第25話 最初の店から予定外
恋人として初めて出かける日、琴音は紙を1枚だけ持ってきた。
「今日は、細かくしすぎないようにした」
彼女が差し出した紙には、待ち合わせ、移動、昼食、休憩、帰る時刻が並んでいた。小さな文字で代わりの経路まで書かれている。
悠斗は真面目に受け取り、それから笑った。
「これで、細かくないほうなんだ」
「普段なら、所要時間も1分単位で調べる」
「今日は?」
「5分単位」
「かなり自由になった」
琴音も笑った。10月の空は明るく、待ち合わせ場所の木はまだ緑を多く残していた。二人とも授業や番組の資料を持たず、休日のためだけに来ている。
悠斗は彼女へ手を出しかけ、少し迷った。
告白の日は一度つないだ。今日も、つなぎたい。それを毎回確認するべきなのか、一度よいと言われたなら自然に出してもよいのか、まだ分からない。
琴音はその手を見て、鞄を反対側へ持ち替えた。
「今日は、どうする?」
「手、つなぎたい」
「うん」
彼女が手を伸ばした。悠斗は受け取り、並んで歩き始めた。
前より、指を重ねるのに迷う時間が短かった。それでも彼女が握り返すと、胸の辺りが落ち着かなくなる。
「まず、喫茶店?」
「うん。前に見つけたところ。席が広いので、ゆっくり話せると思って」
「楽しみ」
琴音は小さくうなずき、紙をしまった。
店の前には、予想していたより長い列があった。
休日の限定メニューがあるらしく、入口の看板に品名が書かれている。琴音は看板と列を順番に見た。携帯を開き、調べていた画面を確かめる。
「こんなに並ぶとは、書いていなかった」
「今日のメニューが人気なのかな」
「予約はできない店だから、早めに来れば入れると思った」
彼女の声が少し小さくなった。
悠斗は列の最後を見た。待てなくはないが、座れるまでにはかなりかかりそうだ。
「別のところ、探してみる?」
彼が尋ねると、琴音はすぐには答えなかった。
「でも、ここへ来るために、経路を決めたから」
「うん。ここに入りたかった?」
彼女は看板をもう一度見た。
「悠斗と、ゆっくり話せると思った」
「なら、別の店でもできるかも」
琴音は携帯を握り直した。準備した予定を変えるのが残念なのは、悠斗にも分かった。彼女が自分を喜ばせようと選んでくれたことも、伝わっていた。
「調べてくれて、ありがとう。今度、平日の空いてる日に来てもいいし」
「今日、入れなくても?」
「うん。何をするかも楽しいけど、俺は琴音と一緒なのが嬉しいから」
言ってから、彼は少し照れた。恋人だからといって、その1行が簡単になるわけではない。
琴音は顔を上げ、それから目を伏せた。
「……それなら、計画変更の理由としては十分だと思う」
「理由、通った?」
「うん。承認」
二人は笑い、列から離れた。
近くの店を探すと、通りの角に小さな喫茶店があった。メニューを外で見て、予算と食べられるものを二人で確かめる。
「ここ、どう?」
悠斗が聞くと、琴音は窓の中を見た。
「席も空いている。よさそう」
「入ろうか」
「うん」
今度は、二人でその場で選んだ店だった。
扉の前で琴音は、午後の移動をどう変えるか考えかけた。悠斗が地図を開こうかと聞くと、彼女は一度止まり、店を出るときでよいと言った。
「今は、ここに座れるから」
「うん。座ってから考えてもいいね」
悠斗は彼女の選んだ順番にうなずき、扉を開けた。
中へ入ると、壁に小さな絵が飾られている。琴音は窓際を指し、悠斗はそちらがよいと答えた。向かいに座ると、いつもの喫茶店とは違う景色が見えた。
注文を済ませ、琴音は予定の紙を出しかけた。悠斗が見ていることに気づき、そのまま机へ置く。
「最初から違った」
「この後の予定は?」
「散歩と、書店。時間があれば、雑貨を見る」
「じゃあ、それはできそうだね」
彼女は少し考えた。
「全部、しなくてもいい?」
「うん。したいものを選ぼう」
琴音は予定の横へ小さく印をつけた。変更した時刻ではなく、今日行きたいところに丸をつけている。
「書店は、行きたい」
「俺も。雑貨は?」
「一緒に見たい。何か買うと決めてはいないけど」
「いいね」
彼はうなずいた。以前なら、必要なものがないのに店へ入る理由を彼女が考えたかもしれない。今は、一緒に見たい、で予定になる。
飲み物が運ばれてきた。琴音は一口飲んで、少し驚いた顔をした。
「好きな味」
「よかった」
「予定に入れていた店の味は知らないけど、こちらにしてよかったと思う」
悠斗は笑った。変更した先で見つかるものもある。そのことを、彼女と一緒に知る1日になりそうだった。
店を出て、二人は知らない道を少し歩いた。
琴音は紙の地図ではなく、店先の看板や窓を見ていた。悠斗が気になる路地を指すと、彼女は帰る方向が大きく変わらないかだけ確かめ、行ってみようと言った。
手をつなぐと、歩く速さが少し遅くなる。
悠斗は前を向きながら、彼女が好きなものを尋ねた。店で見るだけでも楽しいものは何か。琴音は紙の小物や、使い道のはっきりした道具が好きだと言った。
「だから、手帳?」
「それもある。書いて終わりではなく、使えるから」
「今日の紙も使えた?」
「大事なところは。予算と帰る時刻は、変わっていない」
「じゃあ、成功だ」
琴音は少し考え、うなずいた。
「うん。成功」
その答えに悠斗は安心した。予定が崩れたことを笑いたいのではなかった。準備してくれた彼女も、それを変えた二人も、どちらもよかったと思いたかった。
書店では、二人が別々の棚へ行く時間もあった。悠斗が1冊選んで戻ると、琴音は雑誌の前で待っていた。
「見つかった?」
「うん。琴音は?」
「今日は、買わない。でも、面白い記事があった」
「何の話?」
彼女は歩きながら説明した。必要な情報を手に入れる以外にも、知らなかったことを見つけるのは楽しいらしい。
悠斗は、彼女が自分の好きな場所を少し楽しむようになったことが嬉しかった。そして彼も、彼女が立ち止まった棚を覚えておきたかった。
雑貨店では、琴音が小さな栞を見つけた。
色の違う2つを並べ、どちらがよいか迷っている。悠斗へ1つを見せ、こちらはどうかと聞いた。
「俺なら、そっちかな」
「では、こちらは悠斗に」
「え」
「今日、予定を一緒に考えてくれたから」
悠斗は戸惑い、それから隣の色を手に取った。
「じゃあ、こっちは俺が琴音に。今日の予定を作ってくれたから」
彼女は少し笑った。
「同じ交換になった」
「違う色だから、分かるよ」
二人はそれぞれ会計を済ませ、店の外で袋を交換した。小さなものだったが、悠斗はすぐに鞄の本へ挟みたくなった。
「これで、今日のこと思い出すね」
彼が言うと、琴音はうなずいた。
「最初の店が混んでいたことも」
「そこも含めて?」
「うん。その後、二人で選んだことも」
悠斗は彼女の手を取った。今度は彼女が先に指を重ね、歩き始めた。
帰る時刻は、予定どおりだった。
駅の前で、琴音は紙を出し、折り目を整えた。
「次も、予定は作っていい?」
彼女が尋ねる。
「もちろん。俺も、行きたいところを言う」
「うん。二人で変更できる形にする」
「それ、いいね」
悠斗は今日がデートだったか、もう確認しなかった。恋人として会いたいから来て、一緒にいる時間を選んだ。それで十分だった。
別れる前に、琴音が彼の名前を呼んだ。
「悠斗、今日は楽しかった」
「俺も。次も、楽しみ」
彼女はうなずいた。
改札の手前で手は離れたが、鞄の中には彼女が選んだ色の栞があった。
予定外の道も、待った時間も、同じ1日の中に残った。




