第37話 引き継ぎ案に赤い線
藤堂の引き継ぎ案は、1枚に収まっていた。
琴音は読み終え、裏を見て、それから表へ戻した。
「これで、全部ですか」
「まずは大枠」
「大枠の中に、担当者と作業の内容と、移行の時期がないです」
悠斗は隣で笑いそうになった。藤堂も分かっていたらしく、用意した空白の紙を追加した。
「だから、一緒に決めたい」
1月の放送研究会室。冬休み明けの活動日に、次年度の番組体制を話す最初の会議が開かれた。
悠斗と琴音は春から3年生、藤堂は4年生になる。白石と理央も2年生へ上がるので、今まで教わる側だった仕事を少しずつ選べるようにしたい。
すぐに全てを任せるのではなく、段階的に引き継ぐ。その考えには、全員が賛成だった。
問題は、誰が、どのくらい教え、今の番組をどう続けるかだった。
白石は音響の作業手順を整理できると言った。理央は企画の作り方をもっと学びたいと伝えたが、二人のように相談へ答えられるかは分からないと付け加えた。
悠斗は、その言葉に顔を上げた。
「一緒にやれば大丈夫だと思う。候補を読むところから、俺がついて――」
琴音が隣でペンを止めた。
「どのくらいの頻度で?」
「最初は、毎回でも」
「今の収録と、講義と、アルバイトは?」
悠斗は予定表を見た。まだ来年度の講義は確定していない。それでも、今できないと答えるより、できる方法を探したかった。
「時間を調整すれば」
「調整できるか確認する前に、約束はできないと思う」
琴音の言葉は落ち着いていた。
藤堂もうなずき、まず役割を並べようと話を戻した。
紙へ書き出すと、番組を作る仕事は意外に多かった。
相談の確認、公開できる範囲の整理、企画、台本、収録、編集、確認、告知。誰か一人が全部を知っていればよいわけでもない。
琴音は作業の横へ、必要な人数と確認する相手を記した。悠斗は、自分たちが普段していることを一つずつ説明した。
理央は初めて知った部分もあるらしく、何度か質問した。
「相談を選ぶとき、どこまで変えていいか迷ったら?」
「迷った箇所を残して、一緒に確認する。分からないまま公開しないことが大事」
琴音が答えた。
「最初から、一人で判断できなくていいんですか」
「うん。私たちも、互いに聞く」
悠斗はその会話を聞き、後輩が不安を持ったまま始めるのを、一人で支えたくなった。
自分たちが初めてマイクを使ったとき、藤堂も白石も待ってくれた。今度は自分が、その役をしたい。
その気持ちは確かだった。
ただ、教える時間をどこから作るかまで考える前に、口が先へ進んだ。
「春休みに、何回か練習できると思う。俺が準備を見て、収録にも――」
「回数は、後で確認しよう」
琴音が静かに止めた。
悠斗はうなずいたが、少し残念だった。後輩を安心させたいのに、自分がまだ約束できないことばかりが残る。
理央は気遣うように、大丈夫ですと言った。
その返事を聞いて、悠斗は余計に頑張らなければと思った。
白石が、音響の説明用にまとめた短い手順を出した。機材の名前だけでなく、どこで音を確かめるかが順番に書いてある。
「これなら、初めてでも迷いにくそう」
悠斗が言うと、白石は紙の一番下を指した。
「ここは、あえて詳しくしていません。実際の音を聞いてもらいたいので」
そこには、録った声を再生して、不自然に聞こえる箇所を探す、とあった。
「正しい設定を全部書いたら、楽じゃない?」
理央が尋ねる。
「人や録る場所で違います。前の数字と同じだからよい、とは限らなくて」
白石は、自分も最初は藤堂の使った値をそのまま選んでいたと話した。だが聞き返す場所が分からないままでは、うまくいかない理由も分からなかったという。
悠斗は、自分が説明に入れようとしていた項目を見た。過去の番組で使った言い方が、例としていくつも並んでいる。それを覚えてもらえば、後輩は収録中に困らないと思っていた。
「俺のメモ、完成した文が多すぎるかも」
彼が言うと、理央は少し迷ってから答えた。
「例があるのは助かります。でも、なぜその言い方にしたかも聞きたいです」
「そっか。そこを考えられたら、別の相談にも使えるね」
悠斗は例文を消さず、その横へ理由を書く欄を足した。すぐ全部を教えられる紙にはならない。次に一緒に考えるための紙へ、少し近づいた。
琴音が隣から見て、小さくうなずいた。
会議の最後、藤堂は急いで完成形を決めない方針を確認した。
まず今月は、理央が短い企画案を出す。白石は技術の手順をまとめる。悠斗と琴音は、自分たちが教えられる部分と時間を確認し、次の会議へ持ってくる。
勝手に回数や担当を確定しないことも、全員で共有した。
琴音はその決定を短く書き、藤堂へ見せた。
「こっちのほうが、最初の紙より分かりやすいな」
会長が言うと、彼女はうなずいた。
「大枠に、少し中身が入りました」
白石が笑い、悠斗も笑った。
それでも、彼の中には、自分がもっと引き受ければ早く進むのではないかという考えが残った。
片付けの後、理央が悠斗へ相談の選び方をもう一度尋ねた。
彼は短く答えるつもりで、過去の台本を出した。1つの投稿をどのように整えたか、公開しなかった例も含めて説明する。ただし実際の個人情報が残る素材は見せず、説明用の例を使った。
理央がうなずくと、悠斗は次の項目も話したくなった。
時計を見ると、予定していた退室の時刻を過ぎている。
「今日は、ここまでにしよう」
琴音が声をかけた。
悠斗は顔を上げた。彼女は鞄を持ち、自分の次の用事へ向かう準備をしていた。
「あ、ごめん」
「理央さんも、次の予定があると言っていた」
後輩が、そろそろ出なければいけないと答えた。
悠斗は説明を止め、残りは次に確認しようと伝えた。相手を助けるつもりで、話す時間まで一方的に伸ばしていた。
理央が礼を言って帰ると、部室には二人だけが残った。
「教えるのは、楽しい?」
琴音が尋ねた。
「うん。分かってもらえると、嬉しい」
「それは、よいことだと思う」
彼女は少し間を置いた。
「でも、全部ついていれば安心だと考えると、悠斗の時間がなくなる」
彼は鞄を持ち上げた。
「最初だけなら、頑張れると思う」
「最初が、いつまでか決まっていない」
琴音は彼を見た。
「今の言い方、少し心配」
悠斗は返事をしようとして、止まった。彼女が何を心配しているかは、分かる気がした。
自分が頑張ればよい。相手が困らなければ、自分の予定は後でよい。
その考えで、一度彼女の意思も、自分の希望も話さなくなった。
「……分かる。前にも、そうだったね」
「うん。ただ、教えたい気持ちをやめてほしいわけではない」
彼女はすぐに付け加えた。
「何をしたいかと、どのくらいできるかを、分けて話したい」
悠斗はうなずいた。今日は結論を急がず、後日、二人で整理する時間を取ることにした。
彼女の次の用事を遅らせたくなかったが、それを理由に話をなくすのでもない。
「俺も、その時間を取りたい」
彼は伝えた。
琴音は少し表情を緩め、空いている日を1つ挙げた。
帰り道、悠斗は理央がノートを取る姿を思い出した。
自分たちの番組を好きでいてくれる。その嬉しさに、自分が必要とされ続けたい気持ちも混ざっているのではないか。
後輩を助けたいことと、役割を手放す寂しさは、同時にあるのかもしれなかった。
彼はそのことをまだ上手く言えなかったが、考える紙へ残すことにした。
琴音との話し合いの予定を開く。仕事のためでもあり、二人の時間をどう使うかを考えるためでもある。
彼女が反対したから諦めるのではない。
自分が何をしたいのかを、今度は隠さず話したかった。




