第16話 無関係のシャッター
前田と並んで二年生のフロアへ行くと、空気はどんよりとしていた。
(お通夜……?)
状態に名をつけると、香穂子の体から血の気が引いていく。
「ま、まさか、石黒さん……亡くなっ――」
「ちげーよ。転校だよ。殺すな」
「でも……ただの転校では、ないですよね」
「お前の想像したレベルじゃねえよ。入口にも立ってない。大丈夫とは言わねえけど、最悪の状態ではない。まあ……周りが決めていいことじゃ、ねえけどな」
言いたいことは分かる。けれど、前田が声をかすらせることには腹が立った。
(ほんっと、ここの教師は仕事をしないわ。生徒をなんだと思ってるの)
八年前の生徒は、もう卒業しているというのに。
沸騰した全身の熱が、校舎の床に根を張っていく。それなのに、教室の中に石黒がいるのかいないのか――それすら、香穂子には分からなかった。
(私は生徒会長をやってきた。この学校の誰よりも長く)
脚を前に出す。けれど、廊下の向こう側から、望月がやって来る姿が見えた。小走りで香穂子の前に来るが、横から前田が軽く蹴飛ばす。
「椎名を巻き込むなっつったろ」
「これを見てくれ」
前田の言葉には答えもせず、望月は香穂子に一枚の写真を差し出してきた。
映っているのは、体操服姿の女生徒たちだ。数人がずらりと並び、入場門の前でフラッグを持っている。
「これ……体育祭ですか? 今年の?」
「ああ。お前の撮った写真だ。一番右が石黒茉奈」
年間行事の中で、唯一、望月が撮影をしないイベントだ。女子高生が体操服で運動したり踊る姿を、若い男教師が撮るのは問題になる。
だから写真部で撮って回っていた。当然だが生徒数は多い。香穂子は、一枚一枚を覚えていなかった。
「これがなんなんですか?」
「お前に『想い出を撮ろう』と言われたそうだ」
「はあ。そうなんですか」
「覚えてないか」
「うーん……深い意味はなかったと思いますよ」
「……そうか。すまない。悪かったな。忘れてくれ」
「ええ? 一人で納得しないでくださいよ。体育祭でなにか――……体育祭?」
高杉晴子のインパクトで忘れていたことを、鮮明に思い出した。
香穂子の始まりは家庭科実習室だ。日時は、体育祭のあとだった。
(もしかして)
ゆっくりと望月を見上げると、なぜか頷かれる。
「体育祭の日、家に帰らなかったらしい。終礼のときは、もう、いなかったそうだ。次の日の朝、帰ってきたそうだ」
「じゃあ……あのとき実習室に来たのは、石黒さんを探して……?」
望月は頷いた。まただ。頷いている。
(……ああ、そう)
体育祭の写真を望月へ突き返すと、香穂子は教室の扉を開けた。殴り飛ばしたような轟音に、二年生の全員が振り向いてくる。
「椎名!?」
声を上げて駆け寄ってきたのは、黒板に英文を綴っている教師だった。望月と前田も駆け寄ってきたけれど、無視して教室を一瞥する。
「誰か。石黒さんの連絡先、分かる?」
生徒全員の顔が見えた。けれど、何人かは即座に目をそらす。
「一人くらい分からないの? 電話でもチャットでも、なんでもいいわ」
「わ、私。電話番号なら」
小声で答えてくれたのは、気弱そうな生徒だった。スマホの画面を見せようとしたけれど、どういうわけだか、望月がとめた。
「いい。いいんだ、椎名」
「よくない!」
黒服の黒いネクタイに手を伸ばして、香穂子は思い切り引き寄せた。
「違う時間を重ねても意味ないって、教えてあげるわ」
静まり返る教室の中で、誰一人動かなかった。石黒のいない教室で座る生徒も、授業を邪魔された英語教師も、八年前を生きた二人の教師も。
「関係ないなら黙ってなさい」
香穂子は自分のリボンを引き抜いて、望月に叩きつけた。
望月は小さく口を開けて、微動だにしない。香穂子は、石黒の連絡先を知る生徒に向き直った。
「教えて」
「……はい」
スマホに表示された連絡先を、香穂子のスマホにも登録した。
「有難う。助かった」
「いえ……あの……石黒さんに、その……」
「悪いけど聞かないわ。それでも懺悔したいなら、そこで棒立ちしてる喪服に聞かせてやりなさい」
石黒の電話番号をタップして、香穂子はスマホを耳に当てた。前田はなにか叫んでいたけれど、香穂子は聞かずに走り出した。
(無関係の男たちに割く時間はないのよ)
ローファーに履き替えて校門を出る。走りながら、石黒の番号へ電話をかけた。
(出てくれるかしら)
数回コールしたけれど応答はない。延々とコール音を聞いていると、プツッと途切れた。
「あ、石黒さん!?」
『ただいま、電話に出ることができません。ご用のあるかたは、ピーッという音のあとに、ご用件をお話ください』
残念ながら、応答は自動音声だった。
(そりゃそうだ。知らない番号だもんね)
スマホを握りながら、小指で頬を引っ掻いた。
顔を合わせて『生徒会長です』と名乗れなければ、電話に出てもらうことすらできない。所詮、香穂子はその程度の存在だ。
「椎名です。少し話をしたいの。噴水公園で待ってるから、気が向いたら来てほしい。いやだったら、無理にとは言わないわ。それじゃ」
自分の教室を思い出してみる。話を聞かない生徒は一定数――かなり存在する。金券くらい利益がないと、きちんと聞いてもらえない。
引っ掻いた頬が痛んだ。けれど、自分でやると手加減してしまう。
(……包丁のある場所は鍵をつけよう)
そういえば、家庭科教師の田添は、香穂子が一年のときに赴任をしてきた。歴史の浅い教師には、深い歴史を教えておくべきだ。
卒業前にやるべきことを、望月に書き出させなくては。




