第32話 少し寂しかった
琴音からの連絡が短くなっても、悠斗は最初、忙しいのだと思っていた。
自分も同じだった。12月に近づき、書店では季節の本や贈り物を探す客が増えている。勤務の交代を頼まれる日もあり、大学から店へ向かう前後の時間が少なくなった。
番組の収録は予定どおりできていた。台本の確認も返している。だから二人の間に困ることはないと思いたかった。
だが、収録が終わった後で、琴音が鞄を持つのが少し遅いことに気づいた。
「今日は、すぐ勤務?」
彼女が尋ねた。
「うん。あと20分で出れば間に合う」
「分かった」
それだけ答え、彼女は台本をしまった。
悠斗は手元の紙をまとめながら、彼女が本当は別のことを言いたかったのではないかと思った。
以前なら、疲れているのだろうと先に帰るよう勧めたかもしれない。今は、決める前に聞きたかった。
「琴音、何か話したいことあった?」
彼が尋ねると、彼女は顔を上げた。
「番組のことは、終わったと思う」
「番組以外で」
琴音は鞄の口を閉じ、少し考えた。
「忙しいのは、分かっている」
「うん」
「だから、無理に時間を作ってほしいわけではない」
悠斗は続きを待った。彼女が言わないうちに、大丈夫だと言ってしまいたくなったが、それでは話を終わらせてしまう。
琴音は机の端へ視線を落とした。
「少し、寂しかった」
小さな声だった。
悠斗は手元の紙を置いた。
「言ってくれて、ありがとう」
「仕事が大事なのも、分かってる」
「うん。それと、寂しいのは別だよね」
彼女はゆっくりうなずいた。
悠斗は、彼女が責めるために言ったのではないと分かった。だから自分も、仕事の事情を説明して弁解するのでなく、今の気持ちを話したかった。
「俺も、会って話す時間が減ったのは寂しい」
彼が言うと、琴音は顔を上げた。
「番組では会えてるけど、話したいことが後に残る。仕事の前だからって、毎回そのまま帰ってた」
「うん」
「すぐ長く会うのは難しいけど、今週、短くなら時間を取れると思う。一緒に予定を見てもいい?」
琴音は手帳を出した。
「私も、見たい」
空いた時間は、木曜日の昼に15分あった。
悠斗は次の講義へ移動する前で、琴音も資料を出した後に少し余裕がある。食堂は混むので、中庭のベンチで会うことにした。
「15分、短いかな」
悠斗が聞くと、琴音は首を振った。
「その時間に会いたい。話すことを全部済ませるのではなくて」
「うん。分かった」
彼は予定へ入れた。長く会えないから何も決めない、ではなく、会える時間の中から一つ選べた。
その後で勤務の予定も説明した。繁忙期がどのくらい続くか、追加の勤務を引き受けるときはどうするか。
琴音は休んでほしいとは言ったが、店をやめてほしいとは言わなかった。彼が好きな仕事をしていることを、ちゃんと知ってくれていた。
「追加があるときは、決まったら教える。二人の約束がある日は、先に確認する」
悠斗が言うと、彼女はうなずいた。
「私も、課題が増えたときは言う。会いたいと思っていた時間が変わるなら、それも」
彼はその返事に安心した。どちらかだけが知らせる仕組みではなく、二人の生活を並べる約束になっていた。
木曜日、中庭は風が冷たかった。
悠斗は温かい飲み物を2本買って、ベンチへ向かった。琴音が先に来ていて、鞄から小さな袋を出している。
「早かったね」
「資料を出すのが、すぐ終わったから」
彼は飲み物を差し出した。好みを覚えていた銘柄を選んだが、これでよかったか一度聞いた。
「うん。ありがとう」
琴音は受け取り、代わりに袋を見せた。二人で少し食べられる菓子だった。
「短いから、手間のかからないものにした」
「準備してくれたんだ」
「私が、会いたかったから」
悠斗は少し照れ、隣へ座った。
話す内容は大きなことではなかった。彼が店で探すのに苦労した本の話。琴音の講義で、発表する順番がくじで決まった話。次に読みたい本の表紙を、携帯で見せ合った。
5分で終わるつもりの説明が、10分ほど続いた。
琴音は時計を見て、少し驚いた。
「もう、こんなに」
「あと5分あるよ」
悠斗が言うと、彼女は笑った。
「15分しか、ではなくて?」
「あと5分も、かな」
彼女は飲み物のボトルを両手で包んだ。
「そうだね」
悠斗は話したかった続きを、急いで全部言おうとは思わなかった。残れば、次に話せる。
ただ、その次を何も決めずに曖昧にしたくはなかった。
「来週の収録の後、少し空く日がある。そこも一緒に過ごしたい」
彼が言うと、琴音はうなずいた。
「私も。今日より少し長く?」
「うん。勤務が遅い日だから」
二人は予定を確かめた。今日の15分の中で、次の時間も決まった。
時計が約束の時刻を示すと、悠斗は立ち上がった。
琴音も鞄を取り、菓子の袋を閉じた。名残惜しくて、彼はあと少しだけ座りたくなった。
「今日は、ここまで」
彼が言うと、琴音は笑った。
「うん。行ってらっしゃい」
「琴音も、次の授業、頑張って」
二人は短く手をつないだ。ベンチにいたときは飲み物を持っていたので、今日初めて触れた。
彼女が一度握り返し、それから離す。
「会えてよかった」
琴音が言った。
「俺も。寂しいって、言ってくれてよかった」
彼が返すと、彼女は少し目を伏せた。
「言うのは、まだ緊張する」
「俺も。でも、聞けてよかった」
琴音はうなずいた。二人は違う講義棟へ向かって歩き出した。
15分は、長くはない。けれど何もない1週間と、同じではなかった。
講義棟へ入る前、悠斗は今日もらった菓子を鞄へしまった。琴音が二人で食べるために用意したものが、まだ1つ残っている。
講義の後で食べるときにも、ベンチで話したことを思い出せそうだった。
授業が終わると、悠斗は次の課題の範囲をメモした。飲み物のボトルは、鞄の中でもう冷めていた。
廊下で陽介に会うと、今日は少し元気だと言われた。
「そんなに、違う?」
「少なくとも、時計を見てため息をついてはいない」
悠斗は笑い、昼に琴音と会ったことを短く話した。15分だけだと言うと、陽介は、15分あったのかと返した。
「長く会えないから会わないより、よかったと思う」
悠斗は答えた。
陽介はうなずき、自分の次の授業へ向かった。彼も彼で、使いたい時間と予定がある。
悠斗は時計を見た。勤務までには、まだ課題に触れられる時間があった。そこを先に進めておけば、帰宅後に休める。
彼は空いている席へ座り、資料を開いた。
夕方の書店で、悠斗は来週の勤務を確認した。
追加の相談があったが、琴音と決めた時間には重ねなかった。代わりに入れる日を伝え、店長と調整した。
全部を断ったわけでも、全部を引き受けたわけでもない。自分がどう使いたい時間かを、一つ確認してから返事をした。
帰宅後、琴音へ日程が確定したと送った。
彼女は了承し、今日話しきれなかった本の情報を一つ送ってくれた。
『続きは、次に会ったとき』
その1行に、悠斗は笑った。
彼は今日の予定へ小さな印をつけた。木曜日の欄には「琴音、15分」とある。
その下に、次に会う日付を書き込んだ。




