第38話 恋人との議事録
琴音は、話し合うための紙を2枚用意していた。
悠斗の前へ1枚置き、自分の分を机へ広げる。見出しは、したいこと、できること、まだ決めないこと、の3つだった。
「恋人との話し合いなのに、議事録がある」
悠斗が言うと、琴音はペンを置いた。
「結論を記録する紙ではなくて、考える紙」
「違うんだ」
「議事録にしてもよかったけど、今日は決めすぎないためにした」
彼は笑った。琴音らしい準備だった。反対する理由を並べるのでなく、二人が何を望むかを聞く形になっている。
1月の喫茶店は、窓際でも少し冷えた。二人は温かい飲み物を頼み、引き継ぎについて話し始めた。
悠斗はまず、後輩に自分で番組を作れるようになってほしいと伝えた。失敗したときに一人で困らないよう、相談できる相手でいたい。
琴音はうなずいた。
「私も、そこは同じ」
「なら、練習のときはできるだけついていたほうが」
彼が言いかけると、琴音は紙の真ん中を指した。
「できることは、どのくらい?」
「俺が引き受ければ、大丈夫だと思う」
言った瞬間、彼女のペンが止まった。
悠斗も、自分の言葉を聞いた。
「……それでは、相談になっていないね」
彼が先に言うと、琴音は顔を上げた。
「うん。今、そう伝えようと思った」
悠斗はカップから手を離し、背筋を伸ばした。
前の衝突では、彼女に何度も問われてから、自分が返事を聞いていなかったと気づいた。今日は、途中で止まれた。
同じ考えが出てこない人にはなっていない。それでも、出てきたときにそのまま進めずに済む。
「俺は、役に立ちたい」
悠斗はゆっくり言った。
「それと、今の番組が変わるのが、少し寂しいのかもしれない」
琴音は何も挟まずに聞いた。
「毎週、琴音と作っていたから。後輩へ渡したら、自分がいなくても進むものになる。それはよいことなのに、全部ついていれば、まだ中にいられる気がする」
彼はそこまで話し、少し笑った。
「教えたいのが嘘というわけではない。でも、それだけではなかったと思う」
琴音はうなずいた。
「寂しいと思うのは、分かる。私も、変わるのが残念な部分はある」
「琴音も?」
「うん。二人で話して作る時間は、好きだから」
彼女は自分の紙へ1行書いた。
「ただ、その時間を残すために、全部の担当を続ける必要はないと思う。番組の形と、私たちが一緒にいる形を、同じものにしなくてもいい」
悠斗はその言葉を聞いた。
付き合う前なら、番組が減れば会う理由も減ると思ったかもしれない。今は、会いたいと自分で言える。
仕事を残して相手の時間を確保しなくても、二人で別の約束を作れる。
「俺は、琴音と話す時間も残したい」
彼ははっきり言った。
「それを先に予定へ入れて、そのうえで教えられる時間を考えたい」
琴音は少し表情を緩めた。
「私も、そうしたい」
できることの欄へ、二人は実際の時間を書いた。
今の収録と講義、勤務、自分が学びたいこと。そこを先に置くと、後輩の練習へ毎回つくのは難しいと分かった。
ただ、短い相談を受ける時刻を決めたり、台本の確認を分担したりすることはできる。
琴音は段階を3つに分けた。
見学して流れを知る。部分を自分で作って確認する。1回分を作り、必要な箇所だけ相談する。
「最初から離すのでなく、徐々に変える」
彼女が言うと、悠斗はうなずいた。
「ついている時間を減らすことも、教える形なんだね」
「本人が選ぶ時間が必要だから」
悠斗は理央が質問したとき、自分が答えを増やしすぎたことを思い出した。
困らないように全部伝えると、本人が試してみる余地までなくす。
「分からなかったところを先に聞こう」
彼が言うと、琴音はメモを足した。
「うん。そのための確認する日を決める」
二人の意見が、1つの表に並んでいった。どちらかが相手を説得しきったのではない。教えたい気持ちと、続けられる形を、両方残せた。
悠斗は、自分が最初に書いた「毎回参加する」という行を消した。代わりに、今月は一度、台本の読み合わせへ参加する、と書く。
「少なすぎないかな」
口にしてから、彼は隣の紙を見た。琴音はすぐ肯定せず、何を一度で確かめたいのか尋ねた。
「文章を声にしたとき、どこで聞きづらくなるか。一緒に読めば分かると思う」
「それなら、次までに自分で試してもらうことも決められる」
「全部を持ってきてもらうのでなくて?」
「困ったところへ印をつけてもらえば、限られた時間で話せる」
悠斗はその案を横へ足した。準備から片付けまで全部そばにいるより、何を持ち帰ってもらうかがはっきりする。
「時間を減らす話なのに、中身が増えた」
「最初の案は、参加することだけ決まっていたから」
琴音が言い、二人は笑った。
彼はさらに、勤務の時刻が変わった場合には早めに全員へ伝える、と書いた。代わりの人を自分だけで探して内々に決めることはしない。会議で作った予定を変えるなら、関わる人の返事を聞く。
「これは、俺が忘れないため」
「私も。同じ紙を持っておく」
琴音は自分の分へも書き込んだ。
その手元を見て、悠斗は、自分一人の約束を彼女に監視してもらう形にはしたくないと思った。守れなさそうなら自分から言う。その最初の連絡まで、相手の仕事にしないための1行だった。
話し合いの途中、琴音がカップを持つ手を少し休めた。
悠斗は寒くないかと聞いた。彼女は少し冷えたと答えたので、席を変えるか、温かいものを追加するか尋ねる。
「お代わりをしたい」
「俺も。もう少し話せる?」
「うん。あと20分くらい」
二人は注文を足した。
「前なら、俺が勝手に帰ろうと言ったかも」
彼が言うと、琴音は小さく笑った。
「今は、聞いてくれた」
「うん。聞けた」
それを確認するだけで、少し嬉しかった。
最後に、まだ決めないことの欄を見た。
新しい番組の構成、理央の担当したいこと、白石がどこまで技術以外に関わるか。本人たちへ聞かなければ分からないものが残った。
「ここを、私たちが埋めないことも大切だね」
琴音が言った。
「俺たちの予定だけで、相手のやり方を決めない」
悠斗も答えた。
二人はその欄を空白で残した。何も考えなかった場所ではなく、本人が選ぶための場所だった。
会議へ出す案は、次に全員で確認してから確定する。今日はそれまでにすることを決めた。
琴音が紙をそろえると、悠斗は自分の分を受け取った。
「議事録としても、分かりやすい」
「結局、決まったことがあるからね」
「でも、空白がある」
「その空白は、削除しないで」
二人は笑った。
店を出て、駅へ向かう道で、悠斗は次のデートの話をした。
引き継ぎの準備で忙しくなる前に、半日でも一緒に過ごしたい。琴音は試験の後なら時間が取れると答えた。
「先に、入れよう」
彼女が言った。
「うん。余ったら会う、ではなくて」
悠斗はうなずいた。
悠斗は鞄の中の紙へ指を添えた。最初に消した「毎回参加する」という字も、持ち帰ることにした。
琴音が手を伸ばした。悠斗は受け取り、彼女の歩く速さへ合わせた。
「今日は、話せてよかった」
彼が言うと、彼女も同じように返した。
「うん。したいことを、聞けてよかった」
鞄の中には、二人で書いた紙がある。
全部を引き受ける約束ではなく、続けられるように選ぶための案だった。




