答辞
一週間後、石黒は静かに転校した。石黒の元クラスメイトたちは、香穂子の顔を見ると逃げ出すようになっている。
石黒の電話番号を教えてくれた生徒だけは、お礼を言いに来てくれた。
「椎名先輩。茉奈ちゃんのこと、有難うございました」
「なにも聞かないって言ったはずよ。それより、茉奈ちゃんって呼んでるんだね。どうして教室では『石黒さん』って呼んだの?」
「っそ、それは……!」
もう少しなにか言ってやりたかったけれど、居合わせた井口にとめられた。それ以来、井口には「椎名さん火力高すぎ」と遊ばれている。
クラスメイトにも『番長』なんて異名をつけられてしまった。けど、『会長』よりもしっくりきている。なにしろ、会長や部長の仕事は引継ぎを終えた。いまの香穂子に、『長』という称号は相応しくない。
卒業までのわずかな間、香穂子は私立桐山中央学園女子高等学校の一生徒としての時間を謳歌できた。一番楽しかったのは、殺人ナースになれたことか。
そして、卒業式当日。三年生は全員進路を確定し、笑顔で写真を撮り合っている。写真部だった香穂子は、癖で撮影に走り回っていた。
「もっと寄って! うしろ入ってない!」
「ムリだって! 前は空気椅子して!」
「これ以上!? うしろが飛んでよ!」
「ジャンプ!? 余計に写らないって!」
全員入る角度を探していると、急に香穂子を影が覆った。ガチャガチャと音を立てて現れたのは、相変わらずの黒服だ。
「望月先生。どしたの、その脚立」
「お前も入れ。さっきから撮ってばっかりだろう。写ってない」
「最後くらい、会話噛み合わせてよ。じゃ、お願いしま~す」
カメラを専用バッグへしまうと、香穂子はクラスメイトの集合に駆け寄った。一番端に立つと、井口が声を上げる。
「番長入るって! センター開けろ!」
「え!? 端っこでいいよ! フォーメーションできてるし!」
「馬鹿いいなさんな! うちらの先頭は、椎名番長しかいないって!」
「そうそう! 番長は最後まで番長じゃないと!」
「誉め言葉と受け取っとくよ。じゃ、センターも~らい」
クラスメイトを背負うように、香穂子は両腕を広げた。ポジションを調整してる最中から、望月はシャッターを切っている。
(……初めてだな。皆と写真撮るの)
修学旅行も学内行事も、香穂子は裏方がほとんどだ。それなのに、卒業アルバムには、香穂子も大量に存在した。カメラ目線の物は少ないけれど、三年間の証明は刻まれている。
(どんな理由であれ、これだけ感謝しないとね)
望月がひとしきり撮り終えると、ばらばらとフォーメーションは崩れた。次はあっち、こっち、と各自で撮影に散っていく。
(井口さんとは撮ったし、写真部とも撮った。本橋さんは諦めるとして、あとは先生たちだけど……)
カシャッとシャッター音がした。カメラを三つも持って撮り歩いているのは、今日も真っ黒な望月だ。
真剣な横顔を見て、香穂子はカメラを取り出した。右手にカメラを持ち、左手を前に伸ばす。ピースサインをして、指の隙間に黒服を挟んでやった。
(これくらい……ん~、もーちょい……よし、ここだ)
画角を迷いつつ、シャッターを切る。近距離すぎた香穂子の指は、黒くぼやけていた。何枚か撮っていると、望月に気づかれてしまう。
「なにを撮ってるんだ。それじゃあ画面が欠けるだろ」
「そうだね。でも、こんなもんですよ。私なんて」
手の指を最大限に広げてみた。焦点の合わない手の向こうには、クラスメイトたちがいる。井口は豪快に脚立へ乗り、撮影係になっていた。
「ふふ。井口さんって、ホント頼られちゃうんだから」
「お前もだろう、番長」
「は? 嫌味ですか?」
「本心だよ。田添先生が嘆いてたぞ。来年からは早起きだって」
「改めて聞くと、結構クソな話ですよね。あ、チキンの作りかた、井口さんに教えてもらってないや」
レンズを井口に向けて一枚撮る。液晶で確認すると、振り回されている腕だけがブレていた。
「人物撮るの苦手だよな。いつも静物ばっかりで」
「だって、この学校嫌いだもん。教師も生徒もレベル低すぎ。撮って記録に残したくないわ」
「もう少しオブラートに包めないか」
「ふふ。だって番長だから」
カメラを降ろすと、クラスメイトたちの顔が見えた。全員が手を振ってくれる。
「香穂子~! 一緒に撮ろう! こっち!」
「もっちーも! 入って入って!」
石黒の一件以来、香穂子を名前で呼ぶ生徒が増えた。皆は「見直した」と口々に言っている。なにを認められたのか、具体的な理由は聞かないことにした。
でも、名前を呼ばれることは、番長よりも胸が躍る響きだった。
「……最後に気づけて良かった。私は、学校を好きになれたんだって」
微かに望月の指が揺れた。無表情のわりに、わかりやすい。これ以上はいじめになりそうで、香穂子は話題を変えることにした。
「聞いていい? 入学式の校舎に写真貼るのって、先生がやり始めたの?」
「ああ。受験に失敗して腐ってる奴にも、学校を好きになってほしくてな」
「どうしたの。ガンガン嫌味言うじゃん」
「ははっ」
珍しく、笑うべきところで笑ってくれた。望月は声を押し殺しながら、カメラのモードを変えていく。
「俺からも聞いていいか」
「どうぞ。答えるかは分かんないけど」
「入学式に貼ってあった写真、どうして破ったんだ?」
「え?」
急に言われて固まった。入学式の日、たしかに香穂子は写真を引き裂いている。
「……見てたの?」
「遅刻者を体育館に押し込む係だったんだよ。破ったくせに一枚持って行ったから気になって。どれを持って行ったのかなと」
「ピンクトーンのやつ。多重露光だったんじゃないかな」
「ふうん。気に入ったのか?」
「あんま覚えてない。ただ、曖昧なわりにインパクトあったんだよね。モチーフがめちゃくちゃ重なってたから、なにがなんだかわからなかった。あれなに?」
「一枚ずつなんて覚えてない。見せてくれれば思い出す」
「うーん。どっかいっちゃったんだよねぇ。ごめん」
香穂子の笑いをかき消すように、ぶわっと風が吹いた。グラウンド脇に立ち並ぶ桜が、花びらを散らしている。
「そうだ。石黒に聞いておいてくれ。お前と撮った写真、卒アルに載せていいか」
「ああ、うん。わかった。どこに連絡すればいい? 生徒会?」
「これに」
望月はSDカードケースを開けて、カードじゃない物を取り出した。光沢のある白い紙には、望月の名前と電話番号、メールアドレスが書いてあった。
(これって……)
名刺というには手書きで、文字はぐにゃりと歪んでいる。受け取らずにじっと見つめた。
「ハラスメント講習は、もう終わったの?」
「嫌ならいい」
「あ、うそうそ。ちょうだい」
しまいかけた望月の手をつかみ、香穂子は連絡先を受け取った。コピー用紙よりは厚い紙で、触り心地は滑らかだ。
(わざわざ買ったのかしら。それとも、なにかの余り?)
指の腹で表面を撫でていると、望月に手首をつかまれた。意外と大きい手をしている。ひと握りしても、指先は余っていた。
望月を見上げると、俯き顔を伏せている。手首を握る指が、目に見えるほど震えていた。
「……聞かないでいてくれて、有難う」
なにについてだ――とは聞かない。
その代わりに、香穂子は制服のリボンを引き抜いた。香穂子を見ていない望月の胸ポケットへねじ込む。驚いたのか、望月は顔を上げた。
「なにを」
「椎名香穂子! 十八歳! 法律上は結婚可能!」
「は?」
「覚悟しなさいよ! 連絡先教えたこと、後悔させてやるんだから!」
「え、いや」
「またね! 流星くん!」
流星は手を伸ばそうとしている。けれど、香穂子は走り出した。どんな顔をしているかは、もう見えない。けれど、追ってくる足音だけは聞こえていた。
そして香穂子は、貰った連絡先の紙を握り潰して鞄へ放り込む。この学生鞄を使うのは、今日で最後だ。




