第8話 歪み始めた文化祭
重い足取りで廊下を歩いた。最終退出時間まで十分足らず。残っている生徒もどんどん帰っていく。時間を気にせず歩いているのは香穂子くらいだ。
(生徒会長が居残り申請最多って笑える)
社会人でいえば、サービス残業をしているようなものだ。のろのろと歩いていると、ガンガンと激しい音が聞こえてくる。
「おーい。最終退出だよ~……お?」
教室を覗くと、いくつもの木材が転がっていた。体の大きな女生徒が、床に這いつくばり金づちを降っている。目が合うと、にっかりと笑った。
「椎名さんじゃん! お疲れぇ!」
「お疲れさま、井口さん」
むくりと起き上がってきたのは、クラスメイトの女生徒だ。頬が黒く汚れている。ハンカチを取り出し拭ってやった。
「一人でどうしたの。それってうちのクラスのやつ?」
「そ。お化けが飛び出る仕掛け作ってんの」
「ああ、お化け屋敷。けど、仕掛けって……」
文化祭の仕切りをする生徒会役員は、個別の出店には参加しない。クラスの進行役は別にいるので気にしていなかったが、教室の惨状を見ると首は曲がった。
井口の周りに置いてある木材は、彼女の身長よりも長い。鉄板に、大きな車輪まであった。
「こんなの一人じゃ無理だって! 他の子は!?」
「部活とか委員会で忙しいんだよ。でも、私は帰宅部だから」
「え!? だから井口さんにやらせてるの!? なにそれ!」
「あ、いじめとかじゃないよ! 私が言ったんだ、一人でやるって!」
「これを!? どうして! 無理に決まってるわ!」
「ふふん。力も体力も、有り余ってるのよ。可愛いのは名前だけ!」
「そういうことじゃないでしょ……」
井口の名前は『心美』という。名前負けだと、いつも自虐で言っていた。自慢げに胸を叩いて笑ったけれど、笑っていいようには思えない。
「木材を一人は重すぎるって。それに、ぜんぜん形になってないし」
「作りかけは、中途半端に見えるもんよ。ほら! 他の教室回って! 居残り申請、あとで出すから!」
「う、うん……」
豪快に笑った井口に背を押され、追い出されるように教室を出た。井口は軽快に歌いだし、楽しそうな雰囲気を出している。
(グレーだな。先生に進行見てもらおう)
ぱっと思いついたのは、担任の望月だ。けれど、浮かんだ顔はいつもの無表情とは違う。
(……男の人が泣くのって、初めて見たな)
少しばかり考えて、香穂子は職員室へ脚を向けた。
(他の先生にしよう。副担任なら筋も通る)
さすがの香穂子でも、いま、望月へ突進することはできなかった。
職員室へ入ると、ちらほらとしか教師はいなかった。副担任を探そうと室内を見回すが見当たらない。代わりに見つけたのは、クラスメイトの女生徒数人だ。揃って前田と話し込んでいる。
なんとなく見つめていると、前田と目が合った。手招きされたので近づく。
「なんですか?」
「お前、聞いてるか。井口」
「一人で作業してました。あれってどうしたの? 文化祭の準備は、全員でやることになってなかった?」
クラスメイトたちに目をやると、彼女たちも困ったような顔をした。
「押し付けてないよ。やろうとすると、井口さんに追い返されるんだ」
「わかってる。私もいまそうだった。なにかあったの?」
「……お化け屋敷を派手にしようって言ったの、井口さんなの。けど、いざ作り始めたら想像以上に大変でね。クラスのほとんどが嫌気差しちゃったんだ」
「けど、一度は賛成したんでしょ? なら全員でやるべきだわ」
「そのつもりだよ。なのに、井口さんが断ってくるんだもん……」
一斉に深いため息をつくクラスメイトたちだったが、一人が「ったく」と口を尖らせた。
「いい加減にしてほしいよね、望月先生」
「はい?」
突然の指摘に香穂子は固まった。苛立っているクラスメイトを見ると、佐々木と同じような表情をしていた。
「えーっと……なんで望月先生が出てくるの?」
「準備に来ないんだよ。先生が手伝うって約束してくれたから、井口さんの提案に賛成したのに」
「来ないってこと?」
「ぜんっぜん。井口さんは『先生も忙しいんだよ』なんて、気遣ってくれてるけどね。違うじゃん?」
「それで前田先生に相談か。なるほどね……」
最早、ため息もでなかった。おかしくなってるのは、写真部の中だけではないらしい。
(私が庇うことじゃない、けど)
望月の涙が頭の中から消えてくれない。浅く唇を噛み、深く頭を下げた。
「ごめん。これは私が悪い。写真部、ちょっと揉めたんだ。なのに、合宿も文化祭も先生に丸投げして忙しくさせたんだ。私から先生に言ってみるよ」
「いや、先生には言ったよ。てか、いまの問題はそこじゃないんだ」
「え? そうなの? じゃあなに?」
はあ、と重い声交じりのため息を吐かれた。クラスメイト達は揃って眉をひそめる。
「井口さんが大変だから助けてくれって、望月先生に頼んだの。そしたら……無視されたのよ。うんとも、できないとも言わないで、完全スルー」
「……まさか。なにか集中してて、聞こえなかっただけじゃない?」
「けど、何人もだよ。土田さんと山村さんと川本さん。村井さんと竹下さんも」
「そんなに!?」
「知ってる限りではね。それに、椎名さんにもなんかされたんでしょ? 写真部の二年から聞いたよ。前田先生がケツ持ったって」
「あ、ああ……」
ようやく合点がいった。前田は担任でも副担任でも、三年生の受け持ちでもない。それでも、いま相談するなら最適な人選だ。
(しまったな。全員に口止めすべきだった)
香穂子が悪いわけではないのだが。ここまでくると、どうすればいいか分からない。額を抑え込んでいると、前田が小さく唸った。
「まあ、文化祭はなぁ……」
前田は目を細めて肩を落とした。重そうに頭を抱えている。
「……文化祭だと、望月先生は駄目なんですか?」
「ん? ああ、いや。こっちの話。とにかく、井口には俺から聞いとくよ。望月は説教しといてやる。ハラスメント講習、効きすぎたな。わはは」
笑って誤魔化そうとしたのだろうけれど、クラスメイトたちは納得していないようだった。率直に言えば、香穂子もだ。
(仮面の被りかた、教えてあげようかしら)
香穂子は軽く頬をつねり、深く息を吐いた。




