第35話 嫉妬の伝え方
「昨日、駅で久瀬先輩と話せて助かりました」
白石へ資料を渡しに来た1年生の女子部員がそう言うと、琴音はペンを止めた。
年内の活動を終える日の部室だった。悠斗は少し遅れて来る予定で、机の上には次の公開を確かめるための資料だけがある。
「番組の話?」
琴音は尋ねた。
「いえ、私の発表のことです。帰り道で一緒になって、少し聞いてもらって」
部員はそう答え、内容の詳細には触れずに礼を伝えてほしいと言った。琴音は了承し、また台本へ視線を戻した。
悠斗が来たのは、その10分後だった。
彼が挨拶すると、琴音は普段どおり返した。白石から作業の確認を受け、悠斗も用意したメモを机へ置く。
今日の分は、すぐ終わりそうだった。
琴音は紙をまとめ、彼の横へ来た。
「少し、番組以外の話をしてもいい?」
「うん。どうしたの?」
「後で、二人のときに」
悠斗はうなずいた。彼女の声は落ち着いているが、何か考えているのは分かった。
彼は先に理由を決めず、作業を終えてから一緒に部室を出た。
大学の門へ向かう途中、琴音は後輩から礼を伝えられたことを話した。
「昨日、話を聞いたんだね」
「うん。駅で会って。発表のことで、少し悩んでたから」
悠斗は答え、それ以上の内容は言わなかった。相手が自分へ話した詳細を、恋人だからといって勝手に共有してよいわけではない。
琴音も、何を悩んでいたかまでは聞かなかった。
「聞いてあげたのは、よいことだと思う」
彼女は一度言葉を切った。
「でも、少し嫉妬した」
悠斗は足を止めかけた。
琴音も歩く速さを落とし、こちらを見る。
「誰かと話すのを、やめてほしいという意味ではない」
「うん」
「私が知らないところで、頼りにされていたんだと思って。少し、複雑だった」
彼はその言葉を聞いた。
以前、彼女が私とも話してほしいと言ってくれたとき、自分はその理由を確かめきれなかった。今日は彼女が、感情の名前まで自分から言ってくれた。
それが嬉しくて、彼は思わず表情を緩めた。
「……喜ぶところではない」
琴音がすぐ言った。
「ごめん。嫉妬したのが嬉しいというより、言ってくれたのが」
「それなら、分かる」
彼女は少し目を伏せた。
「私も、黙って後から冷たくしたくなかった」
「ありがとう。話してくれて」
悠斗は今度、真面目に返した。
門の外で、二人は少し座れる場所を探した。
いつもの喫茶店は年末の営業時間だったが、まだ少し開いていた。二人は入る前に時刻を確かめ、短く話すことにした。
席へ座ると、悠斗はまず自分の気持ちを伝えた。
「不安にさせるつもりはなかった。琴音に隠したかったわけでもない」
「うん。それは分かる」
「でも、誰かの相談に乗るたび全部報告する、という形にはしたくない。相手の話もあるから」
琴音はうなずいた。
「私も、それは望んでいない。内容を知れば安心できる、という話ではないと思う」
悠斗は少しほっとした。彼女の感情を否定せず、後輩の私的な話も守る。その両方が必要だった。
「ただ、時間の使い方は考えたい」
彼は続けた。
「誰かに頼られると、必要以上に長く聞いてしまうことがある。琴音との予定があるなら、その時間はちゃんと守る」
「うん。無理に全部聞かないことも、大事だと思う」
「一人で答えを出そうとしない。番組でも同じだけど」
琴音はカップを持った。
「私が嫉妬したから、相談を断るという形にはしたくない。悠斗が人の話を大切にするところは、好きだから」
彼は顔を上げた。
「それでも、気になることがあったら言う。自分で整理しきってからでなくても」
「うん。俺も聞く」
二人はうなずいた。
琴音は、今度は自分が誰かから相談された場合についても話した。
「菜月と話したことは、全部は言えない。だから、悠斗にも同じ範囲があるのは分かる」
「うん。俺も、それを聞きたいわけではない」
「でも、二人の予定に関わるときは、知らせたい。急に帰る時刻が変わるとか」
悠斗は賛成した。
「相談を聞けない日も、あるよね」
彼が言うと、琴音はうなずいた。
「今は難しいと伝えていい。一人で全部を引き受けることが、相手のためとは限らないから」
悠斗はその言葉をメモしたくなったが、今日は台本の話ではないと思い、頭に残した。
彼女が嫉妬したと話してくれたことで、自分の普段の距離の取り方も見直せた。それを、後輩と話さないという一つの制限へ縮めたくはなかった。
悠斗は昨日のことを、必要な範囲だけ説明した。
帰り道で偶然会ったこと。発表の相談は自分に分かる部分だけ聞き、後は授業の担当者へ確認するよう勧めたこと。長く一緒にいたわけではないこと。
琴音はその説明を聞き、ありがとうと言った。
「言えるところだけで、大丈夫」
彼女はそう続けた。
悠斗は自分も、琴音が他の人へ話した内容を全て知っているわけではないと考えた。菜月と過ごす時間や、授業の仲間との会話がある。
恋人だから、その全部に入れるわけではない。
そのことと、大切にされているかは、別だった。
「俺が、琴音と過ごしたいこともちゃんと伝えたい」
彼が言うと、彼女は顔を上げた。
「年末の公開を確認した後、電話しようって言ったよね。あれ、楽しみにしてる」
「私も」
「今日も、少しでも会えてよかった」
琴音はカップを置き、短く笑った。
「今のは、嬉しい」
悠斗も笑った。相手の自由を狭くしなくても、安心を増やす言葉はあるのだと思った。
店を出る頃には、話せる時刻の終わりになっていた。
琴音は支払いを済ませ、外でマフラーを直した。クリスマスに一緒に歩いたときのことを、悠斗は少し思い出した。
あの日の後も、毎日が同じ甘さで続くわけではない。忙しくて会えず、知らないところで別の人と話すこともある。好きになったから、複雑な気持ちが増える場合もある。
それを全部なくすのではなく、話せるようになっていく。
悠斗は彼女へ手を伸ばした。琴音が受け取り、隣へ並ぶ。
「信頼してるよ」
彼女が言った。
「うん」
「だから、嫉妬したのを隠したいわけでもなかった」
悠斗は手を少し握り直した。
「分かった。俺も、隠さず話してくれること、信じたい」
琴音はうなずいた。
駅までの道で、二人は次に読む本の話へ戻った。重い話をした後でも、いつもの話題へ戻れることが、彼には少し嬉しかった。
琴音がどの本を読んでいるか、自分は全部知らない。だから次に聞く楽しみがある。
人との時間も、同じように相手のものとして残しておきたかった。
帰宅後、悠斗は昨日の後輩へ、発表がうまくいったかを尋ねる連絡はしなかった。
頼られたからといって、その後をずっと管理する必要はない。本人が話したければ、次に聞けばよかった。
琴音へは、今日話せてよかったと送った。
彼女から返ってきたのは、話す前より楽になった、という文だった。
悠斗はその言葉を読んだ。彼女の嫉妬を、自分が愛されている証拠として喜ぶだけでは足りない。伝えるのに勇気がいったことを、覚えておきたい。
彼は短く返した。
『また、気になることがあれば聞かせて。俺も言う』
次の返信には、了承と、年末の確認時刻が並んでいた。
その後に、今度会ったら今日の本の続きを聞きたい、と1行増えた。悠斗はページへ栞を挟み、次に話すために読み返す箇所を決めた。
まだ二人に話し方の正解があるわけではない。
それでも、同じ感情に違う対応を選べたことは、今日の二人に残った。




