第5話 講評ではなく褒め言葉
琴音は、褒めるための例文に3つの注釈をつけてきた。
「その注釈まで読んだら、褒められた人が帰っちゃうかもしれない」
悠斗が言うと、彼女は台本を見下ろした。
「注釈は読まない。私が忘れないためのもの」
「ならよかった」
「ただ、例を使う条件は説明したい」
「少し長い褒め言葉になりそうだね」
5月の最初の収録で扱うのは、好きな人のよいところに気づいても、口に出すと不自然になる、という相談だった。
琴音は相手の見た目だけを話題にせず、具体的な行動や成果を伝える方法を挙げた。悠斗は、それなら受け取った人も、自分の何がよかったか分かると同意した。
「でも、成果がない日もあるよね」
彼が言うと、琴音は顔を上げた。
「褒める機会がない日?」
「うん。たとえば、結果は出なくても、そのために丁寧にやってたこととか。本人はうまくいかなかったと思ってるかもしれないけど、見ていた人には分かることがある」
「努力しているから褒める、ということ?」
「それもあるけど、褒めなきゃと思うより、見ててよかったところをそのまま伝える感じかな」
琴音はペン先を止め、ノートの端に短い言葉を書いた。
「本人が、自分では価値をつけていない部分」
「そう。それ」
悠斗がうなずくと、彼女は注釈の1つを消した。
「今ので、例が1つ減った」
「減らしてよかった?」
「うん。少し、伝わりやすくなった」
ブースに入る前の会話は、いつも予定より増える。そのおかげで収録は短くなることが多かった。白石は2人分のマイクの位置を直しながら、今日は例文を全部読むのかと尋ねた。
「減りました」
琴音が答えると、白石は安心した顔をした。
「尺の問題?」
悠斗が聞くと、彼は少し困ったように笑った。
「さっき試しに読んだら、褒められているのか審査されているのか、分からなくて」
琴音は無言で、もう1本線を引いた。
収録では、相談者へ何かを義務づけないよう、言い方を確認した。好きな相手を毎回褒めなければいけないわけではない。言葉が出ない日は、感謝を伝えるだけでもいい。
「助かった、でも十分だと思います」
悠斗がマイクへ話す。
「自分を見てくれてたんだと分かると、嬉しいことがありますよね」
「相手が返答に困ったように見えても、必ずしも嫌だったとは限りません」
琴音が続けた。
「急に褒められると、どう受け取ればいいか分からない人もいるので。反応を求めすぎないことも大切だと思います」
悠斗は隣を見た。彼女の声は落ち着いているが、その説明がどこか実感を伴っていた。
「早瀬さんも、困る?」
聞いた後で、予定になかった質問だと気づいた。琴音は目を一度伏せる。
「内容による」
「たとえば?」
「準備が助かったと言われるのは、受け取りやすい。でも、性格について言われると、どう返すべきか迷う」
「返さなきゃ、って思うんだ」
琴音が尋ねた。
「久瀬くんは、思わない?」
「俺も少し思う。ありがとうだけでいいのに、何か返したくなるね」
琴音がうなずいた。例文より、その短いやり取りのほうがよく伝わりそうだった。
相談者への締めの後で、白石が録音を止めた。予定外の質問を残すかと聞かれ、琴音は自分の発言を一度聞いてから了承した。
「私の反応が、一例になるなら」
悠斗は、彼女が自分を隠しすぎないことを嬉しく思った。正しい説明をする人だけでなく、褒められると困る人として話してくれたのだ。
午後の編集では、二人が先に台本の整理をした。前回決めたとおり、技術の確認は白石が空き時間に来てくれる。
琴音は公開用の相談文を読み直し、迷いの部分を削りすぎていないか確認していた。1つの言葉を消してから、元の投稿を見て戻す。
「短くしないの?」
悠斗が聞くと、彼女は紙を寄せた。
「ここを消すと、ただ褒め方を知りたい人みたいになる。本当は、相手に変に思われるのが怖いと書いてあったから」
残すと特定につながる情報と、残したい感情は違う。彼女の台本には、その区別が小さな書き込みになっていた。
「早瀬さんの台本、ちゃんと人がいるね」
琴音のペンが止まった。
「人?」
「うん。文章を短くするだけなら、もっとできると思うけど。相談した人が何を言いたかったか、なくならないようにしてる」
彼女は台本を見て、それから悠斗を見た。
「そうしないと、違う相談になるから」
「そこまで確認するの、時間かかるでしょ」
「……多少は」
「ありがとう。俺、読んでるとき助かってる」
琴音はペンのふたを閉めた。まだ作業は終わっていないのに、すぐまた開けた。
「それなら、よかった」
声が少し小さかった。悠斗は今日の収録を思い出して、返事を求めず自分の紙へ戻った。
すると隣で、琴音が椅子を引き寄せた。
「久瀬くんも、相談の読み方がよくなった」
「最初に止められたからね」
「それだけじゃない。相手が今感じていることと、こちらが想像することを、分けて話している」
悠斗は手元の紙を置いた。
「聞くときも、最後まで待てるし。評価すべき点だと思う」
「評価された」
「違う。今のは、そういう言い方ではなくて」
琴音は眉を寄せた。何かを言い換えようとしている。
「安心できる聞き方、という意味」
悠斗は黙った。彼女の言い方を直すより、そのまま聞いていたかった。
「私が途中で考えていても、結論を代わりに言わないから」
琴音はそこまで言って、台本に目を落とした。
「……今の説明、長かった?」
「ちょうどよかった」
「本当に?」
「うん。ありがとう」
琴音は小さくうなずいた。それで言い直しが終わったので、悠斗も笑った。
白石が来て、3人で編集の仕上がりを確認した。悠斗が普段より紙の端を気にしていると、白石に何か修正があるのかと聞かれた。
「いや、今日は俺の言い直しが少ないなと思って」
「早瀬さんの台本、分かりやすかったですからね」
白石が言うと、琴音は淡々と礼を返した。悠斗は自分が褒めたときと反応が違う気がしたが、確かめるようなことはしなかった。
片付ける頃、千紗が印刷した告知を持ってきた。相談フォームの説明文が少し長いという話になり、琴音は必要な部分を指で示した。悠斗は隣から、読みにくいところだけを挙げた。
二人で作った修正案を、千紗はうなずいて受け取った。
「だんだん、説明する順番が決まってきたね」
「私が先とは限らないよ」
琴音が言った。
「そこが、いいんじゃない?」
千紗は余った紙をまとめ、次の予定へ向かった。
悠斗は台本を鞄へ入れる。琴音が先ほど開け閉めしたペンを、机の中央へ置いていたので、持ち主を確かめるように差し出した。
「これ、早瀬さんの」
「ありがとう」
彼女は受け取り、少し迷ってから続けた。
「台本のこと、さっき言ってくれたのは、嬉しかった」
講評も訂正もついていない言葉だった。
悠斗が返事をする前に、琴音は鞄の口を閉じた。それ以上何かを求めないように見えたので、彼も一つだけ答えた。
「俺も、聞き方のこと嬉しかった」
廊下へ出ると、琴音は次の台本をいつ渡せるか話し始めた。悠斗はその説明を聞きながら、さっきと同じ声なのに、少し違って聞こえると思った。
翌朝、部室の机には新しい台本が二部置かれていた。
読みやすいように相談文の行間が少し広がり、余白に小さく『読む人が考えるための間』と記されている。
悠斗は自分の分を取り、彼女が来るまでに読むことにした。もう一部は机の端から落ちない位置へ、そっと寄せておいた。




