第14話 無関係の生徒会長
一月になると自由登校へ変わった。香穂子は自習室で課題をやっている。
(高杉晴子さんは、どんな一年生だったんだろう)
新年になり、リボンの予備を購入した。受験前から分かっていた課題の存在なんて、いまさら慌てることでもない。困るのは、突発的な事故くらいのものだ。
(……知ったところで、なににもならないわ)
やけに頭を重く感じて、香穂子は机に突っ伏した。眠ってしまおうか考えていると、急に後ろから手を引っ張られる。
「うわっ!」
椅子ごと倒れそうになった香穂子を支えたのは望月だった。なぜか肩で息をしている。コートの必要な時期だというのに、薄っすら汗ばんでいた。
「先生。どうしたんですか」
「来てくれ」
「はあ。どこにで――っわあ!」
まともな返事をする前に、望月は香穂子の荷物を持って走り出す。
「ねえ! 先生! なに! 校内は走らない!」
教師お決まりの注意事項を叫んだが、望月は足を止めなかった。すれ違う生徒たちから、訝し気な視線を向けられる。
(ったく! またセクハラ疑惑出るじゃない! なんなのよ!)
手を放してもらおうと腕をよじる。けれど、つかんでくる手の力は強かった。
振りほどくことはできないまま、目的地に着いたらしい。望月が足を止めたのは、応接室の前だった。
「初めて来るんだけど。ねえ。なん――」
「失礼します」
「ちょっと。少しは答えてよ」
香穂子を無視して、望月は応接室の扉を開けた。心の準備をする間もなく、室内の情報を浴びせられる。ソファには、三人のおとなが座っていた。
校長に向き合っているのは、スーツ姿の男性と、シンプルなワンピースを着ている女性だ。
(誰だろ。うちの両親と同じくらいに見えるけど……生徒の家族? 卒業生なら望月先生よりもずっと上――……あ! もしかして、桐山高校時代の生徒!?)
ばくっと、大きく心臓が跳ねた。望月に背を押されたけれど、校長は静止するように手を前に伸ばした。
「待ってください、望月先生。本当に呼んだんですか」
「必要でしょう」
「早計ですよ。椎名さん。いいですよ、戻って」
「え? いや、でも……」
この状況で、立ち去れるわけがない。
(……高杉晴子さん関係、とか?)
勝手に調べたことが知られて、問題になったのかもしれない。過去とはいえ、学校名を変えるほどの醜聞だ。口止めをされるのだろう。
横目で望月を見ると、ひどく焦っているように見えた。背に添えられた望月の手は、肩甲骨より少し下にある。大きな手は熱を帯びていた。
(下着の真上を触るとか、セクハラの意識が足りないわ)
けれど、逃げる事態ではない。香穂子は一歩踏み出した。
「生徒会長の椎名香穂子です。ご用件をお伺いいたします」
呼ばれていないのに、校長の隣に座る。校長から「ああ」と、悩ましげな声が漏れてきた。けれど、香穂子は真っすぐに男女と目を交わらせる。
(メディアに出てこない裏事情を聞けるなら、好都合だわ)
男女は深く頭を下げてきた。
「突然、申し訳ありません。石黒茉奈の親でございます」
「……石黒さん?」
想像とは違う姓名に、香穂子は首を傾げた。
(誰? 事件後に高杉さんと離婚して、石黒さんと再婚したってんなら、ありえるけど。茉奈って言ったわよね。晴子じゃないの? 姉妹がいたとか?)
助けを求める相手を少し迷い、校長に顔を向けた。校長は軽く肩を落とし、答えようとしない。すると、うしろから望月が答えてきた。
「二年の石黒茉奈だ」
「え?」
高杉晴子の姉妹が、同じ高校へ入学するものだろうか。辻褄が合っていないように感じた。しかも香穂子は部外者だ。知らない以上、作れる答えはない。
「申し訳ありません。お名前に憶えがなくて。写真部ではないですよね」
素直に尋ねると、石黒夫妻は少し俯いた。歪められた口は、落胆にも嘲笑にも見受けられる。母親は長く息を吐いたが、父親は微笑みを浮かべた。
「娘に良くしていただいたと聞きました。それでお話をと思ったんです。あなたにだけは……嫌われたままだと、悲しいからと」
「はあ……」
面識がないので、好きも嫌いもない――とは、言いにくい空気だ。
「茉奈さんご本人はどちらに? 生徒会へ相談なら、二人きりで話をします。男性やおとな相手では、話しにくいこともあるでしょう」
「……茉奈の言うとおり、しっかりしたお嬢さんだ。実は、転校するんです。もう登校はしていません」
「そうなんですね。生徒会の対応が必要、ということでしょうか」
会長として答えると、室内の空気は固まった。校長からは「ちょっと」と、不満げな声まで出される。まるで責められている気分になった。
(え~……なにこれ。用件はなに?)
無意識に、困惑を表情に出していたのだろう。石黒の父親は「いいんですよ」と、苦笑いを浮かべた。
「なんとなく、そんな気はしていたんです。確かめたいだけだったんですよ。すみません。忙しいでしょうに。三年生なら受験ですよね」
「合格しているので大丈夫です。遠慮なくおっしゃってください。なんでもできるとは、お約束できませんが。会長として、できる限りのことはいたします」
取り繕うほどのこともなく、いつも通りに振る舞った。けれど、なぜか石黒の母親は涙をこぼした。手に持っていたハンカチに、ぽたぽたと落ちる。
「え、あ、あの。ええと……」
女生徒の親が泣くほどのこと――それは、八年前を想像するに足る状況だった。
つい望月を見上げる。しまった、と思ったときは遅かった。望月と視線がぶつかる。こちらも泣き出すのではと焦ったが、浮かんでいる表情に、香穂子は息を飲んでしまった。
(なんで……笑顔なのよ……)
唸り続ける校長のほうが理解できる。なにがなんだか分からずにいると、やっと校長は立ち上がった。
「望月先生。気持ちは分かりますが、戻ってください。椎名さんは、直接関係のあることではありません。どうするか決まったら、正式にお願いに行きます」
「……分かりました。椎名。戻るぞ」
「え、あ、は、はい」
腕をつかまれ、仕方なく立ち上がる。校長は頷いたけれど、石黒の母親は「あ」と、か細い声を出した。行かないでくれと、言われている気がした。
「よければ、生徒会のメールアドレスへご連絡ください。ただ、他の生徒と教師も見ます。待ち合わせをご提案くださるだけで構いません。必ず伺いますから」
「はい……有難うございます……」
力なく石黒の母親は頷き、父親は立ち上がり頭を下げてくれた。上体を直角に曲げるほどの、重いなにかがあるのだろう。これで帰るのは気が引けたが、校長に背を押された。望月に引っ張られて廊下へ出ると、無言のまま歩き始める。
「ねえ。なんなの、これ」
「知らないならいいんだ。忘れてくれ」
「無理でしょ。巻き込んだ以上は説明して。生徒会は、なにをすればいいの?」
「生徒会は関係ない。いいんだ」
「なにが関係あるかは、私が決めるわ。生徒のことなら関係あるのよ」
「……お前は俺と違うな」
「はい? 似てると思ってたの? 黒服出勤する非常識さは持ち合わせてないわ。ちゃんと説明して。私がなにかしちゃったなら、謝らなくちゃ」
「関係ないんだ。本当に。本当に……」
それだけ言うと、望月は香穂子を解放した。俯いて歩く姿に、黒づくめは合っている。
(じゃあ、さっきの笑顔はなんなのよ)
説明する気がないなら、感情を表に出さないで欲しいものだ。
(まあ、いいわ。望月先生が話さないなら、こっちも勝手にするんだから)




