第33話 完璧じゃないクリスマス
悠斗が見ていた店の値段を、琴音は画面越しに一度だけ読んだ。
「そこへ行きたい?」
「……琴音が喜ぶかなと思って」
「私が、行きたいと言った?」
彼は返事を止めた。秋に一度、理想の恋人を勝手に演じないと話したはずだった。ところが初めてのクリスマスが近づくと、その約束より特別な日にふさわしいことが先に来た。
12月の喫茶店には、小さな飾りが窓の横に置かれていた。二人は休日の予定を決めるために来ている。
悠斗が調べた店は、普段の食事よりかなり高かった。勤務を少し増やせば払えるが、気軽に選べる場所ではない。
「特別な日だから、いつもよりちゃんとしたほうがいいかと思って」
彼が言うと、琴音は自分の携帯も机へ置いた。
「私も、同じようなことをしていた」
画面には、贈り物の候補が並んでいた。悠斗が普段使うものより値の張る品がいくつかある。
「これ、俺に?」
「喜ぶものを選びたくて。でも、何を喜ぶかより、値段で特別かどうか考え始めていた」
琴音は画面を閉じた。
「無理をしたいわけではない」
「俺も」
悠斗は少し笑った。二人とも、相手のためだと思うと、また確認を後回しにする。
同じ失敗をする前に話せたことは、以前よりよかった。
「予算、決めようか」
彼が言うと、琴音はうなずいた。
「うん。食事と贈り物、それぞれ」
二人は無理なく出せる金額を伝えた。少し照れたが、隠したまま背伸びするより楽だった。
琴音は普段より少し特別な食事を、一緒にゆっくり取りたいと言った。悠斗は、長く待つ店より話せるところがよいと伝えた。
調べ直すと、いつも通る道に予算に合う小さな店があった。混み具合を確かめ、予約が取れる日を二人で選ぶ。
完璧なクリスマスの計画ではなく、二人がしたいクリスマスの形ができた。
贈り物は、当日まで内容を知らせないことにした。
高価でなくてもよいという約束だけがある。その条件のほうが、悠斗にはかえって相手をよく知る必要があるように感じられた。
彼は書店の仕事が終わった後、紙の小物の棚を見た。琴音が使っている手帳は、まだ新年度まで使える。好みの道具を勝手に入れ替えるのは避けたかった。
小さなノートと、彼女が前に好きだと言った色のペンを選んだ。番組用ではなく、何に使ってもよいものにする。
包んでもらった後、短いカードを書くことにした。
いつもありがとう、と書き、少し考えて続けた。
来年も、琴音といろんな話がしたい。
それ以上の大きな約束は書かなかった。今、自分が確かに望んでいることだった。
当日、駅前で待つと、琴音はマフラーへ顔を少し埋めて歩いてきた。彼を見ると、手を上げる。
「寒かった?」
彼女が尋ねる。
「少し。でも、待ち始めたところ」
「私も、早く着くつもりだった」
「ちゃんと、約束の前だよ」
二人は笑い、手をつないだ。手袋越しでは感触が少し違う。それでも彼女が握り返すのは分かった。
食事の店は、二人が普段入るところより少し静かだった。
琴音は席へ座ると、小さな包みを鞄の端へ寄せた。悠斗も自分の包みを同じように置く。どちらから渡すか迷い、二人とも相手を見る。
注文した料理が運ばれてきた。
「先に、食べようか」
彼が言うと、琴音はほっとしたようにうなずいた。
「料理が冷めないうちに」
食事は気負わず話せる量で、二人はその日までの出来事を話した。書店の客が贈り物を迷った話。琴音が講義の発表で、質問を1つ聞き間違えた話。
「調べた高い店にしていたら、たぶん料理の食べ方ばかり気にしてた」
悠斗が言うと、琴音が笑った。
「私は、悠斗が無理をしていないか気になったと思う」
「今日の店でよかったね」
「うん。選び直してよかった」
彼女ははっきり答えた。特別な日だからこそ、普段の二人が話しやすい形でよかった。
食後に贈り物を交換した。
琴音が包みを開け、小さなノートの表紙に触れる。ペンの色を見て、顔を上げた。
「これ、前に見ていた色」
「うん。覚えてたから」
「ありがとう。仕事のこと以外にも使いたい」
「何でも、好きなものを書いて」
彼女はカードを読み、少し長く黙った。それからノートの上へそっと置いた。
「私も、来年いろんな話がしたい」
悠斗は笑った。
彼女からの包みには、本を入れるための布の袋と、短いカードがあった。鞄の中で表紙が傷まないようにと選んでくれたものだった。
「いつも、本を1冊入れているから」
「うん。明日から使う」
「色、どう?」
「好き。ありがとう」
カードには、好きな本の話をこれからも聞かせて、とある。悠斗は指先で端を押さえ、もう一度読んだ。
高い値段の中にはなかった、自分を見てくれていた時間が、そこにあった。
店を出ると、空気は入る前より冷たかった。
二人は駅へ急がず、少しだけ川沿いを歩くことにした。長く外にいるのは寒いので、戻る角を先に決める。
街の灯りが水へ映り、遠くの橋を車が渡っていた。琴音は贈り物の袋を大事そうに持ち、悠斗はその反対の手を取った。
「今日、楽しかった」
彼が言うと、琴音はうなずいた。
「うん。無理をしないと決めたのに、ちゃんと特別だった」
「琴音と過ごしたからだと思う」
彼女は彼を見て、それから少し笑った。
「悠斗は、そういうことを前より普通に言う」
「今も、少し緊張するよ」
「私も」
琴音は歩く速さを落とし、手を少し握り直した。
「でも、言ってもらえると嬉しい。私も、悠斗と過ごせてよかった」
彼は返事をし、二人で川を見た。
決めた角に着くと、駅へ戻る道になる。別れるまでの時間が短くなったのを、悠斗は意識した。
「もう少し、一緒にいたいね」
彼が言うと、琴音は足を止めた。
「うん。でも、寒くなるから、長くは歩けない」
「分かってる。少しだけ、ここで」
彼女はうなずいた。通る人の邪魔にならない場所へ寄り、二人は向かい合った。
悠斗は彼女の顔を見た。マフラーの上からのぞく頬が赤い。寒さのせいもあるだろう。自分も同じように熱く感じていた。
「琴音、キスしてもいい?」
彼は声を落として尋ねた。
彼女は目を少し見開き、それからゆっくりうなずいた。
「うん。私も、したい」
悠斗は一歩近づいた。つないだ手を離すのか迷ったが、彼女がそのまま握っていたので、力を緩めて残した。
顔を寄せると、琴音が目を閉じた。
触れたのは短い時間だった。離れてからも、彼はすぐ何かを話せなかった。
琴音も目を伏せ、マフラーの端を指で直した。それから彼を見て、小さく笑う。
「……確認してくれて、よかった」
「驚いた?」
「少し。でも、嬉しかった」
悠斗は息をついて笑った。
「俺も」
うまく言える言葉は、それくらいしかなかった。琴音が手を握り直し、今度は駅へ向かおうと言った。
帰る道では、二人とも少し静かだった。
気まずいのではない。今あったことを、急いで説明に直したくなかった。
駅の明かりが見えると、琴音が彼の名前を呼んだ。
「悠斗」
「うん」
「今日のこと、ノートに書こうと思う」
「何て?」
聞いてから、彼は少し慌てた。琴音は笑った。
「そこは、私の記録だから」
「そうだね」
「でも、楽しかった日として書く」
彼はうなずいた。自分も今日のカードを、読んでいる本の近くへ置こうと思った。
改札の前で手を離し、二人は次に会う予定を確かめた。特別な1日が終わっても、普通に会いたい日が続く。
悠斗は帰りの電車で贈り物の袋を膝へ置き、カードの1行をもう一度見た。
完璧な予定でも、高い食事でもなかった。
それでも二人が選び直し、気持ちを確かめて過ごした初めてのクリスマスを、彼はずっと覚えていたいと思った。




