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ケラレ あるいは、きみの残像  作者: 真野蒼子
第一章 椎名香穂子~重なった少女~
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第2話 生き延びたリボン

 ホームルームを始める教室のドアを、音を立てずに3センチだけ開く。


「食券って今日もらえんのかな。金欠なんだけど」

「大丈夫でしょ。先生はともかく、椎名さんがいるし」


 教室の中では生徒たちが賑わっていた。ギャハハと小汚い笑いも飛び交っている。


(学校名は凛としてるのに……)


 私立桐山中央学園女子高等学校――唯一、香穂子が受け入れられた要素だ。

 叫ぶような笑い声に満ちた教室はいつも通りだ。異変の一つも感じない。


(……先生、バラしてないんだ。そうよね。先生同士で留めるわ)


 けれど、やはり踏み込めなかった。顔を見せた途端に、笑い飛ばされるかもしれない。

 指先を掌へ握り込んだ。動けずにいると、ぬるりと、うしろから黒い腕が差しこまれる。驚き振り返ると、望月がいた。


「お、はようございます」

「入れ。始めるぞ、ホームルーム」

「……わかってます」


 幸か不幸か、望月は担任だった。

 香穂子を振り返ることもなく、教室に入られてしまう。悔しいかな、香穂子は望月の背を追った。

 望月が教壇に立っても、生徒たちは席につかない。けれど、香穂子が教室へ入った途端に、一斉に着席していった。教室中から「食券は」と、欲にまみれた声が飛ぶ。

 変わらず冴えないクラスメイトに、香穂子はほっと息を吐いた。横目で望月を見ると、小さい紙の束を渡される。


「昨日の賞品。配ってくれ」

「は――」

「やった~! お昼は豪華だ~!」

「パン限定!? おにぎりは? 飲み物でもいいの?」


 香穂子が返事をする前に、教室中が沸き立った。


(……たった数百円分だってのに、よくもまあ)


 それでも、香穂子はクラスの代表だ。くっと口角を持ち上げる。


「一人ずつ取りに来て! 廊下側から! 約束通り、不参加の人はなしね!」


 受験を理由に、サボる生徒もいる。出場しないなら商品もなし。クラスで事前に決めていたことだ。


「はーい! おにぎりでもいいですか!」

「オッケー! 購買で売ってるものは、飲み物でもなんでも! 一人二枚だよ!」


 体育祭に参加した生徒か確認しながら、ポイポイと配った。

 二枚ずつ手渡していくと、ふと望月が視界に入る。望月が見ているのは、食券を貰えない生徒たちだった。そして、なぜか、微笑んでいる。

 しかも、声を押し殺して笑っていた。思わず凝視してしまう。


(笑う要素あった? てか、暇なら手伝いなさいよね)


 廊下側からと言ったのに、窓際の生徒も集まっている。並べと言っても、聞きやしない。整理しながらの配布は、いささか疲れた。

 ようやく配り終わり、傍観していた望月に声を掛ける。


「望月先生。終わりました。連絡事項ありますか?」


 あるともないとも言わず、教壇に来た。香穂子が一歩下がると、望月はすっと手を挙げた。


「昨日、リボンなくした奴いるか」


 ひゅうっと息を飲んだ。豚肉と一緒に刻んだ記憶がフラッシュバックする。


(どうして! リボンは私が——あれ?)


 挙げられた望月の手を見ると、本来の形状を保ったリボンを握っていた。


「いないか? タグにクマが描いてある」

「クマ?」


 つい、低く声を漏らした。望月の持っているリボンは、よく見ればシワだらけだ。隔日でアイロンをかける香穂子には、考えられない。


(なんだ。無関係のリボンか)


 安堵し深く息を吐く。同時に、教室から「あ」と声がしした。


「私だ! なくなったの、昨日! 熊井のクマで~す!」


 熊井はスキップで望月に駆け寄った。拝むように手を合わせて、リボンを受け取と自分の席へ戻っていく。軽快な足取りは、リボンを刻んだ香穂子を苛立たせた。

 怒りを笑顔に隠していると、ガラガラと教室の扉が開く。望月が号令もせず出て行った。


(……少しは気にしなさいよね)


 望月を警戒しながら午前中を終え、食券片手に購買へ走るクラスメイトを見守る。授業を寝て過ごす生徒を無視して、淡々と午後の授業を終えた。


(望月先生、どうしたかな……)


 望月は歴史の教師だ。今日は、奇しくも歴史がない。

 人生でも感じたことのない疲労を背負って、香穂子は校舎の二階に上がる。奥まった場所の教室に、『生徒会室』のプレートが貼ってあった。

 三年間通い続けた教室へ入ると、ため息がこぼれる。


(一人くらい来てなさいよね。普通、受験生に生徒会長やらせないでしょ)


 一年生のときから、香穂子は生徒会長だった。満場一致で選出されている。

 それ自体はどうということもない。だが、三年生になっても会長をやらされるなんて、さすがに予想していなかった。

 椅子に鞄を置き、書きっぱなしのホワイトボードを消す。


(消しておいてって言ったのに。跡が消えないのよね。ていうか、なにこの絵)


 黒いマジックのらくがきを擦っていると、女子生徒が入ってきた。会計の二年生だ。


「はよーございまーす。他の人まだスかぁ?」

「ええ。私も来たばっかり。頼んでおいたデータ、もらえる?」

「へ? なんでしたっけ」

「夏期講習の周知。生徒用ウェブに掲載するやつ」

「え? あ! あ~! 忘れてた! すんません! やってない!」

「……先週も、そう言ってたじゃない」

「だって、あれ三年用ですよね。椎名先輩が作ればよくないスか? 使いかた、分かんないんスよ。管理画面とかいうの」

「だからよ。私はいなくなるんだから、覚えてもらわないと」

「だる~。プリントでよくないスか~」

「学校の方針よ。ペーパーレスとDX化推進の時代なんだから」

「でぃーえっくす? なにそれぇ」

「教えてあげるから。ほら、画面見て」


 女生徒は迷惑そうな顔をして、背を丸める。人差し指で、キーボードを一個ずつ突いた。

 ファーストビューを作るだけなのに、丸一時間を要している。女子生徒は根を上げ、逃げるように帰ってしまった。結局、香穂子が一人でパソコンへ向き合っている。


(所詮こんなもんよね、この学校は。どうせ今日も、他のメンバーは来ないでしょうね)


 一人きりの室内に、タイピングの音だけが響く。三年間なにも変わらない空間を眺めると、妙な虚しさを覚えた。香穂子は目を閉じ、天井を仰ぐ。


(明日は進路面談。望月先生と一対一)


 どれだけ取り繕っても、帳消しにはならないだろう。けれど、シャッターを切る望月を思い出すと、少しだけ胸が熱くなった。

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