔術師を拘束する際に使用される魔道具で、拘束された人間は魔術を使用できなくなる。
ジョルジオがようやくミスティを拘束する手を緩めたが、そのまま騎士が引き継いだだけで状況は変わらなかった。左右を固められた両腕を拘束されたまま、起こされ立たされる。
後ろ手に手枷を嵌められている状態で、ルイと対峙した。
ルイの視線は冷ややかだった。いつものあの、バーチを見るときと同じ。すでにバーチは、ヴィヴィに庇われながら部屋を出て行ってしまっている。それでなくとも大勢の騎士が取り囲んでおり、ミスティが今更出来ることは何もない。
「国家指定パーティの結成式の時、誓約があっただろう。指定パーティは国家の存亡を担う存在、その所属する個人またはパーティそのものを攻撃したり貶めることは許されない。例え仲間であっても」
「! ……そんなもの……!」
「君は、会食に出ていたワインに気を取られて、誓約の時まともに聞いていなかっただろう」
「……!!」
ミスティはただルイを睨むしかなかった。そんなこと覚えているわけがない。ルイの言う通り、ミスティは堅苦しい誓約や結成式などに興味は一切なかった。聞いている振りしかしていなかったのだ。
「クソ! またアタシの邪魔を……! 許さないわよルイ!」
「君を許さないのは僕の方だ。間違っても、……ただで済むとは思うな」
いつも穏やかで冷静なルイが、ミスティを睨みつけて唸るような声を上げる。その剣幕にミスティはおろか、騎士たちにも緊張が走った。
「連れていけ」
ルイの短い言葉に、騎士たちがミスティを引き立てて動き始める。
「クソ! 離せ! 離してよ! ふざけんな! アンタたち、覚えてなさい!!」
ミスティは最後まで罵倒を浴びせていたが、どうにもできなかった。魔力も行使できず、右腕は負傷したまま。例え魔術を使える状態であったとしても、その腕では威力は出なかっただろう。
ルイは、騎士団がミスティを連れて行くのを最後まで冷ややかな目で見つめていた。
それ以来、ミスティを表舞台で見たものはいない。
もう少しだけお付き合いください! 次で多分最後になります!




