エピローグ 『約束』
何事にも他人の助けが必要だった。
一人では何もできなかったから、親や妹に助けてもらっていた。
生物であるのだから生存本能は勿論あった。けれどあの状況は果たして自分の意思で生きていると言えただろうか。生かされていると言った方が適当ではなかっただろうか。
そんなことを幼い彼はふと考えた。
その日からだ。自分以外の人間が別の存在に見えてきたのは。
…いや、語弊がある。
――彼らが人間だ。
訂正しよう。自分が人間よりも下位の存在に思えたのだ。
だから上位の存在である人間に対して、親だろうが妹だろうが敬語になっていた。
自分は下位の存在なのだから敬意を払うのは当然。いつしかその思考に染まっていた。
顔を見てみたいなんて思ったこともあるが、どうせそれは叶わぬ夢物語。それに見えたところで意味をなさない。これまで何もしてこなかったくせに、目が見えた途端に対等になれるわけがないのだから。
――故に、彼は愛がわからない。
下等生物が上位の存在である人間を愛するなんておこがましい。
人から愛を貰ったことはある。けど彼は人を愛したことがない。愛を理解していない。
今後もおそらく理解することはない。そう思っていた。
例外がいたのだ。
銀髪の少女――エレナ。
アヤトと同じ欠落者と呼ばれる存在であり、アヤトが初めて目にした何よりも美しい少女。彼女はアヤトを好きだと言った。アヤトの知らない感情をエレナは口にした。
足に障害を抱えており歩くことができず、彼女も人の助けがなければ生きられない存在だ。だからアヤトは思った。あの時は何も言葉を返せなかったが、ある考えに至った。
欠落した愛を、自分を好きだと言ってくれたエレナなら、あるいは――――
*****
目を覚ました。視覚がないので起床したと言う方がしっくりくるかもしれない。
ガルノを倒した後のようにベットの上で横になっているのはすぐにわかった。
あの時と違いは、ここがどこなのかわかっているということぐらいだろうか。
「宿…か」
宿ということがわかったところであることに気付いた。
右手に暖かさを感じる。今回もエレナが手を握ってくれていたようだ。
「――寝てしまいました…」
目を擦りながら前かがみになっていた上半身を起き上がらせる。そんな時でもエレナはアヤトの手を握ったままだった。
起床したことに気付いていないようなのでアヤトの方から声をかけることにした。
「おはよう」
「――――」
聞こえているはずなのに応答がない。
返事を待っていると、握られた手に一滴の雫が落ちた。
「――よ、よがっだぁ…」
涙をボロボロと流し、よかったとエレナは口にする。何度も、何度も、溢れ出る涙を片手で拭いながら、止まらない鼻水を啜りながら、何度も、よかったとだけ言葉にした。
「え、エレナ…!? えっと、その…な、泣かないで!」
泣きじゃくるエレナを前にどうすればいいのかとアヤトはあたふたする。
「…ず、ずびばぜん…」
涙を流したままではあるが、多少落ち着いてきているようだ。
「う、うん。大丈夫だよ? だからとりあえず落ち着いて、深呼吸しよう」
涙が止まるまでしばらく待った。
その間もアヤトは彼女と握った手を離さなかった。離れることのないよう強く握った。
「情けない姿を見せてしまいました…」
「まあ、見えてないから気にしないで」
この部屋には二人しかいないようなので、彼女の泣き顔を記憶に残したものはいない。
そう考えると少し見てみたかったなどとアヤトは思っていた。
「僕はどのくらい寝てた?」
「前回と同じぐらいですね」
つまり半日ほどということになる。
「――あれからどうなった?」
事の顛末を聞いておきたい。
フルデメンスを殴ったことは覚えているが、それ以降の記憶が全くないのだ。
「えっとですね。アヤトが倒れた後すぐにルーダスさんが駆けつけてくれました。それですぐに気を失っていたフルデメンスを拘束し、今は牢の中にいるらしいです」
「牢って大丈夫なの?」
「私もそう思ったのですが、どうやら地下牢らしいんです。フルデメンスがアビリティを使用したとしても空間が狭すぎて彼も巻き込まれてしまうとか」
「へぇ」
地下牢は狭く、自爆する可能性があるので彼は能力を使用できない。
まるでフルデメンス専用に作られたような理想の牢屋だ。
「はい。それでルーダスさんは事後処理で忙しいようですので駐屯地にいるのでここには来れないようです。申し訳ないと言っていました」
「それは問題ないけど、フルデメンスはどうなるの?」
「わかりませんね。処刑されるか、情報を聞き出すために特別な監獄に移して拷問するかでしょう」
「そうなんだ」
今後フルデメンスがどうなるのかはまだ決まっていないようだ。
しかしルーダスに任せておけば問題はないだろうと思うアヤトであった。
「――レイさんとロザリエさんは?」
二人はどうなったのか。最後にアヤトが彼らを目にした時には傷だらけだったはずだ。
「無事と言っていいのかわかりませんが、命に別状はありません。ロザリエはエルフに伝わる自己回復魔法というのですぐに回復したようですが、レイの方は傷が消えてからも体を休めています。やはり傷は相当深かったようなので」
「………」
あの状況では彼女に能力を使ってもらうしかなかったとはいえ、無理をさせ過ぎた。
「…あとで謝らないと」
「多分謝ったら怒りますよ。レイは」
「なんで?」
「レイは別にアヤトのことを嫌っているわけではないのですが、素直じゃないので、お前のためにやったわけじゃないーだとか言うと思います」
「なるほど」
そう言われるとそんな気がしてきたアヤトだった。
「――アヤト」
改まった様子で、エレナはアヤトの名前を呼んだ。
「なに?」
雰囲気が変わったことを理化していながら、あくまで冷静に、優しく聞き返す。
「ごめんなさい」
予想通りの言葉だった。
「私は甘く見ていたようです。私の近くにいるとどれ程危険なのか」
死者は戦闘が行われたのが駐屯地内だったため騎士だけだったが、数は相当だ。
決して少ないとは言えない。それを受け、彼女なりに責任を感じている。
「――それでどうしてエレナが謝るの?」
「え…?」
予想外だったためか、間の抜けた声がエレナから出された。
「エレナはそういう存在としてこの世界に生まれたんだから、悪くないと思うけど」
選択の自由なく生まれた彼女に罪はない。
そのはずだ。間違ってはいないはずだ。だからアヤトは口にする。
これはきっとエレナを助けられる言葉なのだから。
「君は悪くないよ」
そう伝える。
「で、でも私が…私がいたからあの人たちは…!」
それも事実だろう。
これに関してはアヤトが何も言うことができない。自他共に認める事実なのだから。
「私さえ…いなければ…」
「それは違う」
彼女がいなかったら死者が出なかったことは事実ではある。だが、今の彼女の言葉は無視できない。否定しなければいけない。
「エレナがいなければよかったなんてことはないよ。言ったでしょ? 僕にはエレナが必要だって。エレナがいなかったら僕はどうなっていたかわからないんだ。だから自分をいらないなんて言わないで。君はそれを言うべき人間じゃない」
そうだ。その言葉はもっと別に言うべき人物がいる。彼女が発するべきものではない。
「ありがとう…ございます…。すごく嬉しいです。ですが…私は、私の大好きな人に危険な目に遭ってほしくないんです。だから…」
「――――」
「……だから、やはり私とは――」
「ねぇ、エレナ」
言い切らせるつもりはない。望んでいないことだから、彼は遮った。
「好きだって…。僕のことを好きだって、言ってくれたよね」
「は、はい…」
唐突だったからか、はたまた恥ずかしかったからか、目の見えないアヤトにはわからないがエレナの声にはハッキリとした力はなかった。
「僕は好きっていうのがよくわからないんだ。せっかく好きだって言ってくれたのに返事ができない」
家族から愛は貰っていた。しかしそれは一方通行。アヤトは彼らを愛したことはない。
「だからさ…」
想いを伝える。
告白だろうか。…いや、おそらく違う。
これは願い。そうあってほしいという願望だ。
わかっていながらも伝える。
ここで伝えなければ、今後伝えることはできない。
一度、深呼吸をしてから彼は口にした。
「一緒にいて欲しいんだ。愛が、わかるまで。君を好きだって、思えるまで。ずっと一緒にいて欲しいんだ」
体が熱くなるのを感じる。戸惑っているのを感じる。
離れそうになった彼女の手を掴み直す。離れないように、再び強く手を結ぶ。
「………はい」
小さかったけれど、しっかりと返事は聞こえた。
声だけでも彼女がどんな様子なのかが容易に想像できて、それが少し面白くて、思わずアヤトは笑ってしまった。
「な、何が面白いんですか」
「ううん。なんでもないよ。…それより言質はしっかり取ったからね」
「そっちこそ。言い出したのはそちらなんですからちゃんとしてくださいね」
「――うん。ずっと一緒だ」
欠けたモノと欠けたモノを掛け合わせても一つの完璧にはなりえない。
けれどこれでいいのだ。きっとエレナは救われるから。
それに……これはきっと自分を変えてくれるから。
二度と離れることはないように、アヤトは手に力を入れた。
これからもこのまま変わらぬように強く手を結んだ。




