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ケラレ あるいは、きみの残像  作者: 真野蒼子
第三章 井口心美~ブレてしまった記憶~
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第8話 歪み始めた文化祭

 重い足取りで廊下を歩いた。最終退出時間まで十分足らず。残っている生徒もどんどん帰っていく。時間を気にせず歩いているのは香穂子くらいだ。


(生徒会長が居残り申請最多って笑える)


 社会人でいえば、サービス残業をしているようなものだ。のろのろと歩いていると、ガンガンと激しい音が聞こえてくる。 


「おーい。最終退出だよ~……お?」


 教室を覗くと、いくつもの木材が転がっていた。体の大きな女生徒が、床に這いつくばり金づちを降っている。目が合うと、にっかりと笑った。


「椎名さんじゃん! お疲れぇ!」

「お疲れさま、井口さん」


 むくりと起き上がってきたのは、クラスメイトの女生徒だ。頬が黒く汚れている。ハンカチを取り出し拭ってやった。


「一人でどうしたの。それってうちのクラスのやつ?」

「そ。お化けが飛び出る仕掛け作ってんの」

「ああ、お化け屋敷。けど、仕掛けって……」


 文化祭の仕切りをする生徒会役員は、個別の出店には参加しない。クラスの進行役は別にいるので気にしていなかったが、教室の惨状を見ると首は曲がった。

 井口の周りに置いてある木材は、彼女の身長よりも長い。鉄板に、大きな車輪まであった。


「こんなの一人じゃ無理だって! 他の子は!?」

「部活とか委員会で忙しいんだよ。でも、私は帰宅部だから」

「え!? だから井口さんにやらせてるの!? なにそれ!」

「あ、いじめとかじゃないよ! 私が言ったんだ、一人でやるって!」

「これを!? どうして! 無理に決まってるわ!」

「ふふん。力も体力も、有り余ってるのよ。可愛いのは名前だけ!」

「そういうことじゃないでしょ……」


 井口の名前は『心美(ここみ)』という。名前負けだと、いつも自虐で言っていた。自慢げに胸を叩いて笑ったけれど、笑っていいようには思えない。


「木材を一人は重すぎるって。それに、ぜんぜん形になってないし」

「作りかけは、中途半端に見えるもんよ。ほら! 他の教室回って! 居残り申請、あとで出すから!」

「う、うん……」


 豪快に笑った井口に背を押され、追い出されるように教室を出た。井口は軽快に歌いだし、楽しそうな雰囲気を出している。


(グレーだな。先生に進行見てもらおう)


 ぱっと思いついたのは、担任の望月だ。けれど、浮かんだ顔はいつもの無表情とは違う。


(……男の人が泣くのって、初めて見たな)


 少しばかり考えて、香穂子は職員室へ脚を向けた。


(他の先生にしよう。副担任なら筋も通る)


 さすがの香穂子でも、いま、望月へ突進することはできなかった。


 職員室へ入ると、ちらほらとしか教師はいなかった。副担任を探そうと室内を見回すが見当たらない。代わりに見つけたのは、クラスメイトの女生徒数人だ。揃って前田と話し込んでいる。

 なんとなく見つめていると、前田と目が合った。手招きされたので近づく。


「なんですか?」

「お前、聞いてるか。井口」

「一人で作業してました。あれってどうしたの? 文化祭の準備は、全員でやることになってなかった?」


 クラスメイトたちに目をやると、彼女たちも困ったような顔をした。


「押し付けてないよ。やろうとすると、井口さんに追い返されるんだ」

「わかってる。私もいまそうだった。なにかあったの?」

「……お化け屋敷を派手にしようって言ったの、井口さんなの。けど、いざ作り始めたら想像以上に大変でね。クラスのほとんどが嫌気差しちゃったんだ」

「けど、一度は賛成したんでしょ? なら全員でやるべきだわ」

「そのつもりだよ。なのに、井口さんが断ってくるんだもん……」


 一斉に深いため息をつくクラスメイトたちだったが、一人が「ったく」と口を尖らせた。


「いい加減にしてほしいよね、望月先生」

「はい?」


 突然の指摘に香穂子は固まった。苛立っているクラスメイトを見ると、佐々木と同じような表情をしていた。


「えーっと……なんで望月先生が出てくるの?」

「準備に来ないんだよ。先生が手伝うって約束してくれたから、井口さんの提案に賛成したのに」

「来ないってこと?」

「ぜんっぜん。井口さんは『先生も忙しいんだよ』なんて、気遣ってくれてるけどね。違うじゃん?」

「それで前田先生に相談か。なるほどね……」


 最早、ため息もでなかった。おかしくなってるのは、写真部の中だけではないらしい。


(私が庇うことじゃない、けど)


 望月の涙が頭の中から消えてくれない。浅く唇を噛み、深く頭を下げた。


「ごめん。これは私が悪い。写真部、ちょっと揉めたんだ。なのに、合宿も文化祭も先生に丸投げして忙しくさせたんだ。私から先生に言ってみるよ」

「いや、先生には言ったよ。てか、いまの問題はそこじゃないんだ」

「え? そうなの? じゃあなに?」


 はあ、と重い声交じりのため息を吐かれた。クラスメイト達は揃って眉をひそめる。


「井口さんが大変だから助けてくれって、望月先生に頼んだの。そしたら……無視されたのよ。うんとも、できないとも言わないで、完全スルー」

「……まさか。なにか集中してて、聞こえなかっただけじゃない?」

「けど、何人もだよ。土田さんと山村さんと川本さん。村井さんと竹下さんも」

「そんなに!?」

「知ってる限りではね。それに、椎名さんにもなんかされたんでしょ? 写真部の二年から聞いたよ。前田先生がケツ持ったって」

「あ、ああ……」


 ようやく合点がいった。前田は担任でも副担任でも、三年生の受け持ちでもない。それでも、いま相談するなら最適な人選だ。


(しまったな。全員に口止めすべきだった)


 香穂子が悪いわけではないのだが。ここまでくると、どうすればいいか分からない。額を抑え込んでいると、前田が小さく唸った。


「まあ、文化祭はなぁ……」


 前田は目を細めて肩を落とした。重そうに頭を抱えている。


「……文化祭だと、望月先生は駄目なんですか?」

「ん? ああ、いや。こっちの話。とにかく、井口には俺から聞いとくよ。望月は説教しといてやる。ハラスメント講習、効きすぎたな。わはは」


 笑って誤魔化そうとしたのだろうけれど、クラスメイトたちは納得していないようだった。率直に言えば、香穂子もだ。


(仮面の被りかた、教えてあげようかしら)


 香穂子は軽く頬をつねり、深く息を吐いた。

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