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ケラレ あるいは、きみの残像  作者: 真野蒼子
第五章 石黒茉奈~手放した記録~
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第16話 無関係のシャッター

 前田と並んで二年生のフロアへ行くと、空気はどんよりとしていた。


(お通夜……?)


 状態に名をつけると、香穂子の体から血の気が引いていく。


「ま、まさか、石黒さん……亡くなっ――」

「ちげーよ。転校だよ。殺すな」

「でも……ただの転校では、ないですよね」

「お前の想像したレベルじゃねえよ。入口にも立ってない。大丈夫とは言わねえけど、最悪の状態ではない。まあ……周りが決めていいことじゃ、ねえけどな」


 言いたいことは分かる。けれど、前田が声をかすらせることには腹が立った。


(ほんっと、ここの教師は仕事をしないわ。生徒をなんだと思ってるの)


 八年前の生徒は、もう卒業しているというのに。

 沸騰した全身の熱が、校舎の床に根を張っていく。それなのに、教室の中に石黒がいるのかいないのか――それすら、香穂子には分からなかった。


(私は生徒会長をやってきた。この学校の誰よりも長く)


 脚を前に出す。けれど、廊下の向こう側から、望月がやって来る姿が見えた。小走りで香穂子の前に来るが、横から前田が軽く蹴飛ばす。


「椎名を巻き込むなっつったろ」

「これを見てくれ」


 前田の言葉には答えもせず、望月は香穂子に一枚の写真を差し出してきた。

 映っているのは、体操服姿の女生徒たちだ。数人がずらりと並び、入場門の前でフラッグを持っている。


「これ……体育祭ですか? 今年の?」

「ああ。お前の撮った写真だ。一番右が石黒茉奈」


 年間行事の中で、唯一、望月が撮影をしないイベントだ。女子高生が体操服で運動したり踊る姿を、若い男教師が撮るのは問題になる。

 だから写真部で撮って回っていた。当然だが生徒数は多い。香穂子は、一枚一枚を覚えていなかった。


「これがなんなんですか?」

「お前に『想い出を撮ろう』と言われたそうだ」

「はあ。そうなんですか」

「覚えてないか」

「うーん……深い意味はなかったと思いますよ」

「……そうか。すまない。悪かったな。忘れてくれ」

「ええ? 一人で納得しないでくださいよ。体育祭でなにか――……体育祭?」


 高杉晴子のインパクトで忘れていたことを、鮮明に思い出した。

 香穂子の始まりは家庭科実習室だ。日時は、体育祭のあとだった。


(もしかして)


 ゆっくりと望月を見上げると、なぜか頷かれる。


「体育祭の日、家に帰らなかったらしい。終礼のときは、もう、いなかったそうだ。次の日の朝、帰ってきたそうだ」

「じゃあ……あのとき実習室に来たのは、石黒さんを探して……?」


 望月は頷いた。まただ。頷いている。


(……ああ、そう)


 体育祭の写真を望月へ突き返すと、香穂子は教室の扉を開けた。殴り飛ばしたような轟音に、二年生の全員が振り向いてくる。


「椎名!?」


 声を上げて駆け寄ってきたのは、黒板に英文を綴っている教師だった。望月と前田も駆け寄ってきたけれど、無視して教室を一瞥する。


「誰か。石黒さんの連絡先、分かる?」


 生徒全員の顔が見えた。けれど、何人かは即座に目をそらす。


「一人くらい分からないの? 電話でもチャットでも、なんでもいいわ」

「わ、私。電話番号なら」


 小声で答えてくれたのは、気弱そうな生徒だった。スマホの画面を見せようとしたけれど、どういうわけだか、望月がとめた。


「いい。いいんだ、椎名」

「よくない!」


 黒服の黒いネクタイに手を伸ばして、香穂子は思い切り引き寄せた。


「違う時間を重ねても意味ないって、教えてあげるわ」


 静まり返る教室の中で、誰一人動かなかった。石黒のいない教室で座る生徒も、授業を邪魔された英語教師も、八年前を生きた二人の教師も。


「関係ないなら黙ってなさい」


 香穂子は自分のリボンを引き抜いて、望月に叩きつけた。

 望月は小さく口を開けて、微動だにしない。香穂子は、石黒の連絡先を知る生徒に向き直った。


「教えて」

「……はい」


 スマホに表示された連絡先を、香穂子のスマホにも登録した。


「有難う。助かった」

「いえ……あの……石黒さんに、その……」

「悪いけど聞かないわ。それでも懺悔したいなら、そこで棒立ちしてる喪服に聞かせてやりなさい」


 石黒の電話番号をタップして、香穂子はスマホを耳に当てた。前田はなにか叫んでいたけれど、香穂子は聞かずに走り出した。


(無関係の男たちに割く時間はないのよ)


 ローファーに履き替えて校門を出る。走りながら、石黒の番号へ電話をかけた。


(出てくれるかしら)


 数回コールしたけれど応答はない。延々とコール音を聞いていると、プツッと途切れた。


「あ、石黒さん!?」

『ただいま、電話に出ることができません。ご用のあるかたは、ピーッという音のあとに、ご用件をお話ください』


 残念ながら、応答は自動音声だった。


(そりゃそうだ。知らない番号だもんね)


 スマホを握りながら、小指で頬を引っ掻いた。

 顔を合わせて『生徒会長です』と名乗れなければ、電話に出てもらうことすらできない。所詮、香穂子はその程度の存在だ。


「椎名です。少し話をしたいの。噴水公園で待ってるから、気が向いたら来てほしい。いやだったら、無理にとは言わないわ。それじゃ」


 自分の教室を思い出してみる。話を聞かない生徒は一定数――かなり存在する。金券くらい利益がないと、きちんと聞いてもらえない。

 引っ掻いた頬が痛んだ。けれど、自分でやると手加減してしまう。


(……包丁のある場所は鍵をつけよう)


 そういえば、家庭科教師の田添は、香穂子が一年のときに赴任をしてきた。歴史の浅い教師には、深い歴史を教えておくべきだ。

 卒業前にやるべきことを、望月に書き出させなくては。

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