さよなら
「え?」
「帰る……?」
「どういうことだ?」
三者三様の反応に、ミスティは大きく溜息を吐く。
バーチまでもが驚いて目を丸くしていた。わかるだろう。わかっているだろう。ただ、理解が着いていかないだけで。
ミスティはもう一度口を開いた。今度こそ、正確に、誰か聞いてもわかるように。
「だから、帰るわ。家に。公爵家に。このパーティ、抜けさせてもらう」
もう一度、さっきよりもはっきりと告げる。
そう、抜けるのだ。このパーティを。
「勇者」の称号などもういらない。そんなものよりも命の方が大切だった。
最初の時から数えて、何度死んだことか。何度惨めな思いをしたことか。
こんなことになるなら「勇者」のパーティになぞ参加しなければよかった。そう、ミスティは後悔した。父親から「最高の栄誉を手にできる」と言われ、参加したけれど。
ミスティはそもそも公爵令嬢なのだ。わざわざ自分が大変な思いをして討伐になど行く必要はない。ただたまたま魔力が強かっただけ、それだけ。
別に国に忠義があるわけでなし、身を粉にして働くつもりもなければ民のために身を危険に晒す義務も全くない。
そう、「勇者」などやりたい奴にやらせておけばいいのだ。
魔物の討伐が終わった後は、それはそれは丁重に近隣住民からもてなされ、少しでも媚びを売って良い思いをしたい連中、コネや縁を作っておきたい連中に散々褒めそやされるけれど。
そもそもミスティは、魔物の討伐などせずともその程度の取り巻きには事欠かないのだ。
インフィニス公爵家とあれば社交界でも話し相手の尽きない大貴族。ならば何故、何度も何度も死んでは戻るこの討伐に執着せねばならないのか。
旅の間に王子であるルイと縁が持てるならばそれはそれでよかったが、これまでそんな雰囲気になったことなど一度もない。
18歳なんていくらでもそう言うことに興味があるだろうに、どの街でも遊んでいる様子もなかった。ミスティがどれだけスタイルを強調した服を着ていても一度もそれを気にする素振りを見せたこともないし、そういう欲がないか、もしくは異性に興味がないのではないかと疑うほどにストイックだった。
神官のヴィヴィは勿論そういうことはご法度だし、ジョルジオは街で羽を休めている時は遊んでいるようだが、同じパーティのメンバーには手を出す気はないらしい。バーチなんて問題外だ。
旅の途中で身分の高い貴族と知り合うわけでもなし。そもそも公爵令嬢のミスティより身分の高いものなどそれこそ王族かそれに連なる家しかない。
なら、旅をする意味は?
魔王復活阻止を目的とした旅。それは言い換えれば魔王復活を目論み、各地で暴れる先兵を排除するだけの終わりのない旅だ。
復活阻止の暁には莫大な富と名誉を得られると言うが、では明確な「終わり」はいつだと言うのか。復活がいつなのか、どこに現れるのか、相手の勢力がいかほどのものなのか、一つたりともわかっていないのに何をもって終了を宣言するというのか。どの段階で富と栄誉とやらを手にすると言うのか。
全てを天秤にかけた時、ミスティの中で何よりも「自分の命」と言う皿が重みを持っていた。
つまり、捨てるのだ、仲間を。
ミスティはこのパーティの主力の一人。特に強大な攻撃魔法は、広範囲の敵もなぎ倒し、物理攻撃が通りにくい敵をも一掃できる。そんなミスティがパーティから抜けると言うことは、すなわち戦力が大幅に下がると言うことだ。
ギーカの魔獣は、ミスティがいて、バーチがいて、かつ何人もの高ランク冒険者がいてようやく討伐出来たような相手だ。
ここでミスティが消え、バーチが追放されれば、残った3人では到底太刀打ち出来ないだろう。
だが、それがどうしたのだ。
ミスティには関係なかった。とにかく自分の命の方が優先だからだ。
思えば何度も死に戻った中で、自分だけが死ぬ時もあれば全員死ぬ時もあった。けれど自分だけが生き残るパターンは一度もなかった。
お前たちがこの先どうなろうと知ったことではない。ただとにかくこのままいけばまた自分は死ぬ。もういい加減、うんざりだ。
「帰るって……いきなりどうして? 公爵家に何かあったんですか?」
「別に、何もないわ」
「何もないって、じゃあ急にどうしたって言うんだ?」
やはり最初に声を上げるのはヴィヴィで、その次がジョルジオだ。ルイはパーティのリーダーだと言うのに、何も言わない。いや、ただ驚いて、声も出ないだけだろうか。
「どうもしないわよ。ただもう疲れただけ」
「疲れたって……」
ジョルジオとヴィヴィが顔を見合わせた。二人とも困惑の表情だ。ミスティが普段から気紛れだと言っても、流石にこれは予想だにしなかったのだろう。
「……帰る、と言うのは……一時的に、ではなく、完全にパーティを抜ける、と言うことかい?」
「……ええ、そうよ」
ようやく口を開いたルイは、慎重に言葉を選んでいるようだった。じっとミスティを見据える目が、何かを見透かそうとしているようで不快だ。
しばらく対峙していたが、やがてルイが息を吐いた。
「不満があるのか? 出来る限り、相談してくれたら出来る限りのことは……」
「結構よ。悪いけど、これ以上ここにいても良いことないのよね。悪いことばっかり。改善出来ることなんてないわ」
「…………」
歩み寄ろうとでも言うのか、提案しようとしたルイを、ミスティは遮った。自慢の赤い髪を指でくるくると弄びながら、退屈そうに言い放つ。
自分へのメリットよりもデメリットの方が大きくなったと判断した時点で、もうこのパーティには何の未練もない。例え足に縋られようと考えを改めるつもりはなかった。
「……それじゃ……本当に戻られるんですか? 王都へ?」
「そうよ。もう田舎は飽き飽き」
「いつ帰るつもりなんだ? オレ達も次の街へはもうあと二日ほどで発つ予定だが……」
ジョルジオの問いに、ミスティはあっけらかんと答える。
「明日よ」
「「明日?!」」
ヴィヴィとジョルジオの声が重なる。声は出さなかったが、流石にこれにはルイも驚いて目を丸くしていた。バーチも、さっきから何も言わないがリアクションだけは取っている。
お前にとってはアタシがいなくなってせいせいするだろうに。
ミスティは密かに胸中で悪態を吐く。コイツのせいで、と言う思いは未だにある。けれど、もうどうでもいい。関わりたくない。むしろこんなのに関わっているせいで、何度も何度も死ぬような目に遭っているのだ。一刻も早く離れたい。
王都はアルコの街から東へ進んだところにある。ここまで来るのにいくつもの街を経由し、その度にその近辺を脅かす魔物を討伐してきた。王都まで戻る道には脅威はないはずだ。すでにギルドで一番いい馬車も、ルイの名義で頼んである。
「なんでまたそんな急に?!」
「そうだぞ、そんなこと一言も言ってなかっただろ」
「いいでしょ、別に。アタシが何をしたってアタシの勝手よ」
「まあそれは……いやいや、オレ達はパーティの仲間だろ? 流石に一言くらい事前に……」
「あーもう、うるさいうるさい! ほっといてってば!」
説教じみてくるジョルジオの言葉を無理やり遮って、ミスティは耳を塞ぐ仕草をする。親にだってそんな口煩いことは言われたことがない。ミスティの我儘は、なんだって許されてきた。
よく考えたらこのパーティで大人しくルイの言うことに従っていたこと自体間違いだった。それを正すだけだ。
ジョルジオは高位の貴族出身だが、それでも公爵家のミスティの方が格上。そもそも偉そうな口を利かれる筋合いもない。
「もううんざりなの! アンタたちに付き合って無駄に死ぬなんてまっぴらごめんよ! 何度も何度も、冗談じゃないわよ!」
「ミスティ……」
癇癪を起こして一気にまくし立てるミスティに、ジョルジオがたじろぐ。ヴィヴィもその横で困惑の表情を浮かべたまま身を引いた。こうなるとミスティは気が済むまで止まらないのだ。
「いい?! アタシはもうこれ以上死にたくないのよ! それに戻ってきたくもない! わかんないでしょうね、アンタたちは毎回毎回のうのうと見てるだけなんだから! 誰が原因だか知らないけど迷惑なのよ! 仲間だとか言うけどどうせ自分が危なくなったら見捨てるくせに! だからこんなとこもう居たくもないのよ!」
誰も口を開かなかった。ミスティの罵倒にただただ圧倒されていた。何か言葉を返そうとしても、何も出てこない。何せミスティの主張は、彼らには全く身に覚えがないのだから。
これまで、彼らはうまく連携しながら立ち回ってきた。見捨てるような状況に陥ったこともないのだ。何のことかわからないけれど、とにかく何らかの要因があってそう主張するのだろう。
まったく身に覚えはないけれど。
「ミスティ……それはどういう……」
「ほっといて! じゃあね! これでサヨナラよ!!」
ミスティはそれだけ言い捨てると、最早誰かに口を開く間も与えずに談話スペースから出て行った。
そこまで拒絶されたとあっては、誰も後を追うことも出来なかった。ただただ残された4人は、無言で顔を見合わせるしかなかった。
ミスティは談話スペースを出てそのまま自分の使っている部屋へと直行した。
やっとだ。ここまで言えば引き留める話すら出ないだろう。これで引き留めに来るとしたら余程空気が読めない大馬鹿だ。
後は部屋に閉じこもって明日の早朝にここを出て行くだけ。準備はもう済ませてある。そもそも旅途中でまとめるほどの荷物もないのだ。
今思えば、どうしてこんな旅になど出たのだろうか。何不自由ない公爵家での生活で十分だったではないか。そう、公爵家には十分な富も権力もある。これ以上望む必要などどこにもなかった。
ミスティはさっさと寝ることにした。もう何度アルコの街に死に戻ってきたことか。遊ぶのは十分だった。
ミスティは夜更けにふと目を覚ました。
薄昏に沈む部屋の中で、人影が動いている。誰だ。起き上がって叫ぼうとするが、動けない。
見えているのだから起きているはずなのに、体は眠ったままのように自分の意志ではピクリとも動かすことが出来ない。金縛りのような状態で、声すらも出てこない。
暗い人影は体をすっぽりと覆うローブを着てフードを深く被り、顔を隠していた。
夜が明け始めてゆっくりと部屋の調度品の輪郭が見え始めたところに、ただただ黒い人影は異様な存在にだった。
何者だ。何をしている。どうしてここに。
疑問は次々と湧き出てくるが、何一つ解消されない。ゆらり、ゆらりとそれはミスティの眠るベッドへと近付いてくる。
足音を立てないよう、ゆっくり、ゆっくりと。ミスティが音を立てることが出来なければ、誰もこの部屋に侵入者がいることなど気付かないだろう。
ミスティはただ、徐々に近付いてくるそれを見つめるしか出来ない。
何だ。何なのだ。お前は一体だれで、何のためにここにいる? 今すぐにでも魔術で攻撃してやりたいのに、指先すらも動かすことが出来ない。
ゆっくりと近付いてくる人影は、ミスティのベッドの前で立ち止まった。
ただただそこでミスティを見下ろしている。何をするでもない。ただ立っているのだ。
まだ薄暗い室内では、その人影の顔はまるで見えない。それでなくともミスティは体を動かすことは出来ないのだ、視線も固定されていて、見上げることは出来ない。
しばらく立ち尽くしていた人影が、やがてゆっくりと体の向きを変えた。ベッドのサイドテーブルに何かを置いたようだ。
ふわりと何かが香りがした。覚えがある。これは、これはリリーだ。ミスティが好んで髪に挿していた、カサンドラ・リリー。
不吉の花だなどと言われることもあるが、そんなものはでたらめだと思っていた。だが死に戻り続けるうちに、この花に対しても迷いが生じてきていた。
本当に、不吉なのか?
これまでこんな花如きにと思っていたが、思い返せば死んだとき、いつもこの花を身に着けていなかっただろうか。
討伐に行ったときは必ず自生したものを手折って髪に挿していた。そうでなくとも必ずこの花を直前に見た気がする。まさか、本当に?
もしそれが本当だとしたら、この香りはどういうことだ。きっとさっきからいるこの人影が花を置いたのだろう。それもこの香りの強さなら一本二本どころではない、花束だ。
まさか。
嫌な予感にじっとりと汗が滲んだ。
どうして動けないのか。どうして声も出ないのか。
どうして人影がこの部屋にいるのか。どうして、不吉の花の香りがするのか。
どうして。
「ねえ、散々好き放題して……自分だけ逃げるんですか?」
唐突に声が降ってきて、ミスティはハッとした。聞き覚えのある声。だが響きはまるで違う。
こんなにはっきり喋ったことなんてなかった。アイツはいつも怯えたように、自信なさげにおどおどと受け答えしていたはずだ。
違う、こんな、いや、違わない。これが、これは、アイツの、
「許さない」
バーチだ。
短い一言に、ドッと汗が噴き出す。人影が腕を振り上げた。ローブの間から杖が一瞬見える。
殺られる。
ミスティは何も出来なかった。ただ一瞬で視界が真っ暗になり、ぶつりと意識が途切れた。
「もう二度と、会うことはないでしょう。ね、ミスティさん」




