第10話 予定表の自由時間
編集が終わったのは、予定より30分早かった。
琴音は画面の保存を確認し、手帳を開いた。悠斗は鞄へ台本を入れながら、入口に貼られた小さな案内を見ていた。
近くの商店街で、今日だけの古本市が開かれている。
バイト先の店長から聞いていたのに、収録の予定があるので諦めていた。まだ明るい。今からなら、少しだけ見られそうだった。
「何かある?」
琴音の声に、悠斗は貼り紙から目を離した。
「古本市。今日までなんだ」
「行くの?」
「少し、寄ろうかなと思って」
彼女は時計を見た。悠斗は、自分が誘うと彼女の予定を変えてしまうのではないかと思った。けれど先週、いつもみたいに話したいと言ってくれたことを思い出す。
「早瀬さんも、よかったらどう?」
琴音は一度手帳へ視線を戻した。
「行く予定ではなかったけど」
「うん。急だから、無理しなくていいよ」
「何時まで?」
「見るだけなら、30分くらい」
彼女はペンを手帳へ挟んだ。
「じゃあ、そのくらいなら」
悠斗はうなずいた。断られなかった安心の後に、彼女と本を探せる楽しみが来た。
収録後の喫茶店は、今日は古本市を見てから、時間があればにしようと二人で決めた。
商店街の広場には、長机が何列も並んでいた。屋根のある場所なので、6月の日差しが直接当たらない。棚のように分類された区画もあれば、箱の中に雑多に本が入っている区画もある。
琴音は入口で、配置図を探した。
「今日はないと思うよ」
「分野が分かれば、回る順番を決められる」
「回りながら、分かるかも」
悠斗は一番近くの箱を指した。旅行の本と料理の本の間に、古い詩集が挟まっている。
琴音は少し困った顔をしたが、背表紙を見るために膝を曲げた。
「検索効率は、よくない」
「探してない本も出てくるからね」
「それは効率のよさとは違う」
「うん。今日は、そのために来た」
琴音は彼を見てから、もう一度箱へ目を向けた。
悠斗が文庫を1冊取り出すと、隣に薄い写真集があった。古い街並みを撮った本らしく、表紙には知らない通りが写っている。琴音がそれを指した。
「見てもいい?」
「もちろん」
彼女は店の人へ確認し、丁寧にページを開いた。現在の街と違う場所があるのか、説明文を読んでいる。
「こういう写真、好き?」
「同じ場所でも、変わっているところと残っているところがあるのが面白い」
悠斗は横からのぞき込んだ。看板の文字は違うが、窓の形は似ている。今でも歩いたことがありそうで、知らない街だった。
「早瀬さんが話してくれると、見るところが増えるね」
彼女はページをめくる手を止めた。
「私も今、説明を読んだだけ」
「でも、そこが面白いって思ったのは、早瀬さんでしょ」
琴音は小さくうなずいた。そして気になったページを、もう一度開いた。
悠斗は彼女が見終えるまで、隣の箱で本を探した。30分という約束を思い出し、時計を見る。まだ10分しかたっていない。
もっと過ぎていると思ったのに、そうではなかったのが嬉しかった。
2つ目の机では、見覚えのある作者の名前を見つけた。悠斗が手を伸ばすと、琴音も同じ本へ手を出しかけた。
「あ、ごめん」
「久瀬くんが先」
「早瀬さんも、知ってる?」
「前に、勧めると言った本。同じ作者」
悠斗はその本を手に取り、彼女へ表紙を向けた。
「これでよかったんだ」
「勧めたかったのは別の1冊。でも、これも面白いと思う」
どう面白いのか、彼女は短く説明した。人の行動を観察する随筆で、正しい説明から少し外れたところに笑いがあるらしい。
悠斗は値札を見て、買うことにした。琴音が勧める予定だった1冊の題名も、その場で携帯へ入れた。
「読める本、2つ増えた」
「仕事と授業の分まで、増やしすぎないでね」
「1日で全部は読まないよ」
「久瀬くんは、頼まれると引き受けるから」
「本には、まだ頼まれてない」
琴音が笑った。その笑い方を見て、悠斗は誘ってよかったと思った。
時間を無駄にしたと思っていないだろうか。途中まであった心配が、ようやく少し薄れた。
そのとき、店の人が隣の箱にも同じ作者の本があると教えてくれた。琴音が迷わずそちらを見に行き、悠斗も後についていった。
彼女は小さな1冊を見つけ、目次を読んでから自分の袋に入れてもらった。来る前には買う予定がなかった本だ。
その隣に、前の持ち主の栞が残っている本があった。店の人が古い店のカードだと教えてくれる。悠斗は買うと決めた自分の本にも、何か挟まっていないか確かめた。
「栞が欲しいの?」
「ううん。誰かが、どこまで読んだのかなと思って」
「途中でやめたとは、限らないよ。読み直していたかもしれない」
「そっか。じゃあ、分からないのが面白いのかな」
琴音はもう一度、箱の本を見た。分類のない場所が、誰かの読んだ順番の残る場所へ変わったようだった。
悠斗はその見方を覚えた。次に一人で古本を見るときも、今の彼女の説明を思い出す気がした。
30分を少し過ぎたところで、悠斗は声をかけた。
「時間、大丈夫?」
琴音は顔を上げ、時計を見た。
「約束より、5分過ぎてる」
「ごめん。俺が見すぎた」
「私も見ていたから。そろそろ出ようか」
二人は会計を終え、広場の外へ出た。琴音の袋は来るときより重い。悠斗はそれを見て、何か言おうとしてやめた。
その変化を彼女が見つけた。
「何?」
「早く帰るつもりだったのに、寄ってもらったから」
「自分で来ると決めたよ」
「うん。でも」
「誘ってくれて、よかった」
琴音ははっきり言った。
悠斗は言い足しかけた謝罪を引っ込めた。彼女の選択を、本当は迷惑だったはずだと決めつけるのも違う。
「俺も、一緒に見られてよかった」
琴音がうなずいた。今度はその返事をそのまま受け取れた。
喫茶店に寄る時間は、今日は取らないことにした。二人とも夕方の用事があり、古本市で話せたから、反省点は明日短く確認すればいい。
悠斗はその提案にも、以前より気軽にうなずけた。
大学へ戻る道の途中で、琴音が手帳を開いた。立ち止まって1行書くので、悠斗は隣で待った。
「何を追加したの?」
「自由時間」
「今日の分?」
「ううん。来週の予定に、少し」
悠斗は笑ってしまった。
「自由時間も、予定に入れるんだ」
「入れないと、余った時間に用事を足してしまうから」
「空白を守るための予定?」
「そう。何をするか決めない時間」
琴音はペンをしまった。
「今日みたいに、見つかるものもあると思って」
悠斗は彼女の袋を見た。新しい本が入っている。その表紙の色を、たぶん明日も覚えていると思った。
「また、見に行こうか。本じゃなくても」
言ってから、彼は次の休日の話までしたくなった。けれど琴音は手帳を開き直すのではなく、まず笑った。
「いいよ。行きたいところがあれば、教えて」
「早瀬さんも」
「うん」
予定を確認するのは後でよかった。今は、自分が希望を言って、彼女が喜んで受け取ってくれたことを覚えておきたかった。
別れた後、悠斗は書店へ向かった。今日は短い勤務がある。店長へ古本市に寄れたと話すと、よい本はあったかと聞かれた。
悠斗は袋から1冊を出した。
「これ、勧めてもらって」
「いい顔してるな。探してた本か」
「探してたわけでは、ないんですけど」
彼は表紙をもう一度見た。
「見つかって、よかったです」
店長はうなずいて、次の仕事を伝えた。悠斗は本を鞄へ戻し、レジに立った。
仕事の合間、知らない本の題名を見るたび、琴音ならどんなところを面白いと言うだろうと思った。
次の休日に誘う口実を探している、とまでは、まだ自分に説明しなかった。




