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ケラレ あるいは、きみの残像  作者: 真野蒼子
第三章 井口心美~ブレてしまった記憶~
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第9話 重なっていたリボン

 翌日になると、文化祭の準備は様変わりしていた。

 教室を覗いてみると、井口が中央に立って指示を出している。生徒たちは、井口に従い制作を進めていた。木材を運んで組み立てているのは、望月だった。


「せんせー! これそっち!」

「ああ」

「次こっちね! 釘持ってきて!」

「ああ」


 教室は和気あいあいとしていた。だが、これは望月の成果ではないだろう。なにしろ、生徒たちの中には前田の姿もあった。


(保護者……)


 前田は香穂子を見つけると、スキップで駆け寄ってくる。


「井口は大丈夫だ。気負いすぎてたんだな」

「有難うございます。よかった。自虐ネタで乗り越えちゃうんですよね、井口さんって。井口さんなりの配慮と盛り上げだから、真っ向から否定もできなくて」

「おお。お前は生徒をよく見てるなぁ。余裕見せると大変だぞ。厄介ごとの尻ぬぐいばっかり回ってくる」

「それはいいですよ。好きでやってるから。それに、問題は井口さんじゃないでしょう」


 香穂子が望月を見ると、むうっと前田は唸った。


「望月先生、なにかあったんですか?」

「あ~……んー……」


 前田は深く俯いた。なに一つ、言葉を出してくれない。


(言いにくいことなんだ。やっぱり、先生が変になった原因は……)


 もはや疑いようもない。香穂子は声を潜めた。


「……私のせい、ですよね」

「お前の?」


 ぎょろりと前田は目を見開いた。眉間に深く皺を刻んでいる。


「なんかあったのか。まさか、本当になんかされたのか」

「違います。一番最初の。家庭科準備室の件です」

「家庭科? あ、田添先生か?」

「田添先生? いえ。私のことです」

「だから、あれだろ? 生徒に鍵を預けるな、人のいない場所で女生徒を一人にするな、とか。えらい怒ってたぜ。あの話じゃないのか?」

「田添先生には、生徒に仕事を振るなって注意をした――みたいな話でしたよ。そんな、危機管理の話ではなかったはずです。違う人の話じゃないですか?」

「ええ? そうなのか? じゃあ、家庭科準備室の件ってのはなんだ」


 あ、と香穂子は額を押さえた。


(しまった。余計なこと言った)


 よもや、この状況で『なにもないです』とは言えない。


(仕方ない。私だけ手の内を隠してるのはフェアじゃないし)


 どちらにしても、無関係とは思えない。香穂子はリボンを軽く握った。


「体育祭のあと、制服のリボンを……包丁で切り刻みました。それを、望月先生に見られたんです」

「……リボンを、包丁でか」

「はい。まな板は先生が買い替えてくれて、リボンはゴミ捨て場に捨てました。その日から、変になったんだと思います」

「だからお前のせいだと。な~るほどなぁ……」


 腕を組んだ前田は、ううん、と低く唸った。何度も呻いて、ようやく頭を上げる。


「いや。お前は悪くない。望月には言っとくよ。生徒に心配かけんなって。すまないな」

「え、あの」


 それだけ言うと、前田は生徒の輪に戻ってしました。


(結局なんなのよ)


 つくづく、嘘の下手な人たちだ。

 香穂子はリボンを握り締め、引きちぎろうかと思ってやめた。


 それからも、望月には声をかけにくかった。しかし、幸いにも文化祭前は生徒会も忙しい。写真部へ顔を出すのも難しくなっていた。

 慌ただしく文化祭当日になったが、やはり、香穂子は走り回っていた。


(これは厳しい。一人で撮り切れるかな)


 望月は撮ると言っていたらしい。だが、信用できない――と、佐々木は断言していた。香穂子も反論できず、望月は撮らない前提で動くことにした。

 あちこち飛び回っていると、自分のクラスの前で呼び止められた。ゾンビメイクをした井口だ。男物のスーツを着ている。


「え~! すごい! 特殊メイクみたい!」

「ふふん。これは、彼女に刺されて入院したら医者が彼女の浮気相手で、死んでも死にきれず蘇った男よ。俺を殺したのは、お前かぁ~!」

「ぎゃー! 本気で怖い! ていうか設定複雑!」


 緑色に塗られた顔で迫られ、香穂子は思わず逃げる。後ろには、血まみれのナース服をキタクラスメイトもいた。教室は古びた病院になっている。


「すごい。こんな立派なお化け屋敷、よく作れたね」

「全員で頑張ったからね。力仕事は主に望月先生」

「……そっか。よかった」


 ほっと息を吐くと、井口がポケットからスマホを取り出した。


「卒アルの写真、手伝うよ。三年のフロアは私たちで撮っておく」

「え、いいよ。これは写真部の仕事だもん。好きでやってるんだし」

「お礼させてほしいんだ。望月先生のこと、前田先生に話してくれたんでしょ?」

「居合わせただけだよ。心配してたのは皆も同じ」

「それでもだよ。やっぱ、椎名さんの一言ってパワーあるからさ。それに」


 ひょこひょこと、ナース服のクラスメイトたちが寄って来る。香穂子の両脇に立ち、井口が香穂子の前にかがんだ。スマホを持った手を伸ばす。


「はい! 笑って! せーの!」

「えっ、ちょ、ちょっ」


 慌てる香穂子を待たず、井口は手を伸ばして自撮りをした。


「ちょっとー! 絶対ぶさいくだよ、いまの!」

「うん。しかもブレてる」


 スマホのモニターには、緑の物体と、肌色がいくつか並んでいる。


「失敗した長時間露光より酷い!」

「専門用語わかんないって。それに、学校生活に失敗なんてないでしょ」

「失敗――」


 ぴたりと、香穂子の体は固まった。井口が軽く放った言葉は、とても重い気がする。


「ないの?」

「なにが?」

「失敗。ないのかしら」

「ないよ! 学校は楽しければ成功! あ、泣いたら失敗か!」

「……そっか。じゃあ、取り返す物もないのかしら」

「え? 誰から、なにを?」

「それは――……時間、とか?」

「時間~? なに言ってんの。学校は思い出を取りに行く場所でしょ!」

「思い出……」


 井口の撮った写真はブレている。コンテストなら書類落ちだ。合格発表を待つどころか、審査の土俵にすら上がれない。

 香穂子はリボンを握り、輪郭すらないゾンビたちの写真をなぞった。


「……この写真、あとで送ってよ。待ち受けにするから」

「これを!? やばい。椎名さん変な人だった」

「だって、いい写真だよ。見るたびに思い出すもん。井口さんのおかげで成功した文化祭だって」


 ナース服はところどころ緑色になっていた。皆で井口を塗ったのだろうか。

 それなのに、今日も香穂子は生徒会の腕章をつけている。緊急時に声を掛けやすいようにだ。本来は、教師が気を配るところなのだが。


「いいなぁ。私もやりたかった。白衣の天使」


 コスプレ願望はないけれど、楽しかっただろう。


(……真っ黒な望月先生と並べば、おもしろい絵面だわ)


 ブレすぎた写真を見ていると、井口に肩を抱き寄せられる。絵の具の匂いをさせている井口は、大きな声を上げて笑った。


「そんなの、誰かと変わればいいじゃん! 俺の女にしてやるよ☆」

「え、浮気するの? 恋人いる設定でしょ」

「俺を刺した女など恋人ではない! わははは!」


 スーツで放つ豪快な笑いは男っぽい。とりまくゾンビナースたちは、お姫さまのようだった。


「……写真部の仕事終わらせたら、戻って来る。井口さんの女になりに」

「お、なに。今日ノリいいじゃん。いつもスカしてんのに」

「スカしてないよ、別に――……スカしてた?」

「え~無自覚~」


 ぎゃはは、と大声で笑われた。思わず頬を両手で隠すと、いつのまにか、うっすらと緑色になっていた。リボンも、すっかり緑が色映りしている。


(私もへただったのか。仮面をかぶるの)


 もうリボンの予備はない。けど、そんなのは大したことないように思えた。

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