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その6

 

「ディジー、行くぞ」

 ニックが低い声でボソッと言う。

「えっ? あっ」

 わたしはこっちになんてまるで無頓着に歩き始めた男に、慌てて声をかけた。

「ちょっと、待ってよ」


 スタスタと早歩きでこの場を立ち去ろうとしている男を追いかけようか、それとも無理やりにでも呼び戻そうかと逡巡する。

 呆然と目を向けてくるダリアさんとジェイコブさんも、ニックの態度にびっくりしたらしく目をキョトンとさせていた。

 ああもう、何だってのよ。


「待ってって言ってるでしょ!」

 わたしはニックの背中に大声を投げつけた。

 この横暴男、止まりなさいよ!

 だけど奴に腹を立てたのは、どうもわたしだけじゃなかったようだ。

 ジェイコブさんの珍しく尖った声が、負けじとあとに続く。

「ニック、どこへ行くんですか? サムの行き先ならこちらは見当がついてますよ」

 ピタリと男の足が止まった。黒く澱んだ空気を漂わせながら、ニックがゆらりと振り返る。

「ーー本当ですか?」

 あまりにも禍々しいオーラをニックの奴が放つもんだから、思わず一触即発かとわたしも焦ったけど、いくら何でもこいつもそこまで子供じゃなかったらしい。

 最低限の礼節はわきまえてーーとは言えなかったけど、とにかく一応はジェイコブさんに丁寧に向き直ったのだ。

「サマンサの居場所をご存知なんですか?」

「ええ」

 ジェイコブさんたら、さすがにだてに年を食ってない。ニックの荒んだ険しい顔なんか物ともせずに微笑んでいる。

「彼女はーー」

「サムちゃんなら泣きながら走ってたわよ。わたし達の目の前をね」

 だけどジェイコブさんがその場所を言おうと口を開いた瞬間、横から陽気な声の老婦人が邪魔をしてきたのだった。




   ***




「教会?」

「ええ、おそらく」

 わたし達は姉さんが向かったと思われる場所めがけて道を急いでいた。

 と言うか、はっきり言って走ってる。出会い頭にわたし達に出くわした人が、こっちの慌て振りに目を見張るぐらいだ。

「あいつ……」

 ニックは絶句しながらも誰よりも飛ばしていた。教会というキーワードに猛烈に嫌な予感を覚えたんだろう。ふん、当たり前だ。

 だけど悲しいかな、足の長さのせいなのか、わたし達はだんだんニックから遅れを取っている。


「ディジーちゃん、ごめんなさい」

 ハアハアと荒い息を吐いていたダリアさんの足が、完全に止まってしまった。

 いかに元気なお年寄りとは言え、朝っぱらからの全力疾走は体力的に無理だったようだ。彼女はのんきな声を出して、わたし達へエールを送ってくる。

「わたしはあとからゆっくりと追いかけるわ……。目的地は分かってるんだし……、お先にどうぞ」

「えっ? 別にいいですよ。そんな最後までお付き合いいただかなくとも」

 いやむしろ、お帰り願いたいんだけど駄目かしら。

「ええ〜、いや〜よ。面白そうな匂いがプンプンしているってのに、最後まで見届けなきゃ死んでも死にきれないわ」

 ダリアさんはにんまりと笑い、急ぎなさいと先を急かしてきた。

「お願いだから中止になんてしないでよ。わたし達みんなが、今日の日を楽しみにしていたんですからね」

 分かってます。当然だわ。

「肝に銘じておきますよ」

 立ち止まったまま、力いっぱい手を振る老婦人に頷き返す。わたしはジェイコブさんと目を合わせ、先を急ぐニックを追いかけた。

 姉さん待ってて、お願いだから早まらないで。




 町に四つあるうちの一つ、わたし達の住む教区にある古びた教会が見えてきた。

 木造建築の小さな教会の前に佇む人影が見えた。

 ニックと、その奥に立つ背中を向ける赤い髪、あれはサム姉さんだ。

 本当にこんなところにいるなんて。人騒がせな話だわ、全く。

 

 わたしは急いで教会まで来たものの、姉さんを前にそれ以上近づけなくて立ち往生しているニックを突き飛ばし、サムに近寄っていった。

「姉さん!」

 わたしの声にハッとしたようにサムが振り返る。

 それからニックの姿に気がついたらしく、一気に表情を強ばらせてきた。

「何してるの?」

 近づいていくごとに、姉さんが緊張を深めていくのが分かった。ためらいがちな答えが返ってくる。

「何をって……、公示に異議を申し立てに来たのよ。例の公示にね」

 サムの返事にニックの顔色が悪くなった。そりゃそうよね、天国から地獄へ叩き落とされたんだもの。

「異議? 当事者である姉さん自身が?」

「そうよ、いけない?」

 取り付く島もない空気がビンビンと伝わってきた。そのわりには一向に行動を起こそうとしてないようだけど、それはまあいい。

「もう……、したのか?」 切羽詰まった声が空気も読まず割り込んでくる。

 どこか弱々しい口調のニックに、サムはきつい眼差しを向けて教会の扉に手をかけた。

「いいえ、でも今すぐ済ませてくるから」

「ねえ、待ってよ。どうしてそんなに険悪なの? 何だってこんな事態になってるのよ」

 わたしは急いでサムを引き止めた。馬鹿みたいな一時の感情で、今日という日がむちゃくちゃになるなんて見ていられなかった。

 サムは結局教会には入らず、俯いて扉の前で立ち尽くしている。

 わたしには分かっていた。本当は止めて欲しかったからこそ、姉さんが今の今まで教会の外でじっとしていたんだってこと。


「ニックが悪いのよ……」

 サムは涙を浮かべてこちらを睨みつけてきた。

 泣きはらした真っ赤な目と、同じくらい赤い鼻の頭。

 トレードマークの赤茶色の髪は、よく見たらボサボサに乱れていて酷い有り様だ。

 よくもまあ、こんな格好で外を歩いて来たもんだと思う。さぞかし姉を見かけた人はびっくりしたことだろう。

 信じられないがこの人達、今日が何の日か本当に理解しているんだろうか。


「わたしは、ちょっとアクセサリーをつけてみたかっただけなのよ? 今日ぐらいわたしにも贅沢が許されると思ってた。だから、普段はしないようなお洒落がしたくて、ネックレスをつけてみただけの。なのに、ニックはそれすらも気に入らないのよ。お前にそんな格好なんか似合わないって、酷い言葉で侮辱してきたわ」


「え?」

 それだけ?


「結局ニックはわたしを馬鹿にしたいだけなのよ。いつもいつも泣き虫女って馬鹿にし続けていたあの頃と同じように、気持ちの上では少しも変わってないってこと、今度のことでよ〜うく分かったわ!」

 呆気に取られるわたしの前で、ニックも荒い声を絞り出す。

「あのなあ、当たり前だろうが。お前がつけるって言ったあのキラキラした奴は……」

 と言いつつ、離れて立つジェイコブさんへ視線を向けた。

「何よ?」

「だから、あれは……」

 言いにくいんだか何だか分からないけど、もごもごするばかりではっきりと口にしない。ジェイコブさんもさっぱり見当がつかないみたいで、ニックの態度に首を傾げている。


 あ〜、もう苛々する。本当に世話焼かせる二人組なんだから!


「あのね、姉さん、変わってる筈ないでしょ。こいつはずーっと昔から姉さんにぞっこんなんだから!」


 わたしの大声にサムが呆然となって、ニックはギョッと固まった。

「お、おい、ディジー」

 怖い顔をして近づいてくる男を「いいから、あんたはすっこんどいて」と隅に押しやる。呆気なく押されていく男にため息が出た。なんか見た目より、相当ダメージ受けてるみたいじゃない。

 わたしは口をあんぐりと開けたままこっちを見返す姉に、にっこりと笑いかけた。

「姉さん、覚えてる? 子供の頃、お祭りに誘われたのに、その子に直前になって振られてしまったこと」

「え?」

 サムはいきなりの話題の変更に戸惑っている。

「ほら、ビルって言ったっけ? うちの前で話してたことあったじゃない。もう忘れた?」

「あ、ああ……」

 嫌な記憶なのかサムは顔をしかめた。結構昔の話なのにどうやら覚えていたらしい。

「あれはね、姉さん。この男が……」

「お、おいーー」

 わたしは青ざめるニックを指差して、続きを口にした。

「ニックがサムを誘うのはよせって、彼に脅しをかけたせいだったのよ」

 サムは突っ立ったままだった。ピクリとも動かない。

「あの頃のニックはガキ大将だったもんね。皆、ニックが怖くて、お陰でサムを誘う強者は一人もいなくなっちゃった」

「やめろ、ディジー」

 ニックの声が虚しく響く。

「それから泣き虫女ってヤツと、ニックが結婚前にぶつけてきた暴言のからくりは、もう知ってるわよね?」

 サムはこくりと頷いた。ふん、さすがにニックもこの二つについては誤解を解いてたらしい。

「でも、これは知らないでしょ?」

 わたしは秘密の暴露をする子供にでもなったみたいに、ワクワクと胸を弾ませていた。わたしの表情にニックは息をのみ、サムは若干引き気味になっている。

「な、何よ……?」

「ーー結婚詐欺師」

「ディジー!」

 ニックが堪えきれず喚き出したところで、彼を取り押さえようとする手が伸びてきた。

「ディジー、思い切り言ってやって」

 ウィンクしてニックを羽交い締めにするのは、マチルダさんとジンさんだ。

 え? いつの間に?

 マチルダさんの後ろからは、ダリアさんと手を繋いで歩いて来るリリィちゃんと、ヘレンの姿も見える。

 ダリアさん、どうやら皆と合流ついでに連れて来たみたい。抜け目がないと言うか、何と言うか。


「あれはね、ニックの捜査の賜物なのよ。この男が姉さんに近づいてきた余所者を怪しんで怪しんで、そりゃあしつこいくらいに張り付いて調べ上げた挙げ句、犯罪すれすれなぐらいに追い込んで追い込んで、逃げ場がないほどに追い詰めたからこそ、わたし達は何も取られることはなく犯行を諦めてもらえ、姉さんの純潔も、店も無事に守り通せたんだから」

「デッ!」

「ディジー!!」


 真っ赤な顔した二人の声が重なった。クスクスと忍び笑いを受け、二人は立つ瀬もないみたいに縮こまっている。

「あの頃の姉さんは意固地で重症だったわ。ニックが苦心して、マチルダさんから注意を促してもらったのに、詐欺師の言うことしか信じてくれなかったんですもの」

 わたしは放心状態のニックを、マチルダさんの手から引っ張り出した。

「でも今は違うでしょ? この男がどんなに横暴で口が悪くても、本心は誰を想い何を考えているのか、今ではちゃんと知ってるのでしょう」

 ニックをサムの前まで連れて行く。教会の扉の前で向き合うように並ばされた二人は、突然背後から湧き上がった歓声に、口もきけなくなり押し黙った。

 いつの間にか、教会の前の通りにはわたし達以外のギャラリーが、取り囲むように集まっている。


「ほら、ニック」

 わたしはカチコチに固まった男の背を、強く押した。

「な、何だよ」

 ニックはわたしをいつもの目つきで睨んできたが、潤んだ瞳で彼を見上げる姉に気がつくと、あっという間に眼差しを和らげてしまった。

「サ、サマンサ……」

「ニック、言って? 今の話本当なの?」

 固唾を飲んで二人を見守るわたし達。

「ーーああ、くそっ」

 ニックはがしがしと頭をかきむしったあと、覚悟を決めてサムの前に跪いた。

 姉の手を取り、許しをこうように言葉を紡ぐ。

「サマンサ、俺はいつだってお前に夢中だった。どうか、俺を少しでも哀れと思うなら……、捨てないでくれ。最期の時まで一緒に側にいさせてほしい」

「ニック……!」

 サムの目から喜びの涙が溢れてくる。

「ええ、ええ、わたしの愛しい天敵さん。あなたが嫌だと言っても、ずっと側にいてあげる」


 ピューッと誰かが口笛を鳴らした。拍手と喝采の中、ニックがサムと手を繋いだまま立ち上がる。一段と大きくなる見物客の声。


「パパー! 素敵よ!」


 リリィちゃんがピョンピョンと飛び跳ねていて、その横にいるダリアさんとジェイコブさんは目頭を押さえつつ笑っていた。

 マチルダさんはジンさんに飛びつき、二人は辺りを憚ることなく熱い抱擁を交わす。


 しばらくすると、教会の扉がおもむろに開き、中から司祭様が顔を出した。


「騒がしいと思ったら、何ですか、この騒ぎは」


 ヤ、ヤバい……、不機嫌な顔をされている。

 ひょっこりと現れた司祭様に、わたし達は恐縮して頭を下げた。弁明など出来そうもない姉とニックを差し置いて、取り敢えず説明を試みる。

「あ、あの、これはですね……じ、実は」

 司祭様はわたしを胡乱げに見下ろしたあと、ニックに気がついて目をぱちぱちと数秒瞬かせた。

「おや、あなた方はーー、本日挙式予定のバーナーさんと、グレイさんではないですか。何ですかいったい、もしや時間まで待てなくてもう押しかけて来たんですか? やれやれ、最近の若い人は」

「い、いえわたし達は……」

 司祭様が激しく誤解をされるのも無理からぬものだった。

 だって、今日はサムとニックが数日前から準備していた、結婚式を挙げる、まさにその日だったのだから。

 そうよ、そのためにわたし達は、必死で二人の仲を元に戻そうと奮闘していた訳で……。

「仕方ないですね、今日は特別ですよ」

 司祭様の言葉にギャラリーがワアッと再び湧く。いいぞー、今すぐ挙げてしまえとかって……、サムなんか花嫁とはとても思えない酷い格好なんだけど、そこはもうどうでもいいみたいだ。


「姉さんーー!」

 ヘレンが人だかりをかき分けて近づいてきた。

「ちょっと、ヘレン。あんたは身重なのよ、気をつけて」

 わたしが慌ててヘレンを引き寄せると、妹は大切そうに持っていたベールを広げて、サムの頭にふわりとかけた。

「ヘレン、これ……」

 光を弾いて輝くブルーのベールの向こうから、サムの涙声が聞こえてくる。

 満足そうに目を細めるヘレンの声も、今にも崩れてしまいそうだった。

「姉さん、おめでとう。夕べやっと完成したの。わたしからのほんの気持ちよ」

「へ、ヘレン……」


 感極まったサムとヘレンがひしっと抱き合って泣き出してしまったから、結局結婚式は、すぐに始めることが出来なくなった。


 司祭様や見物客にわたしは頭を下げて誤り倒し、その隙にとリリィちゃんやジェイコブさんやらと手分けして、急遽早まった式の手配に駆けずり回る。

 我が旦那や娘、ヘレンの夫、バーナー家のおじさん夫婦と関係者も残らず連れてきて、姉とニックの結婚式は無事に執り行われたのだった。


 ベールだけ被った質素な花嫁は、最高に幸せそうな笑顔で、眩しげに目を細める花婿のキスを、その唇にたっぷりと受けている。


 姉さん、幸せに。

 長い長い、長〜い天敵との戦いが、これでようやく終わりを告げるのね。

 わたしも一旦、守り役から引退させてもらうことになるけど……。

 だけど、安心して!


 姉さんと義兄さんの幸せは、永遠にずっとずうっと続いていくって、わたしには断言出来るから。


 大好きなサム姉さん、本当におめでとう!


 ぱっと見はいまいちだけど……、今日の姉さんは最高に綺麗だわ。本当よ。




最後までお読みくださりありがとうございました。

「しっかり者の泣き虫ひめ」、これにて完全完結となります。

途中更新の間隔が再々開いてしまい、本当に申し訳ございませんでした。

最終話にて、サマンサとニックに無事に結婚式を挙げさせてやることができ、作者としては満足しています。


しかしながら、満足できてない面もございます。その辺は未熟な書き手として大目に見てもらえると幸いです<(_ _)>。



さて、最終話にきちんと加えることが出来なかったものを少しだけ。

まず、ジェイコブさんのことです。本編が終わった時点で、何件か彼を幸せにとありがたい感想をいただきました。


ジェイコブさんは幸せになります。数年後によい方と出逢える予定です。このおまけ最終話時点でサマンサへの思いは、かなり薄れているようです。時が解決してくれるというのは本当みたいですね。


次に何故ニックがサマンサに結婚式の朝酷いことを言ったかですが、サマンサが身につけたネックレスはジェイコブさんが以前くれたものでした。(本編「予期せぬ求婚」及び「優しい知らせ」を参照)


そんな訳で嫉妬丸出しのニックでしたが、二人はその事実をどうも忘れていたようです(汗)


以上、拙い説明を長々とさせてもらいました。


それでは、本当に長い間お付き合い下さいましてありがとうございました。また、お会いすることがございましたら、どうぞよろしくお願いします〜('-'*)。


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