第40話 これからの話をしよう
進路説明会の資料は、悠斗の鞄の中で少し曲がっていた。
まだ先のことだと思っていた。だが春には3年生になると言われると、卒業後を何も考えずにいる時間は、ずっと続くわけではない。
琴音は同じ資料を、薄いファイルへ入れて持ってきた。
「もう読んだ?」
彼女が聞く。
「最初だけ。琴音は?」
「1通り。分からない言葉は残っている」
「分かるようにしてから来るんだね」
「聞きたいことが見つかるから」
1月の講義の後、大学の進路説明会へ二人で参加した。どこかへすぐ応募するためではなく、仕事や学びの選び方を知るための会だった。
会場では、文章や映像、企画など、学生の興味を仕事へ結びつける方法も紹介された。必ず希望の分野へ進めるという話ではない。調べてみること、実際の仕事の内容を知ること、経験を言葉にすることが大切だという。
悠斗は、その説明にメモを取った。
自分が好きなのは、話を聞くことなのか、文章を書くことなのか。声にして誰かへ届けることも、最近は面白い。
仕事の名前を一つ選ぶ前に、自分が何をしている時間を好きか、もう少し知りたかった。
琴音は隣で、質問の欄にいくつか印をつけている。
彼は彼女が何を知りたいのか、説明会が終わった後に聞こうと思った。
会場を出ると、二人は廊下の端で資料をしまった。
「何が、気になった?」
悠斗が聞くと、琴音は迷わず1つの項目を指した。
「企画や制作の仕事。何を届けたいか考えて、形にする部分に興味がある」
「番組でも、好きだと言ってたところ」
「うん。でも、仕事では何をするのか、まだ詳しくは知らない」
彼女は資料を閉じた。
「だから、説明会や短い講座を調べたい。すぐ進路を決めるためではなくて」
悠斗はうなずいた。
「俺は、文章や音声を作ることに、もう少し関わってみたいと思った」
「話す側?」
「それも好き。でも、何を言うか考える時間も面白い。相手がどう聞くかを想像して、直すところ」
琴音は彼を見た。
「台本を、声に出して確かめるのが好きだと言っていたね」
「うん。最初は台本があると楽だと思ってたけど、読んでみると、まだ変えられることが見つかる」
彼は自分で話しながら、その作業が本当に好きなのだと気づいた。誰かに必要だと言われるからだけではない。
「仕事になるかは、分からないけど」
「分からないから、知っていけばいいと思う」
琴音の返事に、悠斗は笑った。
「今日の説明と、同じだ」
「今、役に立った」
二人は喫茶店へ寄り、もう少し話すことにした。
試験前なので長くは取らず、時刻を確かめてから座る。資料を広げると、琴音は自分の考えていることを順番に説明した。
どういう企画を作りたいのか。誰へ届けるものに興味があるか。大学の授業で学んでいることを、どこで使えるか。
途中から説明が細かくなり、彼女は自分で言葉を止めた。
「まだ決まっていないのに、計画のように話した」
「楽しそうに話してるね」
悠斗が言うと、彼女は顔を上げた。
「内容が、細かすぎた?」
「いや。興味があるんだなって分かった」
琴音はカップへ目を落とした。
「うん。考えるのは、楽しい」
「じゃあ、もっと聞きたい」
彼は紙を自分のほうへ少し寄せた。
琴音が何を目指しているかを、恋人として知りたい。
彼女は、学生向けの企画の作り方を学ぶ場に興味があると話した。参加者が課題を出し合い、短い時間で形にするらしい。
「予定外のことも、多そう」
悠斗が言うと、琴音はうなずいた。
「だから、試してみたい。準備だけでできることと、現場で考えることの違いを知りたい」
彼はその答えを聞いて嬉しくなった。彼女が合理的であることをやめるのではなく、その使い方をもっと増やそうとしている。
悠斗も、自分が参加してみたい講座の話をした。
短い文章を音声にする練習があり、番組とは違う形で言葉を扱える。勤務や大学の予定と合えば、春休みに試してみたい。
琴音は日程を確認し、引き継ぎの作業と重なりそうなところを指した。
「ここは、早めに分担しておいたほうがよさそう」
「うん。俺が教えると約束した分は、先に確認する」
「全部をやめる必要はない。でも、講座を諦める前に相談したいね」
悠斗はうなずいた。
以前なら、頼まれた仕事を優先し、自分が学びたいことは来年でもよいと思ったかもしれない。今は、自分の希望も予定の一つとして置きたい。
「琴音の講座も、先に入れよう」
彼が言うと、彼女は手帳を開いた。
「まだ申込み前だから、候補として」
「うん。決まったら教えて」
2人の予定が同じ色で埋まるわけではなかった。それぞれが行く場所や、使う時間が増える。
少し寂しい気もしたが、相手の世界が広がることを嫌だとは思わなかった。
琴音は資料の端へ、まだ知らない仕事、と書いた。
「何を書いてるの?」
「興味がないのでなく、知らないから候補に入っていないものもあると思って」
悠斗は自分の紙を見た。放送に関わった1年のことばかり思い浮かべていたが、書店で客に本を探してほしいと頼まれる時間も好きだった。
「探すのを手伝うのも、面白い。題名が分からなくても、どういう話を読みたいか聞くと、見つかることがあるから」
「それも、残しておけば?」
彼女に言われ、悠斗はメモした。
「番組の経験を、仕事の名前に直さないといけない気がしてた」
「今は、好きな作業の一覧でもいいと思う」
「琴音の一覧、長くなりそう」
「説明を短くする作業も入れるから、相殺される」
「作業の数は、減らないよ」
彼が返すと、琴音は笑った。
説明会で聞いたことを、そのまま立派な志望理由にする必要はなかった。自分が何に目を向けたか、彼女と話すうちに見つかるものがある。
悠斗は紙を折らずに鞄へ入れようとして、ファイルを持っていないことに気づいた。琴音が自分のものへ2人分を入れようかと聞く。
「ありがとう。次は俺も持ってくる」
「忘れても、進路が決まらなくなるわけではないけど」
「今日、ずっと曲がったままだったから」
2人分の資料が1つのファイルへ収まった。中に書いた希望は別々で、そのどちらも、持ち帰る価値があると思った。
話しているうちに、琴音が1つ問いを出した。
「もし、興味を持つ分野が違っていったら?」
悠斗は少し考えた。
「今も、同じではないよね」
「そうだけど。活動する場所が、もっと違うかもしれない」
「そのときも、話を聞きたい」
彼は答えた。
「俺が知らないことを、琴音が面白そうに話すの、好きだから。全部一緒にしなくても、知ることはできると思う」
彼女は黙って彼を見た。
「先のことを、何でも大丈夫と言いたいわけではない。でも、今は、違うからやめてほしいとは思わない」
「うん」
琴音は小さくうなずいた。
「私も、悠斗がやりたいことを、もっと知りたい」
彼は笑った。その返事を聞けたことが、今日の説明会より大きく心に残るかもしれなかった。
将来の話をしたからといって、すぐ二人の行く先を一つに決めなくてもよい。まず、それぞれの希望を知る時間になってよかった。
資料をしまうと、約束していた時刻が近かった。
琴音は試験の勉強へ戻り、悠斗も課題を進める。今日はこの後まで一緒にいる日ではない。
店を出る前、彼はもう一度だけ伝えた。
「琴音がやりたいことを、もっと知りたい」
「さっきも、聞いてくれた」
「うん。でも、今日の分だけで終わらせたくなくて」
彼女は笑った。
「では、調べたらまた話す」
「俺も」
二人は外へ出た。冷たい風の中で、手をつなぐのは駅までの短い間だった。
悠斗は、相手の将来を知ることが、二人の予定を狭くする話にならなかったのを嬉しく思った。
どこへ進むか、まだ決まっていない。
それでも、相手が考え始めたことを、最初の段階から聞ける関係になっていた。
説明会の資料には、来るときにはなかった書き込みが増えていた。
自分が何を見つけたいかは、少しはっきりした。




