第9話 説明できない質問
「付き合っていないのに嫉妬するのは、おかしいでしょうか」
相談を読んだ悠斗は、最後の疑問符の後に短い間を置いた。隣の琴音が、うなずいて続きを受けた。
「気持ちが生まれること自体を、おかしいと決める必要はないと思います」
6月に入った『恋の答え合わせ』は、収録の最初に番組の方針を一文だけ伝えるようになっていた。誰かの恋を採点するのでなく、その人の選択を考える。二人の声も、最初の試験回より少し落ち着いた。
今日の相談者は、仲のよい相手が別の学生と楽しそうにしていると、嫌な気持ちになると書いていた。恋人ではないのだから、こんなことを思う資格はないのではないか、と。
「自分がその人にとって、どんな相手でいたいか。そういう期待が、気持ちに関わることはあると思います」
琴音は台本に目を落とした。
「ただ、嫉妬したから相手の行動を止めてよい、という話にはならない」
「うん。感じた後に、どうするかは選べるよね」
悠斗は応じた。
「相手が楽しそうで寂しかったなら、自分も一緒に話したいと思ったのかもしれない。その気持ちを責めるより、何が欲しかったか考えてみてもいいと思います」
琴音はうなずいた。そして、相手を試すために冷たくしたり、別の人を使ったりしなくてよい、と続けた。
白石は窓の向こうで静かに聞いていた。悠斗は机の紙をめくるときだけ、相槌を控えることを意識した。
収録を終え、琴音が台本に印をつけた。
「今日は、重ならなかったね」
「相槌?」
「うん。聞きやすかった」
「ありがとう。黙ってても、ちゃんと聞いてた」
「それは分かる」
彼女はそう言って、ヘッドホンを白石へ渡した。悠斗は自分の分も戻し、編集用のメモをまとめた。
その後、別の番組を作っている2年生の女子部員が、悠斗の席へ来た。新歓動画に入れる短い語りを録ったが、硬く聞こえるので意見が欲しいという。
「俺でよければ」
悠斗が答えると、彼女は自分のパソコンを開いた。琴音は向かいの席で台本を見直していたので、悠斗は声を落とし、音声を一度だけ聞いた。
内容は新入生が大学で道に迷った話だった。彼は少し笑った。1年生の頃、自分も同じように講義棟を間違えたことがある。
「ここ、楽しかったんだろうなって分かるよ。読んでる人も笑っていいと思う」
「笑いながら話すと、聞きづらくならない?」
「ずっと笑うんじゃなくて。思い出したところだけ、少し」
彼女はその一文を読み直した。さっきより自然だったので、悠斗はうなずいた。台本にない短い感想を足すと、話の終わりにも収まりがよい。
琴音がページをめくる音がした。
悠斗が横目で見ると、同じ紙をもう一度表へ戻している。確認する箇所があるのかもしれない。
相談に来た部員が礼を言い、来週の録音で試すと席を立った。悠斗は自分の資料へ戻った。
「早瀬さん、どこか気になる?」
「何が?」
「台本。さっきから見直してたから」
「……少し、一文が長いところ」
悠斗は近づきすぎないよう、向かいの椅子を引いた。
「俺も、読もうか」
「大丈夫。今は直せる」
「分かった」
彼は引いた椅子を元へ戻しかけた。すると琴音が顔を上げた。
「そこにいても、作業はできるけど」
悠斗は椅子を止めた。
「じゃあ、ここでやる」
彼女はうなずいた。二人の間には、今日の相談文が置かれていた。
悠斗は公開用の締めの言葉を確認した。琴音が何か言いかけているようだったので、顔を上げる。
「さっきの人、動画の担当?」
「うん。語りを録ってるんだって」
「楽しそうだった」
「内容が新歓の話で、俺も同じことしたから。教室間違えたんだ」
琴音が尋ねた。
「久瀬くんも?」
「うん。全然違う学部の授業に座ってた」
「何分で気づいた?」
「先生が今日からこの実習では、って言ったところ」
琴音の口元が動いた。
「シラバスは、見なかったの?」
「見たよ。違う教室で、正しいシラバスを」
彼女が笑った。さっきから少し張っていた肩が下がったように見えて、悠斗も安心した。
「早瀬さんは、迷わなかった?」
「地図を印刷して行った」
「さすが」
「でも、入る建物の階段を1つ間違えた。地図に階段の場所が細かく出ていなかったから」
悠斗が尋ねた。
「地図のせい?」
「確認が足りなかった、ということ」
琴音はその話を終えると、台本へ戻った。悠斗はもう少し聞きたかったが、今は二人とも作業中だった。
そこへ菜月が部室の入口に顔を出した。琴音と授業の資料を貸し借りする約束があったらしい。悠斗は軽く挨拶をし、席を空けようとしたが、菜月は用事だけ済ませて帰ると言った。
資料を渡しながら、琴音はさっきの収録の相談を短く説明した。個別の相談者の話ではなく、嫉妬という感情について扱った、というところまでだ。
「難しそう」
菜月が言うと、琴音はうなずいた。
「本人がどんな関係を望んでいるか、分からないと」
「自分でも、分からないことありそうだね」
菜月はそう言い、二人へ手を振って帰った。
琴音は返事をせず、資料を鞄に入れた。悠斗は菜月の言葉が相談への回答にも使えそうだと思い、メモへ足した。
「分からなくても、急いで名前をつけなくていいのかな」
彼が言うと、琴音は顔を上げた。
「……何に?」
「気持ち。寂しいのか、羨ましいのか、嫉妬なのか。相談した人も、分からないまま送ったのかもしれないね」
「そうだと思う」
彼女はゆっくり答えた。
「でも、相手を責める前に考える時間があるのは、いいことだと思う」
悠斗はうなずいた。琴音は自分で言った言葉を確かめるように、一度、紙の端へ目を落とした。
編集が終わると、二人は喫茶店へ向かった。収録後の反省会は、今日で3度目だった。店が混んでいたので窓際ではなく奥の席になったが、琴音はもう決めるのに時間をかけず、冷たいコーヒーを頼んだ。
「今日は、手が冷えてもいいの?」
「作業がほとんど終わっているから」
「条件が変わったんだ」
「それに、暑い」
悠斗も同じものにした。飲み物が届くと、彼は新歓動画の読み方について話した。言葉を足すことで自然になる場合も、足しすぎて散らかる場合もある。
琴音はしばらく聞いてから、カップへ伸ばしかけた手を止めた。
「さっき、何を話してたの?」
「あの動画の相談?」
「うん。全部、台本の話だった?」
悠斗は少し考えた。そう聞かれると、最後は教室を間違えた話もしていた。
「途中で俺の失敗の話になったよ。恥ずかしいから、そこは録らないでねって」
琴音は小さくうなずいた。
「そう」
「気になることあった?」
「……どんなふうに、自然な声にしたのか知りたかった」
悠斗は納得し、さっきの実演を少しだけ再現した。琴音は彼の言葉に笑ったが、その後は自分の話を始めた。
今日の講義で、準備していた発表順が変わったこと。資料を先に出したために、自分だけずっと紙を持って待ったこと。
悠斗はカップを持つ手を下ろして、最後まで聞いた。
番組の反省は、いつの間にかその後へ回っていた。
帰り際、琴音は次の収録の時刻を確認し、それから小さく付け足した。
「次も、話を聞いてくれる?」
「もちろん。今日の発表の続き?」
「それもあるかもしれないけど」
彼女は言葉を止め、鞄を持ち直した。
「ただ、いつもみたいに」
悠斗はうなずいた。
「うん。いつもみたいに」
彼女が何を気にしていたのかは、まだ分からない。けれど自分と話したいと言ってくれたことは、分かった。
悠斗は携帯の予定の横へ、本の話、と足した。相談への回答には使わない、彼女へ聞きたいことだった。次は、自分から聞こうと思った。




