七度目
「ミスティ様!」
歓喜の渦の中、剣士がミスティに駆け寄った。討伐前の作戦会議の時に声を掛け、それから懇意にしていたあの剣士だ。彼はミスティに熱っぽい視線を向けていた。
「あの最後の魔術、素晴らしかったです! もちろんほかの魔術もですが……」
「ふふっ……ありがとう」
半ば放心状態だったミスティは、彼の興奮した様子に徐々に自分を取り戻した。
そうだ。彼の言う通りだ。最後のあの氷魔法で隙が出来たおかげでルイがとどめを刺すことができた。
補助あっての結果だったが、とにかくようやく「魔獣に殺される」という事態を避けられたのだ。これでようやく、あの冗談のような死に戻りを回避できた。
おまけにこの剣士の称賛。勿論周囲の冒険者たちも、賛同するようにうんうんと頷いている。ジョルジオやヴィヴィも同じだ。
「あなたも頑張ってたわね。帰ったらご褒美をあげないといけないわ」
「えっ……!」
剣士が顔を赤くする。ミスティはその様子に笑みで答えた。
討伐に出るまで連日この剣士とは『懇意に』していたが、従順で大変都合が良かった。剣の腕前も確かだし、このまま引き抜いてやってもいい。
どうせバーチはこの後追い出すのだし、もう一人くらい前衛が増えても構わないだろう。それにバーチがいなくなれば、新しく小間使いも必要になる。
「さあ、それじゃあみんな、帰還準備をしよう! 最後まで気を抜かないように!」
ルイが浮足立つ一同に釘を刺し、あちこちで歓声を上げていた冒険者たちは浮足立ちながらもしっかりと頷いた。
ヴィヴィを筆頭に各パーティのヒーラーが怪我人に治癒魔法を掛け、その間にバーチがいつものように魔獣の素材を回収している。どうやら相当素材が多いようで、冒険者パーティからも何人か手伝いに手を上げていた。
素材は今回の参加者全員で分配を行う。貴重な素材を独占できないのは残念だが、今回は死に戻りが解消されただけでも十分だろう。
「ねえ、このまま一緒に来るのはどう? 悪くない話だと思うんだけど」
回収を待っている間に、ミスティは例の剣士に声を掛けた。悪くないどころか、彼にとってはいい話でしかないだろう。「勇者」パーティに誘われるなど、冒険者にとっては名誉でしかない。富も名声も手に入るのだから。
「えっ……、ほ、本当に、僕なんかが?」
「もちろんよ。アタシは実力のある人にしか声なんて掛けないわ。貴方なら十分素質があると思う」
たとえ平民でも、見目もよく爽やかではきはきとしているこの剣士は、凡庸で陰鬱でいつもおどおどとしているバーチとは雲泥の差だった。どうせ視界に入るなら、価値は低いとしても美しいもののほうが絶対にいい。
ミスティは身分制度至上主義ではあるが、この剣士のことはそれなりに気に入っていた。見た目だけならルイと並んでも遜色ないし、能力としても、前衛として、引いては盾としてミスティを守る存在が増えるのは大変良いことだ。
剣士は驚いてはいたが、やはりミスティの誘いはまんざらでもないようだ。はにかんだ笑みを浮かべている。
「ね、丁度いいじゃない。今決めてくれるなら街に戻ってすぐにでも手続き出来るわ。どうかしら」
「えっ、今ですか?! でもオレ一人じゃ……」
流石に性急だったか、今すぐと言うと剣士も躊躇いを見せた。だがミスティは、こういうことは即断即決でなければ気が済まない性分だ。
剣士にしなだれかかりながら、上目遣いに見上げる。剣士が顔を赤くしたのがわかった。何せ目線がまたミスティの胸元に向いている。
「こんないい話……迷うまでもないんじゃない? それとも何? 「勇者」になれるかもしれないチャンスを、逃すっていうの?」
剣士の輪郭を指でなぞる。野心でも向上心でもなんでもいい、とにかく今以上を望む気持ちがあるなら、何よりも優先すべき好機だろう。そんなことは考えずともわかるはずだ。
剣士は眉根を寄せ、唇を引き結んだ。どうやら随分揺れているようだ。仲間のパーティへの義理もあるだろうが、名誉が目の前にぶら下がっている状況を無下にも出来ないのだろう。
もう一押し。どうせミスティの誘いに流された男なのだ、最終的にはきっとこちらを選ぶはず。
「それに、貴方が来てくれたらアタシは嬉しいわ。わかるでしょ?」
覗き込むようにしてそう言えば、剣士は耐えるように押し黙った。しかしその顔は赤い。ほら、もうすぐだ。
「ま、待ってください」
不意に後ろから声が掛かり、ミスティは振り返った。折角説得が功を奏するところだったのに、無粋な輩がいたものだ。
「あ……」
剣士が慌てたような声を上げる。振り返ったそこには、剣士と同じパーティの、魔術師がいた。
****************
「またあの人のところに行くの?」
剣士を引き留めたのは、「勇者」パーティがギーカに着いて3日目の夜だった。
各パーティの準備も整い、明日には討伐に出発する。そんな前日になっても夜遅く出て行こうとする仲間を、流石に見逃せなかった。
「ああ……。なるべく早く戻るよ」
剣士は素っ気なく答えると、自分たちの宿を出て行こうとする。流石に街一番の宿に泊まる「勇者」パーティと同じランクの宿に泊まれるほど、彼らのパーティは稼げてはいない。Aランクパーティと言うこともあり、それでも冒険者の中では豪華な宿に泊まれる方だとは思うが。
「早く戻るとか、そういうことじゃなくって……っ! 明日はもう出発なのよ?! 前日なのに……っ」
「わかってるよ。君は先に休んだらいいだろ? 迷惑は掛けないよ」
「だから、そうじゃなくて……!」
剣士は魔術師の言葉を遮って宿を出て行った。残された魔術師は1人、引き留めようとして伸ばした手を胸元で握りしめる。
昔はこんなじゃなかった。ううん、違う。つい最近まで、こんなことなかった。あの人が来てから。あの「勇者」のパーティの魔術師。あの人が彼に声を掛けて、そこからおかしくなってしまった。
昔は仲間のことを一番に考えてくれていたのに。「いつか一緒になろう」って言ってくれてたのに。私のことを優先してくれていたのに。
あの人に声を掛けられて、その日の夜彼が宿を出て行って、それから毎日だ。
朝帰ってきて昼まで眠って、鍛錬だって装備の手入れだって討伐の準備だって、今まで皆でやってきたのに彼だけやらなくなってしまった。一日中ぼうっとして、上の空で、話しかけてもろくに返事もしてくれない。
ねえ、どうしてなの? あんなに私たち一緒にいたのに。これまで何年も一緒にやってきたのに、あんな肩書だけの女のどこがいいっていうの? どうせどの街に行ったってあなたにしたのと同じように男に声掛けてるような女に、何がそんなに惹かれるっていうの? 結局は男の人なんて、顔がよくてスタイルがいい胸の大きな女の方が好きってこと? こんなことで今までの絆も簡単に壊れてしまうの?
ねえ、あなたにとって私たちってその程度のものだったの? どうして? どうしてそんなに簡単に乗り換えられるの? どうせ今だけなのよ。この討伐が終わったらあの女ともサヨナラ。そもそも「勇者」パーティには本物の王子様だっているんだから、貴方なんてまともに相手になんかされてない。遊ばれてるだけだってどうしてわからないの?
ねえ、あの人は貴族で、私たちは平民で、住む世界だって違うの。浮かれたまま討伐に行くつもりなの? 今回の討伐は、「勇者」パーティですら手を焼くような相手だから私たちみたいな冒険者にも声が掛かったって言ってたじゃない。それなのにそんな上の空で、無事に帰ってこれるとでも思ってるの? ねえ、ねえ! ねえ!!
「どうして……?」
魔術師は俯いて瞬きをする。目いっぱいに溜まっていた涙がぽたぽたと床に雫を落とした。
ううん、泣いている場合じゃない。明日は討伐。万全の体調で臨むべきなのだ。彼のことは一旦忘れよう、どうせ今だけなんだから。
明日が終われば、きっとまた穏やかな日常が戻ってくる。私たちは今のパーティで、これからもずっと……。
「こんないい話……迷うまでもないんじゃない? それとも何? 「勇者」になれるかもしれないチャンスを、逃すっていうの?
それに、貴方が来てくれたらアタシは嬉しいわ。わかるでしょ?」
ああ。
ああ、この人は、私の日常を壊そうとする。
私の幸せを、将来を、全て奪い去ろうとする。
この、血よりも紅い髪に真っ白なリリーを挿した、『不吉の魔女』が。
****************
ミスティは、振り返ったところにいた魔術師に不服そうな目を向けた。頭のてっぺんからつま先までねめつけるように視線を動かす。
いかにも魔術師然とした古めかしい紺色のローブに、くすんだ赤毛。左右のおさげを三つ編みにした田舎娘。ああ、そういえばこんな芋臭い女がこの剣士のパーティにいたんだったか。
大して討伐中も役に立っていたようには思わなかったけれど、御大層にこちらのやることに声を上げるとはいい度胸だ。
「あら……何かしら?」
ミスティは敢えて、にっこりと美しい笑顔を見せる。女魔術師は一瞬ぎくりと体を強張らせたが、それでも引かなかった。
「あの、そ、その人は、うちのパーティの主力なんです。ひ、引き抜きは、ここ、困ります! ギルドのルールでも、個人の話し合いではなく、きちんと双方のパーティの合意を得るように、と、き、決まって……」
「あらぁ……」
ミスティはしな垂れかかっていた剣士から離れ、鷹揚に女魔術師に歩み寄った。
長身な上にいつでもヒールのある靴を履いているミスティと違って、彼女は動きやすそうな、履き潰された革靴だ。ミスティは女魔術師の目の前に立ち、腕を組んで彼女を見つめる。
それでも引かない女魔術師に、ミスティは屈んで目線を合わせた。二人の後ろでは剣士がオロオロしながら二人のやり取りを見守っている。
「貴方……アタシに、ギルドのルールを説こうって言うの?」
ミスティは女魔術師に手を伸ばした。彼女は野暮ったい木の杖をぎゅっと握りしめて、身を強張らせる。
別にこんな大勢の前で乱暴をするつもりなど、ミスティにはない。長く整えられた爪で彼女の顔の輪郭をなぞり、人差し指で顎を持ち上げる。
「ねえ……それは「冒険者ギルド所属」のパーティの話よね? アタシは、そんな小さい次元の話はしていないの……わかるでしょ?」
「ち、ち、小さくなんて……」
ミスティはにっこりと笑って、顎から指を動かした。するするとそれは降りていき、女魔術師の細い首に掛かる。力を入れればいつでも絞められる位置に置いて、じわじわと、ゆっくりと、首に指を回していく。
「アタシが一体何者なのか、わかっているわよね? 言ってごらんなさいな、ええ?」
「あ、貴方は、「勇者」パーティの……」
「そうよね? 「勇者」パーティって言うのは、冒険者ギルドなんかとは別格の存在。特別な人間しか選ばれないの。わかるでしょ? そのパーティに仲間が選ばれたのなら、祝福してあげるのが筋ってものじゃなくって?」
「そ……それは……」
女魔術師が言葉に詰まり俯く。ミスティの手はまだ彼女の首に手をやっていた。
冒険者にとって、国家指定パーティに招待されることはこの上なく名誉なこと。誰もがその機会を得られるものでは決してない。だからこそ、仲間がその一人に選ばれたのであれば祝福と共に送り出すことが多い。
「ねえ、大事な仲間が選ばれたのよ? どうして祝福してあげないの? 貴方にとって彼って、その程度の人?」
ミスティは畳みかけるように言葉を重ねていく。この女とあの剣士の間に恐らく仲間以上の関係があるのだろうことは明白だが、そんなことはミスティには関係ない。
ただ「ミスティの誘いを断る、妨害する」と言うようなことだけは、あってはならないのだ。
「あの……ミスティ様……。彼女と話をさせていただけませんか」
黙って見守っていた剣士が後ろから声を掛けてきた。ミスティは女魔術師の首から手を放し、ゆっくりと彼女の傍を離れる。代わりに剣士が近寄ってきて、少し頭を下げた。
ミスティと入れ替わって剣士が女魔術師と対峙する。
ミスティは二人と少し距離を置いてそのやり取りを見つめていたが、女が剣士に縋り、何やら泣き出してる。
「将来一緒になろうって……」「もちろん忘れてなんて……でもこれはチャンスで……」「戻ってくるわけ……」「信じてくれ、オレは……」
小声で話してはいるが、漏れ聞こえる断片だけでも何となく話の筋は予想出来る。
大方この二人は将来結婚の約束か何かをしていて、女の方は剣士が自分から離れていく不安とミスティへの嫉妬に駆られたのだろう。剣士の方がまだ自分の掴みかけている栄誉に対して貪欲だ。
そうだ、そこで終わるには惜しい。どうせそんな女がいなくとも、こちらでうまくやれるだろう。
しばらくして、二人が離れた。話は着いたようだ。女魔術師の方はまだ涙が止まらず目元を何度も拭っていたが、剣士の方はもう心を決めたようだ。
「お話合いは終わったかしら」
「はい。……是非、オ……自分を、パーティに加えてください!」
「ええ、いい返事が聞けて良かったわ」
ミスティはまたにっこりと剣士に笑いかけた。横に並んだ彼の腕に触れながら、ちらりと女魔術師を肩越しに見やる。元居たところから一歩も動かず、彼女は気丈にも剣士とミスティを見送るつもりのようだった。
ミスティは剣士に見えないように口の端をもたげて笑う。
「ねえ、まだルイたちは向こうにいるから、先に行ってて頂戴」
「あ、は、はい!」
剣士をルイたちの方へ向かわせ(なんとも信じられないことだが、まだ、魔獣の素材回収だのなんだのをやっていて、それを待っているのだ! 本当にバーチの愚図さには呆れ果ててしまう)、ミスティは女魔術師の元へ向かった。
「貴方には残念だけど……彼にとってはとても素晴らしいことなの。だからどうか、耐えて頂戴ね」
「……ッ……。わ、わかって、ます。……か、彼を……お願い、し、します」
しゃくりあげそうになりながら、なんとか女魔術師はそう言う。健気なことだ。そう、大人しく従えばいいのだ。お前たちはそういう立場なのだから。
ミスティはにっこりと笑った。
「もちろんよ」
それから耳元で、囁く。
「アタシが存分に、可愛がってあげるわ。アンタみたいな芋女には、もったいないものね」
堪え切れなかった嘲笑がミスティの顔を覆う。絶望したような女魔術師の顔と言ったら、滑稽で仕方がない! まるで三流劇でも見ているようだ。なんて最高の暇潰しだろう!
女魔術師はとうとう耐えきれなくなったか、その場に座り込んだ。勝ち誇った笑みでミスティは彼女を見下ろし、歩き去る。
ああ、おかしいったらない。お前のような田舎娘には芋臭い農家の男の方がお似合いだ。彼のような洗練された容姿を持った剣士の隣に相応しいとでも思っていたのか? 片腹痛いにもほどがある。
ミスティは先に行かせた剣士の後を追って悠々と歩いた。
魔獣は討伐され、死ぬこともなく、時を戻ることもなく。
バーチもこの後追放され、自分の元には新たに見目もよく腕の立つ玩具が手に入った。まさに順風満帆だ。
この調子で次も……
ドッ、と、背後から衝撃が走った。
鈍い痛みと共に、地面へと倒れこむ感覚。視界がスローモーションになる中、体を捻って見れば、すぐ背中に密着するように赤毛が見える。女魔術師だ。
地面に押し倒されると同時に、女が全体重でミスティを押さえつける。なんとか跳ねのけようと暴れても、下になっている方が不利だ。
倒れた音に気付いた誰かがミスティの方を見て駆け寄ろうとしているのが見える。だが、それよりも先にミスティに馬乗りになった女魔術師が、手にしていた短剣を振り下ろした。
それはミスティの胸に深々と突き刺さる。皮膚を切り裂いて、臓器にまで達した。激痛が駆け巡り、うまく思考出来ない。
何が起きた。
何が起きた?
何故自分は倒れている?
どうして痛みがある?
おかしい、おかしい、あの魔獣はもう倒したのに、どうして?!
「アンタ……ッ」
開いた口からごぼごぼと血が溢れ出た。女はそれでも怯むことはない。髪を振り乱して、ただただミスティに短剣を振り下ろし続ける。
誰かの悲鳴が聞こえた。慌てふためいた冒険者たちが二人に駆け寄る。だが、その間にも女魔術師は止まらなかった。泣き喚きながら短剣を振り回し、止めようとする冒険者たちすら追い払おうと暴れる。
「お前のせいで!」
そう叫ぶ声がまだ聞こえるが、ミスティの体は動かない。ぼやけていく視界の中で、剣士が駆け寄ってくるのが見える。その向こうにジョルジオとヴィヴィも。
数人がかりで押さえ込まれた女魔術師がミスティから引き離される。剣士がミスティを抱き起す。
名前を呼ぶ声が聞こえた。それから女の絶叫も。
だが、ミスティはそのどれにも反応することはできなかった。
体中から流れ出ていく血液を感じながら辛うじて視線の先に捉えたのは、冷ややかな目でミスティを見る、ルイとバーチの姿だった。




