第17話 重ならないモブの軌跡
噴水公園は閑散としていた。駅から遠いし、見どころとなる食物などはない。公園の名である噴水は、古くて壊れていた。
(来てくれるかしら)
香穂子は入り口付近のベンチに腰掛けた。冷たい風に耐えながら、石黒が来るのを待つ。
(気づけるかな。会ったことな――……違うな。私が見てなかっただけだ。体育祭なんて、興味なかったから)
『体育』の祭りという割に、体育の成績には反映されない。受験の科目でもない。真面目に取り組んで得られる物は、購買の金券二枚だ。それも校内限定の。
(無駄だと思ってた。先生に褒められるだけなら、写真を撮ってればいい)
写真の石黒はショートボブだ。目はくっきりした二重で、黒目が大きい。唇は厚くて、全体的に丸みのある印象だった。
(童顔だわ。中学生って言われても信じそう)
印象に残る顔立ちだ。脳に石黒の顔を刻み込んでいると、すぐ近くの横断歩道で見覚えのあるスカートが揺れた。制服を着ているのは、写真と同じ石黒だ。
「石黒さん! よかった、来てくれて!」
顔を見て立ち上がる。すると、石黒は勢いよく頭を下げた。
「すみませんでした!」
「え? なにが?」
「思ってもないのに、あんな……本当に、申し訳ありません……!」
つむじを向けてくる石黒は、指先まで震えていた。スカートは、ぐしゃぐしゃに握り潰されている。
(そういえば、私に嫌われたままじゃいや、とかいう話だったっけ)
香穂子が覚えていないことに、石黒の両親は傷ついたようだった。いま突きつけることは、さすがにできない。
「……とりあえず座って。といっても、公園のベンチだけどね」
「はい……」
震えながら、石黒は座った。俯いていて、目を合わせてはもらえない。
「石黒さん、転校するって聞いたよ」
「はい……えへへ……知っての通り、ですけど……」
胸の奥に、穴でもあるようだった。石黒が自傷するように笑う理由を、香穂子は想像する以外にない。
「……ごめんなさい。私、あなたを覚えてないの」
「え?」
「望月先生は、体育祭のときっぽいこと言ってたけど、そう?」
「ひどいことを言ったから、怒らせたんだろうなって……違うんですか?」
「ごめんなさい。それもわからないの。とにかく枚数撮らないといけないから、一人一人と話したことまで覚えてなくて」
望月のくれた一枚を、石黒に差し出した。石黒は表情を硬くしている。
「怒ってないわ。だって……私、聞いてなかったから……」
すうっと、石黒が息を吸う音が聞こえた。胸が大きく膨らみ、深く俯いた。
「……石黒さん。私にチャンスをくれないかしら」
「チャンス……?」
ベンチを降りて、地面に膝をつく。脱力している石黒の手を強く握った。
「時間は巻き戻せないわ。学年が違うから、あと一年頑張ろう、とも言えない」
香穂子はスマホのカメラアプリを立ち上げる。
「一緒に撮ってくれないかな。生徒会長じゃなくてもよければ、だけど」
「先輩……」
厚い唇を震わせて、石黒は力強く頷いてくれる。涙を浮かべているけれど、口元は笑っていた。香穂子は石黒の手を引いて、二人で立ち上がる。
「よし! じゃあ、綺麗に撮ってもらいましょう! そこの覗き魔に!」
「えっ」
後方の街路樹を見ると、陰に隠れて、望月が立っていた。
「ったく。黒服で闇に紛れるなんて、忍者じゃないんだから」
「なんで望月先生が……?」
「私に教えてくれたの。石黒さんが呼んでるって」
「先生……」
盗み見るように、石黒は望月を見た。
(そういや、どうして望月先生が呼びに来たんだろう)
校長が頼んだわけではないようだった。担任でもない。
(……特別なんでしょうね。彼女自身ではなく、孤立している生徒が)
怯えるような表情で、望月は近づいて来た。手には一眼レフカメラを持っている。香穂子が飛び出たあと、悠々とカメラを取りに行ったのだろうか。
「ったく。ちゃんと撮ってくれれば、ストーカー被害は出さないであげますよ」
「撮ろう……」
叱られた子どものように、しょんぼりとしていた。
(ふん。構ってなんてやるもんですか)
香穂子は石黒と腕を組み、たくさんの写真を撮った。
「次は噴水! 水はないけど!」
「はいっ」
面白みのない公園だが、撮れば撮るほど、石黒は笑顔になっていく。望月の撮影する石黒は、とても明るく輝いていた。
数時間、散歩をしながら撮って回った。望月の支払いでカフェへ入り、学校とは逆に位置する商店街に行く。遊んですごすと、あっという間に日は暮れた。
「ああ、楽しかった! 椎名先輩と遊んだなんて、お母さん驚きます!」
「え~。どんな持ち上げしてきたの。私、わりと性格悪いよ」
「嘘。そんなことないです。椎名先輩は皆の憧れですもん。頭良くて運動もできて、美人で、優しくて、頼りがいあって!」
「あはは。うん、まあ、そういう顔を作ってきたからね」
日焼け止めの伸びた頬を撫でると、ピリッと痛みが走る。知らずに引っ掻いていたようだ。頬を撫で、香穂子は少しばかり目を伏せる。
「……引っ越しまで、また遊ぼう。私、受験終わってヒマだから」
「すごい。さすが椎名先輩」
並んで歩いていると、あっという間に駅についてしまった。ふと見れば、改札の前に石黒の両親がいる。石黒は驚いたように息を飲んだ。
望月が石黒の両親に近づき、頭を下げている。
(呼んでくれたのかしら。まあ、そうよね。私が石黒さんになにかしたら、学校側の責任問題になるもの)
少しすると、石黒の両親に手招きされた。石黒は動かなかったので、香穂子は手を握って歩き出す。
ゆっくりと、けれど、一歩ずつおとなたちへ近づいた。石黒の両親は、両手を広げて娘を抱きしめている。望月は、なぜか拳を握り締めていた。
「人生百年。いくらでも取り返せる」
「なにそれ」
望月からの答えはない。似合わない台詞を聞き流すと、石黒が望月へ頭を下げた。
「本当に、有難うございました」
「ああ」
「椎名先輩も、有難うございました。素敵な想い出になりました」
「なに終わりみたいなこと言ってるのよ。自由登校で暇なんだから、遊んでくれなきゃ困るわ。ねえ、先生?」
「暇って……いや、そうだな。椎名は暇だ」
「もうちょっとスッキリ答えてくださいよ。気の利かない人ですね」
課題があるだろう、と言わなかったことだけは評価してもいいだろう。
石黒一家は控えめに笑うと、もう一度頭を下げて帰って行った。しかし、石黒は脚をとめ、大きく振り返って来る。
「椎名先輩! 下手くそなんて言って、すみませんでした!」
叫びきると、石黒は本当に帰って行った。石黒の後姿も見えなくなると、望月がぽつりとこぼした。
「言われたのか? 下手くそ」
「石黒さんの声、今日、初めて聞いたんだよね」
香穂子は両頬をつねった。望月は苦笑いをしたが、視線は石黒の去って行った方向へ向けられている。
「……ねえ。石黒さん、いじめられてたの?」
「聞いたんじゃないのか」
「聞いてない。聞いたって、どうにもできないもん。だって私は、関係できなかったから」
「それは――」
「だから、未来に関係するの! つらいことは、私が蹴飛ばしてやるわ!」
香穂子も石黒の去った方向を見る。帰り際、足取りが軽そうに見えたのは、そうであると信じることにした。すべてを飲み込むと、望月へ体当たりする。
「うちのクラスは仲良いよ。グループで分かれてるけど」
「知ってるよ。単独行動するのは、いつもお前だ」
「あ、そういうこと言う?」
香穂子は鞄を開けて、ペンケースを取り出した。さして使ったことのない鋏を取り出すと――香穂子は、ロングヘアを切り落とした。
「椎名!?」
手をつかまれたけれど、もう切ってしまった。叫ぼうが喚こうが、元に戻りはしない。
「やめろ! なにしてっ――!」
初めて聞いた望月の大声に向けて、香穂子は切った髪を投げつけた。
「情状酌量の余地あげるわよ! 卒アル! 五冊は作りなさいよね!」
望月は呆然としていた。前髪に隠れていた目は、意外と大きい。立ち尽くす黒づくめを置き去りにして、香穂子は美容室へ飛び込んだ。




