第3話 重なったペルソナ
日が明けて、今日も平坦な授業をこなす。
(教師が教科書を読み上げるだけの時間に、わざわざ学費を払うとは……)
あくびを堪えながら放課後を迎えると、いよいよときは来た。
面談をする教室のドアを開け、軽く一礼をする。
「よろしくお願いします、望月先せ——」
「国立と私立だったな」
言い終わることすら、させてくれないらしい。さすがに呆れる。
「どこも合格圏内だし、大丈夫だろう。変更は?」
「ありません」
「そうか。なら終わりだ。帰っていいぞ」
顔を合わせて数秒。望月の視線は、手に持った紙に向いている。香穂子の進路調査票だ。
「……それだけですか」
「なにがだ」
「アドバイスとか……心配、とか。ないんですか」
「たとえば?」
「え……人の世話ばかりしていて大丈夫か、とか……」
「大丈夫じゃないなら、やめればいいんじゃないか」
さあっと、沈黙が流れた。
(この教師にして、あの生徒あり)
肩透かしを食いながら、ぐっとリボンを握り潰す。すると、望月はなにかに気づいたように「ああ」と小さく言った。
「まな板は買い替えてある。古いほうは持って帰って捨てた」
言葉を置くと、望月は進路調査票にサインをした。進路面談を終えた、という表明だ。字がきれいだということを、初めて知った。授業で黒板に書くときは、汚いくせに。
香穂子はつま先に力を入れて、一歩だけ望月に近づいた。
「どうして、なにも言わないんですか」
「田添先生には、自分の仕事は自分でしろと言っておいた」
「そうじゃなくて! 違うでしょう!」
「なにがだ」
「はっきり言えばいいじゃないですか! 頭おかしいって!」
なにかが香穂子の中で破裂した。思わず立ち上がり机を殴る。
望月は真っすぐに見てきた。眉一つ動かさない。冷静な教師面は、とにかく腹が立った。
「なんで親を呼ばないのよ! 普通するでしょ、説教を! こんな醜聞、面白いに決まってるわ! 先生にも生徒にも、バラせばいいじゃな――」
カシャッ。
「は?」
シャッターを切る音がする。黒づくめの服に紛れていて、カメラの存在に気づかなかった。
両手で支える一眼レフカメラで、カシャッ、カシャッと、望月は三枚も香穂子を撮った。カメラを置くと、足元に置いてあった鞄から、薄型のノートパソコンを取り出す。
「なんですか……」
けれど、望月から言葉は返ってこない。カメラからSDカードを抜いてパソコンに挿す。タッチパッドでなにか操作すると、香穂子にモニターを向けてきた。
「……これって……」
モニターには、不思議な写真が並んでいた。
校舎に半透明の人物が重なっている。女性のシルエットが夜空に染まっていたり、宙に透けた女生徒たちの後姿が並んでいる。
「多重露光。二つの写真を重ねて、一枚にする技法だ」
望月はフォルダを開き、一枚の写真を開いた。現れた多重露光に、香穂子の息が止まる。
「この包丁……」
ぎらつく刃に重なっているのは、生徒会長として生徒を率いる香穂子だった。飛び散る豚肉の欠片は、夜空に散らばる星に見える。
「動と静、陰と陽のペアが映える。現像液のムラは失敗だが、多重露光は技術だ」
望月の指先が、多重露光の香穂子を撫でた。
「どっちも椎名だろ」
無意識的に体が震えた。気がつけば、香穂子の指は、現実にある自分の頬をなぞっている。
「面倒ごとは、『勉強が忙しい』とでも言って断ればいい」
パタンと、望月はノートパソコンを閉じた。
(……躊躇いもしないのね)
拳を握りしめ、破壊する勢いで机を全力で殴った。
「嫌よ! だって、チヤホヤされたいもの!」
「うん?」
香穂子は、痛いくらいに頬を擦り上げた。
「この学校、大嫌いなのよ! 勉強はレベル低い! 制服はダサい! 校舎は汚い! 生徒も先生も責任感がない! それに!」
机を攻撃した拳を開き、望月の胸を平手打ちする。
「教師が黒装束とか変でしょ! 白シャツ着なさいよ!」
珍しく、望月は目を丸くした。けれど香穂子は、もう一度望月を叩く。
「馬鹿すぎて暇すぎるのよ! だったらせめて、気分良く持ち上げて! 男も女も生徒も教師も! 皆、私に跪けばいいんだわ! あなたもよ!」
思い切りネクタイを引っ張ってやった。だというのに、望月は平然としている。
「……ああ、そうか。高校受験、失敗したのか」
「っ!」
刺された言葉は、香穂子のすべてだった。
中学では『飛び抜けて優秀だ』と言われ続けた。けれど、第一志望にも第二志望にも落ち、安全圏の第三志望にも引っかからなかった。慌てて間に合う高校を探し、見つかったのは、最低レベルの桐山女子高等学校――この学校だけだった。
それだけのことだ。なのに、顔はひどく熱い。
「やっと納得いったよ。なんでこんなレベルの高い生徒が紛れてるんだって、ずっと思ってたから」
「ずっと!? だったら、他の生徒のレベル上げる努力してよ! 三年もあればできるでしょうが! それでも教師なの!?」
「ははっ」
望月の笑い声なんて初めて聞いた。それがいまこの瞬間だなんて、馬鹿にしている。
「なによ! 包丁ぶん回してるよりは、おもしろくないでしょ!」
「どうかな」
小さく笑いながら、望月は再びノートパソコンを開いた。軽く操作してモニターを見せてくる。
「……コンテスト? 写真の?」
「多重露光は諸刃の剣だ。使いこなせば芸術だが、シャッターを切るだけじゃチープな小細工。頭のいいお前に向いてるよ」
「嫌味ですか」
「いや。歴代写真部員の中でも、お前はトップクラスで技術が高い。頭いいからだろうな」
望月はパソコンのモニターに目を戻す。荒れ狂う香穂子の姿が、また表示された。
(……綺麗だわ。とても)
被写体がなんであれ、技術は技術だ。望月の写真は、どれもこれも――。
「綺麗だな」
「え?」
目が合った。切れ長だが黒目は大きい。
(正面から見るの、初めてかもしれない)
長い前髪に隠れた顔は、思いのほか幼かった。
「……綺麗、って……」
「狭い教室でも、髪が長いと動きを出せる。静と動の一体化。綺麗だろ?」
「あ? か、あ、か、髪。髪ね。髪。うん。トリートメントはプロ仕様なんで」
「ふうん」
さらりと流し、望月は四角いケースを取り出し蓋を開けた。
中にはSDカードがいくつか並んでいる。どれにも日付が書いてあった。去年の日付のカードを取り出し、パソコンに挿す。フォルダを開くと、多重露光の写真が溢れてきた。
「すごい。綺麗。どれも学校だわ。重なってるのは……ぜんぶ生徒?」
「そう。同じ場所の、違う時間を重ねてる」
「へえー……これ、どこ? 煉瓦造り。校舎じゃないよね」
「ああ、それは旧校舎だな」
「そんなのあるの? 初めて聞いた。クラシカルな色味だね。自然光? 加工?」
写真を眺めながら聞いたけれど、望月の返事はない。答えを催促するように見上げると、なぜか望月は微笑んでいた。
「……ときどき唐突に笑ってるの、なに?」
「いや」
それ以上は答えてくれず、望月はノートパソコンを閉じる。
「失敗は成功のもと。大学受験を成功させたいなら、銃刀法違反はやめておけ」
鞄から細長い紙を取り出し、差し出される。レシートだ。購入品は、千二百円もするまな板だった。
(高っ)
そろりと望月を覗き見ると、薄ら笑いを浮かべている。意地悪気な表情は、無駄に艶っぽくて腹が立つ。香穂子はレシートを握り潰した。
「盗撮だって犯罪よ。若い男性教師が女子高生を盗撮。ネットニュースは、さぞ盛り上がるでしょうね。冤罪でもないわけだし。身の破滅ってやつだわ」
レシートを床に捨てると、香穂子は最上級の笑顔を見せる。
「口止め料は、私のデータすべて」
望月は眉間に皺を寄せた。表情の崩れる様は気分がいい。
小さく息を吐くと、望月はSDカードを香穂子の手に乗せた。勝った――そう確信したけれど、望月は微かに鼻で笑う。
「……なによ」
トントンと、望月は自分の頬を突いた。
「なに? ほっぺた?」
「日焼け止め、剥げてるぞ」
「え!?」
慌てて両手で頬を隠すと、SDカードがどこかへ飛んでいってしまう。指に乗るほど小さくて、しかも黒い。カツンという音だけを残して、見えなくなってしまった。
「ああ! ちょっと! やだ!」
「最終退出時間すぎるなら、居残り申請しろよ」
「は!? 待って! 探してよ!」
けれど、望月は教室を出てしまった。香穂子は一人で床を這いまわり、帰宅したら日は暮れていた。風呂を済ませてベッドに転がり、手に入れたSDカードを強く握る。
(削除して、壊すべきなんでしょうね)
美しい多重露光は、香穂子を陥れる証拠写真だ。けれど、顔は映っていなかった。見えるのは、重ねられた優等生の香穂子だけだ。
「……なんで撮ったのよ」




