第4話 沈黙を測らない
収録が始まって40秒。琴音が腕時計を見た。
悠斗もつられて壁の時計を見る。白石が機材の時計を見て、3人の視線が同時に違う場所へ向いた。
「時間、何か間違えた?」
悠斗が尋ねると、琴音は首を振った。
「今、3秒黙っていた」
「……それを測ってたんだ」
今日の相談は、好きな人と二人でいると沈黙が続くのは相性が悪いからか、というものだった。琴音は、気まずい沈黙と心地よい沈黙を区別するために、まず会話の例を作ろうとした。
その結果、3秒の沈黙が、予定よりずっと気まずくなっていた。
「計測すると、話さないといけない気がするね」
「測っていると気づかれないようにしたほうがよかった」
「気づかなかったら、俺だけ3秒で追い詰められる」
白石が録音を止め、笑いながら台本へ印をつけた。琴音は時計を鞄にしまった。腕から外すほどの決意に、悠斗はかえって申し訳なくなった。
「普通につけてていいよ」
「しばらく見ないことにする」
4月最後の収録だった。初回を公開した後、番組へ寄せられる相談が少しずつ増えている。沈黙についての相談にも、相手に嫌われているのではないかという不安が添えられていた。
悠斗はその一文に線を引いた。
「黙ってる時間だけでは、分からないよね」
「うん。話したいのに言葉が出ないのか、話す必要がないのかでも違う」
「相談した人は、相手にも何か言ってほしいのかもしれない」
琴音はうなずいた。
「それなら、沈黙を我慢できるかどうかより、話したいことを伝えられるかが大事かな」
「黙ってても平気にならなきゃ、って無理しなくていいんだね」
二人は最初に作った例を削り、別のやり方を考えた。沈黙を一つの証拠として扱わないこと。相手が何をしているかや、その後の態度も見ること。そして自分が寂しいなら、もう少し話したいと頼んでよいこと。
琴音が最後の項目を書きながら、隣に小さく疑問符をつけた。
「何?」
「頼むのも、緊張する人はいるだろうと思って」
「うん。でも、言ってもらえたら嬉しい相手もいると思う」
悠斗が答えると、彼女は疑問符を消さず、その横に言葉を足した。
相手に伝える方法も一緒に考える、と書いてあった。
収録の途中で、琴音は先日買った短編集の話をした。
「何も言わない場面でも、相手に任せていることが分かる話があるね」
悠斗は思わず顔を上げた。
「読んでくれたんだ」
「うん。番組では内容を詳しく話さないけど」
ヘッドホンの奥で、自分の声が少し明るくなったのが分かった。相談の途中なのに、自分の好きな本が役に立つのが嬉しかった。
「好きな相手の前で、ずっと面白い話をしなきゃいけないわけじゃないですよね」
悠斗はマイクに向き直った。
「一緒に別々のものを読んでる時間とか、景色を見ている時間もあると思います。黙っているときの自分を、相手が急かさないなら、それも一つの安心かもしれません」
「ただ、相手は平気そうだから自分も平気なふりをしなければ、とは考えなくていいです」
琴音が続けた。
「話すのが好きな人も、静かにいるのが好きな人もいます。どちらかが合わせ続けるより、一緒にいてどう感じるかを確かめてみてください」
今度は、途中で時計を見る人はいなかった。
収録が終わると、琴音はほっとしたように腕時計をつけ直した。悠斗はそれを見て笑った。
「時計、番組に戻れるね」
「次は出演料を請求されるかもしれない」
彼女の冗談を理解するまでに一拍かかり、悠斗は遅れて笑った。
「今の間は、悪くない3秒だった」
「2秒くらいだったと思う」
「やっぱり測ってる?」
「今のは推測」
白石が次の講義へ向かい、藤堂も学内イベントの打ち合わせで部室を出た。編集の下準備だけは、二人で進められる。
琴音は収録した相談文と台本の表記を確かめ、悠斗は、取り上げるかどうかをこれから検討する投稿を読んだ。送信した人だけでなく、書かれた相手のことまで分かる情報がないかを見る。
途中、名前を伏せただけでは所属が推測できそうな投稿があった。悠斗が付箋を貼って琴音の側へ置くと、彼女は目を通し、確認する項目を余白に書いて返した。
声にしなくても、作業が進んだ。
紙を置く場所も、いつの間にか決まっていた。確認を頼みたいものは中央、終わったものは右側。初めは1枚ごとに声をかけていたが、琴音が場所を分けようと提案したのだ。
悠斗はその中央へ、別の付箋を置いた。琴音が読む前に気づいて、指先で向きを変える。
「何も書いていなかった」
「伝わらない沈黙もあるね」
彼女が真顔で言うので、彼は笑いながらペンを取った。
悠斗は次に同じテーマが来たら使おうと、台本の余白へ今の失敗を短く記した。琴音はその手元を見て、一度うなずいてから自分の作業へ戻った。
廊下を歩く人の音がして、遠くの教室から机を動かす音が聞こえる。琴音のペンが一定の間隔で紙に触れ、悠斗は手元の文章へ戻った。
高校の頃、隣にいる友人が黙ると、彼は何か言わなければと思った。元気づける言葉を次々に探し、それが相手を休ませないこともあるのだと、後になって知った。
今は、隣の人の沈黙をすぐ埋めようとは思わない。琴音が何か言いたくなれば、こちらを向くだろう。そのとき聞けるようにしておけばいい。
彼は新しい投稿を読み始めた。
しばらくして琴音が顔を上げた。
「今、かなり長く黙っていた」
悠斗は彼女の腕を見た。時計はちゃんと袖の内側にあった。
「嫌だった?」
「むしろ、作業しやすかった」
「俺も」
「相談への回答、今なら別の例が出せそう」
彼女は少し考え、今日の台本の端に1行書いた。それを悠斗へ向ける。
返事を急がなくていい相手。
「分かる」
悠斗はそう言ってから、少しだけ心配になった。
「俺、返事しなかったわけじゃないよね」
「付箋は全部受け取ったし、今も返してる」
「ならよかった」
琴音は新しい投稿をまとめた。持ち主の分からない色ペンが机に転がっていたので、悠斗はペン立てへ戻した。それ以外に、作業を終えるためにすることはなかった。
帰る準備をしていると、琴音が鞄から短編集を出した。
「最初の話、最後まで読んだ後に最初へ戻った」
「言ったとおりだった?」
「それを認めるのは、少し悔しいけど」
悠斗は本の表紙を見た。角が折れていないのに、買ったばかりのときより、彼女の持ち物らしく見えた。
「3つ目も、読んだ?」
「読んだ。私は、あちらのほうが好きだった」
「あ、やっぱり」
「予測が当たった顔をしないで」
琴音は言ったが、声は楽しそうだった。悠斗は感想の続きを聞きたくなった。しかし彼女の鞄から講義用の資料が見えたので、今日はもう予定があるのだろうと思った。
聞くか迷っていると、琴音が先に口を開いた。
「次の編集作業、最初の確認だけ二人でしない?」
「白石くんは?」
「技術の確認はお願いする。台本と回答の整理を、先にやっておくとよさそうだから」
「うん。今日みたいに?」
琴音はうなずいた。
「今日みたいに」
悠斗は空いている時間を伝えた。琴音が予定を記し、彼も携帯に入れる。
二人きりで黙っていた時間の後に、また二人で作業する約束ができた。相性がよいかどうか、彼にはまだ大きなことは分からない。
ただ、今日の沈黙をまた過ごすのは、少しも嫌ではなかった。
部室の照明を消す前に、琴音が忘れ物を確かめた。悠斗も机を見回す。二人の目が合って、どちらからともなくうなずいた。
今度はそのうなずきに、言葉を足さなくてよかった。




