第9話 重なっていたリボン
翌日になると、文化祭の準備は様変わりしていた。
教室を覗いてみると、井口が中央に立って指示を出している。生徒たちは、井口に従い制作を進めていた。木材を運んで組み立てているのは、望月だった。
「せんせー! これそっち!」
「ああ」
「次こっちね! 釘持ってきて!」
「ああ」
教室は和気あいあいとしていた。だが、これは望月の成果ではないだろう。なにしろ、生徒たちの中には前田の姿もあった。
(保護者……)
前田は香穂子を見つけると、スキップで駆け寄ってくる。
「井口は大丈夫だ。気負いすぎてたんだな」
「有難うございます。よかった。自虐ネタで乗り越えちゃうんですよね、井口さんって。井口さんなりの配慮と盛り上げだから、真っ向から否定もできなくて」
「おお。お前は生徒をよく見てるなぁ。余裕見せると大変だぞ。厄介ごとの尻ぬぐいばっかり回ってくる」
「それはいいですよ。好きでやってるから。それに、問題は井口さんじゃないでしょう」
香穂子が望月を見ると、むうっと前田は唸った。
「望月先生、なにかあったんですか?」
「あ~……んー……」
前田は深く俯いた。なに一つ、言葉を出してくれない。
(言いにくいことなんだ。やっぱり、先生が変になった原因は……)
もはや疑いようもない。香穂子は声を潜めた。
「……私のせい、ですよね」
「お前の?」
ぎょろりと前田は目を見開いた。眉間に深く皺を刻んでいる。
「なんかあったのか。まさか、本当になんかされたのか」
「違います。一番最初の。家庭科準備室の件です」
「家庭科? あ、田添先生か?」
「田添先生? いえ。私のことです」
「だから、あれだろ? 生徒に鍵を預けるな、人のいない場所で女生徒を一人にするな、とか。えらい怒ってたぜ。あの話じゃないのか?」
「田添先生には、生徒に仕事を振るなって注意をした――みたいな話でしたよ。そんな、危機管理の話ではなかったはずです。違う人の話じゃないですか?」
「ええ? そうなのか? じゃあ、家庭科準備室の件ってのはなんだ」
あ、と香穂子は額を押さえた。
(しまった。余計なこと言った)
よもや、この状況で『なにもないです』とは言えない。
(仕方ない。私だけ手の内を隠してるのはフェアじゃないし)
どちらにしても、無関係とは思えない。香穂子はリボンを軽く握った。
「体育祭のあと、制服のリボンを……包丁で切り刻みました。それを、望月先生に見られたんです」
「……リボンを、包丁でか」
「はい。まな板は先生が買い替えてくれて、リボンはゴミ捨て場に捨てました。その日から、変になったんだと思います」
「だからお前のせいだと。な~るほどなぁ……」
腕を組んだ前田は、ううん、と低く唸った。何度も呻いて、ようやく頭を上げる。
「いや。お前は悪くない。望月には言っとくよ。生徒に心配かけんなって。すまないな」
「え、あの」
それだけ言うと、前田は生徒の輪に戻ってしました。
(結局なんなのよ)
つくづく、嘘の下手な人たちだ。
香穂子はリボンを握り締め、引きちぎろうかと思ってやめた。
それからも、望月には声をかけにくかった。しかし、幸いにも文化祭前は生徒会も忙しい。写真部へ顔を出すのも難しくなっていた。
慌ただしく文化祭当日になったが、やはり、香穂子は走り回っていた。
(これは厳しい。一人で撮り切れるかな)
望月は撮ると言っていたらしい。だが、信用できない――と、佐々木は断言していた。香穂子も反論できず、望月は撮らない前提で動くことにした。
あちこち飛び回っていると、自分のクラスの前で呼び止められた。ゾンビメイクをした井口だ。男物のスーツを着ている。
「え~! すごい! 特殊メイクみたい!」
「ふふん。これは、彼女に刺されて入院したら医者が彼女の浮気相手で、死んでも死にきれず蘇った男よ。俺を殺したのは、お前かぁ~!」
「ぎゃー! 本気で怖い! ていうか設定複雑!」
緑色に塗られた顔で迫られ、香穂子は思わず逃げる。後ろには、血まみれのナース服をキタクラスメイトもいた。教室は古びた病院になっている。
「すごい。こんな立派なお化け屋敷、よく作れたね」
「全員で頑張ったからね。力仕事は主に望月先生」
「……そっか。よかった」
ほっと息を吐くと、井口がポケットからスマホを取り出した。
「卒アルの写真、手伝うよ。三年のフロアは私たちで撮っておく」
「え、いいよ。これは写真部の仕事だもん。好きでやってるんだし」
「お礼させてほしいんだ。望月先生のこと、前田先生に話してくれたんでしょ?」
「居合わせただけだよ。心配してたのは皆も同じ」
「それでもだよ。やっぱ、椎名さんの一言ってパワーあるからさ。それに」
ひょこひょこと、ナース服のクラスメイトたちが寄って来る。香穂子の両脇に立ち、井口が香穂子の前にかがんだ。スマホを持った手を伸ばす。
「はい! 笑って! せーの!」
「えっ、ちょ、ちょっ」
慌てる香穂子を待たず、井口は手を伸ばして自撮りをした。
「ちょっとー! 絶対ぶさいくだよ、いまの!」
「うん。しかもブレてる」
スマホのモニターには、緑の物体と、肌色がいくつか並んでいる。
「失敗した長時間露光より酷い!」
「専門用語わかんないって。それに、学校生活に失敗なんてないでしょ」
「失敗――」
ぴたりと、香穂子の体は固まった。井口が軽く放った言葉は、とても重い気がする。
「ないの?」
「なにが?」
「失敗。ないのかしら」
「ないよ! 学校は楽しければ成功! あ、泣いたら失敗か!」
「……そっか。じゃあ、取り返す物もないのかしら」
「え? 誰から、なにを?」
「それは――……時間、とか?」
「時間~? なに言ってんの。学校は思い出を取りに行く場所でしょ!」
「思い出……」
井口の撮った写真はブレている。コンテストなら書類落ちだ。合格発表を待つどころか、審査の土俵にすら上がれない。
香穂子はリボンを握り、輪郭すらないゾンビたちの写真をなぞった。
「……この写真、あとで送ってよ。待ち受けにするから」
「これを!? やばい。椎名さん変な人だった」
「だって、いい写真だよ。見るたびに思い出すもん。井口さんのおかげで成功した文化祭だって」
ナース服はところどころ緑色になっていた。皆で井口を塗ったのだろうか。
それなのに、今日も香穂子は生徒会の腕章をつけている。緊急時に声を掛けやすいようにだ。本来は、教師が気を配るところなのだが。
「いいなぁ。私もやりたかった。白衣の天使」
コスプレ願望はないけれど、楽しかっただろう。
(……真っ黒な望月先生と並べば、おもしろい絵面だわ)
ブレすぎた写真を見ていると、井口に肩を抱き寄せられる。絵の具の匂いをさせている井口は、大きな声を上げて笑った。
「そんなの、誰かと変わればいいじゃん! 俺の女にしてやるよ☆」
「え、浮気するの? 恋人いる設定でしょ」
「俺を刺した女など恋人ではない! わははは!」
スーツで放つ豪快な笑いは男っぽい。とりまくゾンビナースたちは、お姫さまのようだった。
「……写真部の仕事終わらせたら、戻って来る。井口さんの女になりに」
「お、なに。今日ノリいいじゃん。いつもスカしてんのに」
「スカしてないよ、別に――……スカしてた?」
「え~無自覚~」
ぎゃはは、と大声で笑われた。思わず頬を両手で隠すと、いつのまにか、うっすらと緑色になっていた。リボンも、すっかり緑が色映りしている。
(私もへただったのか。仮面をかぶるの)
もうリボンの予備はない。けど、そんなのは大したことないように思えた。




