第7話 返信を待つ理由
悠斗が携帯を開くと、琴音からの返事はまだなかった。
そこで初めて、さっきも同じ画面を見たことに気づいた。送ったのは、明日使う台本を読んだ、という連絡だけだ。急ぎではないし、今は彼女の講義中かもしれない。
彼は画面を伏せ、食堂のトレーを持ち上げた。
「通知、鳴ってないぞ」
向かいで瀬戸陽介が言う。
「分かってる」
「分かってるのに、見たのか」
「時計も出るから」
「食堂の壁にもある」
悠斗は言い訳をやめ、残っていたご飯を食べた。陽介はそれ以上聞かず、自分の午後の授業が休講になった話を始めた。
その途中で携帯が鳴った。悠斗が画面を見てから戻すまでの短さに、陽介は眉を上げた。
「急ぎだった?」
「いや。台本の確認」
「じゃあ、返事は後でもいいんじゃないか」
悠斗はそのとおりだと思いながら、短く了承を送った。
5月半ばの相談は、返信が遅い相手に脈がないのか、という内容だった。悠斗は台本を読みながら、昼の自分を思い出していた。
琴音は、返信する速さだけで気持ちを判断することはできない、と回答の最初に書いていた。
「講義とか、仕事とか、携帯を見られない時間はあるからね」
彼が言うと、琴音はうなずいた。
「読んだ後に、考えてから返す人もいる。短く返すのが失礼だと思う場合もあるし」
「返事がない間、待ってる側は色々考えちゃうけど」
「その想像が、事実とは限らない」
琴音はそこまで言って、自分の携帯を裏返した。悠斗は、その動きを見ないふりで紙へ戻った。
相談には、相手が他の人にはすぐ返しているようで気になる、ともあった。二人は、その情報だけで好意の大小を決めないよう話し合った。返事の必要な用件と、雑談では違うこともある。
「でも、待っていてつらいのは、なくならないよね」
悠斗が言うと、琴音はペンを止めた。
「急がなくていい内容なら、待つ間の過ごし方を考える?」
「うん。携帯を見てるだけだと、長く感じるし」
「久瀬くんも?」
彼は一瞬返事が遅れた。
「……まあ、見ることはある」
「そう」
琴音はそれ以上聞かなかった。けれど次に書いた1行を、少し時間をかけて整えていた。
待つ気持ちを責めない。確認を繰り返しても、相手の時間は早くならない。
悠斗は、今日の自分にも使えそうだと思った。
収録では、二人とも返信の早さを愛情の試験にしないよう、言葉を選んだ。
「いつ返してくれるのか分からないと、不安になることはありますよね」
悠斗はマイクの前で言った。
「でも、その不安をなくすために、相手がずっと携帯を見ていなければいけないとしたら、お互い疲れてしまうと思います」
「二人の間で、連絡のしかたを知っていくほうが役立つかもしれません」
琴音は続けた。
「この時間は授業がある、とか。急ぎなら、いつまでに返事が欲しいと伝える、とか。返信が遅い理由を全部推測するより、一つ確かめる方法もあります」
悠斗はうなずいた。相談者が好きな相手とどれくらい話せる関係かは分からないので、そこまでできなければ駄目だとは言わなかった。
締めの言葉を録ると、白石が波形を止めた。
「今回、例文は作らないんですか」
「作ると、また面接になるかもしれないから」
悠斗が答えると、琴音は眉を寄せた。
「文章なら、そこまで硬くはならない」
「じゃあ、『返信を優先する基準を教えてください』とか」
琴音は口を開き、閉じた。
「……それは作らない」
白石が笑って、ヘッドホンを外した。
編集の後、琴音は自分のノートに小さな表を作りかけた。通知を見た時間、返信した時間、何をしていたか。悠斗は隣で紙を整理していて、見えてしまった列名だけを読んだ。
「自分の記録?」
「どのくらい、状況によって変わるのか確かめようかと思って」
「俺の返事も、測られる?」
琴音はペンを止めた。
「他人のは、本人に聞かないと条件が分からないから、測らない」
「自分なら、分かるんだ」
「そのつもりだったけど」
彼女は表の1行目を消し、空白のままノートを閉じた。
「何?」
「比較するほど、データがない」
悠斗は納得してうなずいた。彼女が消した欄に、自分の名字が一瞬見えた気もしたが、作業の連絡が多いのだから不思議ではない。
そのとき千紗から、告知文を確認してほしいという連絡が来た。琴音は内容を読み、帰宅後に確認する旨を送った。
「今、返せるんだね」
「予定を伝えるだけだから」
「そっか」
「内容の返事は、後でする」
彼はバイト先で連絡を見られなかった日のことを話した。帰るまで返事ができず、後から謝ると、店の仕事中なのだから当然だと言われたことがある。
「なのに、自分が待つほうになると忘れるんだね」
「知っている状況と、知らない状況では違うから」
琴音はそう言い、少し迷ってから続けた。
「久瀬くんの勤務がある日は、夜まで返事がなくても、仕事だろうと思える」
「覚えてるの?」
「編集の日程を決めるときに聞いたから」
悠斗はその説明で納得した。それでも、彼女の中で自分の1週間が少し分かる形になっていることは、ただの日程調整より嬉しかった。
自分も彼女の講義のある時刻を、いくつか覚えている。次に待つときは、その予定を先に思い出そうと思った。
「俺、今日のお昼に早瀬さんの返事が来たとき、台本の話だって分かってたのに、すぐ見た」
言ってから、自分でもなぜそれを報告したのか分からなくなった。
琴音は携帯を鞄へ入れかけた手を止めた。
「急ぎではなかったけど」
「うん。分かってた」
「それなら、後でもよかったよ」
「そうだね」
彼は笑った。琴音は少しだけ口元を動かしたあと、鞄の口を閉めた。
「私も、授業が終わったら、先に開いた」
「台本?」
「……メッセージ」
悠斗は返事を探したが、彼女は次の公開時刻の確認へ話を戻した。彼もその話に乗った。どう受け取ればいいか分からない言葉は、その場で無理に結論にしなくてもよい。
部室を出る前、琴音は悠斗へ傘を返した。先週から彼が部室の傘立てに忘れていたもので、もう乾いている。
「返したことまで忘れないでね」
「前は借りたほうが忘れる話だったのに」
「予定どおり返したから、私の担当は終わってる」
悠斗は傘を持った。つい携帯の通知を見る癖で、持ち手を床に落としかけ、琴音に慌てて支えてもらった。
「携帯は、歩く前にしまって」
「はい」
彼は素直に鞄へ入れた。彼女も笑い、自分の携帯をしまった。
帰宅して食事を終えると、悠斗は次回の台本について1箇所だけ気になった点を送った。夜も遅いし、返事は明日でよいと添える。
その後、本を開いた。何ページか読み進めたところで通知が鳴った。
『その箇所、私も直したいと思っていた。明日、一緒に確認しよう』
悠斗が了承を送ると、ほとんど間を置かず、次のメッセージが届いた。
『今、携帯を見ていたから。早いことに、特別な理由はない』
彼は画面を見て笑った。特別な理由がないことを、わざわざ説明するところが彼女らしい。
『分かった。でも、すぐ話せてよかった』
今度はしばらく、返事が来なかった。
悠斗は本に戻った。栞を挟む頃、短い返事が届いた。
『私も。おやすみ』
彼は明日会う相手へ、おやすみと返した。以前は連絡に必要な用件が終われば、そのまま画面を閉じていた。
最近は、用件の後の1行を読んでから閉じる。
それがいつ始まったのか思い出そうとして、悠斗は携帯を置いた。明日の確認事項は、ちゃんと頭に残っていた。




