第23話 台本のない明日
告白の原稿に、見出しをつけたところで、悠斗はペンを置いた。
導入。伝えたいこと。相手の返事。
最後の項目を見て、彼は一人で笑った。返事まで用意してどうするのだろう。琴音は台本に合わせて答える相手ではない。
9月、夏休みの終わりが近づいていた。帰省や勤務が重なり、8月に話そうと決めた日は、琴音の帰省が延びて見送りになった。連絡や台本の確認は続けたが、大事な話は帰ってから直接しようと二人で決めていた。番組は事前に収録した分を使い、明日は久しぶりに二人で収録する。
その後に話したいと、もう一度、時刻まで決めて誘うつもりだった。
彼は紙の見出しを消し、琴音の名前だけを残した。
好きだと伝えたい。それは、6月の終わりに気づいてから変わらない。
だがその後、相手のためと思って一方的に決め、彼女の気持ちを聞かなかった。話し合ったことで、伝えるのは相手を動かすためでなく、自分の意思を知ってもらうためだと少し分かった。
それでも、怖さはなくならなかった。
琴音が同じ気持ちでいるとは限らない。笑って話せることも、展示へ一緒に行ったことも、よい友達だからで説明できる。
悠斗は携帯を持ち、彼女の返信を読み返そうとしてやめた。そこから成功の証拠を探しても、彼女に聞く前の想像が増えるだけだった。
送る文は、短くした。
『明日の収録の後、少し時間を取ってもらえる? 前に話したいと言った、個人的な話をしたい』
自分が取れる時間も添え、送信した。
返事は、10分ほど後に届いた。
『大丈夫。私も、明日は話したい。収録が終わってからでいい?』
悠斗は画面を読み、了承を返した。
明日、話す。
彼は紙へそう書いた。返事の候補は、一つも足さなかった。
午後、悠斗は陽介と大学近くで会った。夏休みの課題について資料を渡す用事だったが、彼が普段より落ち着かないので、陽介は渡された紙を確かめた。
「重要なページ、抜けてる?」
「いや。全部ある」
「じゃあ、お前のほうだな」
悠斗は鞄を持ち直した。琴音の気持ちは話さず、自分が明日告白するつもりだとだけ伝えた。
陽介は驚かなかった。
「そうか」
「もっと、何か言うかと思った」
「俺が言ったら、やめるのか」
「やめない」
「なら、それでいいだろ」
悠斗は少し笑った。正しい選択だと誰かに言ってもらいたかったのかもしれない。だが、自分が決めることだと確かめるほうが、今は役に立った。
「言い方、何度も考えたんだけど」
「長くなった?」
「うん」
「お前、相手の分まで断る理由を言うからな」
悠斗は返事を止めた。
もし迷惑なら、今までどおりでいいから。返事は何でもいいから。そういう前置きを、確かに考えていた。
返事を急がせないことと、自分の希望まで先に取り消すことは違う。
「付き合いたいって、ちゃんと言う」
「うん」
「結果がどうでも、相手の返事を聞く」
「それは、本人に言えよ」
陽介は笑い、紙を鞄へ入れた。
彼は告白が成功するとは言わなかった。琴音なら同じ気持ちだろうとも、言わなかった。
悠斗には、その距離がありがたかった。
夕方、部室へ資料を置きに行くと、菜月と琴音が入口の近くにいた。菜月は夏休みに読んだ本を返し、これから帰るところらしい。
悠斗が挨拶をすると、琴音は少し背筋を伸ばした。
「明日の準備?」
「うん。紙だけ置いておこうと思って」
「私も、台本は置いた」
「ありがとう」
3人で短く話し、菜月が先に階段へ向かった。悠斗は彼女に何かを確かめたいとは思わなかった。琴音の友人が知っていることと、自分が本人から聞くことは違う。
部室には他の部員もいて、二人はそれぞれの机へ資料を置いた。
琴音は手帳へ何かを書き、すぐに閉じた。悠斗が近づくと、彼女はペンを鞄へ入れた。
「明日、収録の後だよね」
「うん。大丈夫?」
「大丈夫」
彼女は今度、その一言で終わらせなかった。
「時間を、取ってある」
悠斗はうなずいた。
「ありがとう。俺も、ちゃんと話す」
琴音は彼を見た。すぐに返事をせず、それから短く言った。
「私も」
彼はその言葉を、自分の望む意味へ決めつけないようにした。それでも、明日を避けていないことは分かる。それだけで、息が少ししやすくなった。
家に戻ると、悠斗はまた紙を広げた。
書いた言葉を声に出してみる。最初のものは、琴音と出会ってからの出来事を全部説明していた。試験収録、書店、傘、喫茶店。話しているうちに、自分が思い出を順番に読み上げているのだと気づいた。
大事な出来事ではある。けれど、何がしたいのかが最後まで出てこない。
彼は長い段落を一度線で囲み、別の紙へ短く書いた。
琴音が好きだ。恋人として、一緒にいたい。
読むと、驚くほど短かった。
その短さが、逃げ道をなくすようで怖かった。だが相手に分かる形で、自分の希望を伝えるなら、その1行が必要だった。
彼は続けて、付き合ってほしい、と書いた。
明日、それを言う。琴音が考えて返す言葉を、途中で埋めない。もし同じ気持ちでなくても、その返事を、自分に都合よく直さない。
彼は原稿を畳んだが、鞄には入れなかった。
代わりに、明日使う台本をもう一度確認した。相談した人の話は、自分たちの気持ちを伝えるための道具ではない。どの回答が自分の状況に重なっても、向ける相手を取り違えないようにしたかった。
1箇所、説明が曖昧なところを見つけ、琴音へ修正案だけ送った。返ってきたのも、そこへの意見だけだった。
いつもどおりのやり取りができたことに、彼は少し安心した。大切な話をする日があっても、それまで一緒にしてきた仕事はなくならない。
机の端に置いた原稿へ目を向ける。今度は、書き直さなかった。
夕食の後で明日の時刻を確認し、早く寝ることにした。眠れないかもしれないからと、無理に別の作業を増やすのはやめた。
灯りを消す前に、琴音から短く、おやすみと届いた。
悠斗も同じように返した。何度も画面を開きたくなったが、一度で置いた。
聞きたい返事は、明日、彼女の声で聞く。
覚えるために書いた言葉ではなく、自分の意思を確かめるための言葉だった。
翌日の金曜日、部室にはいつもの機材が並んでいた。
悠斗は予定より早く来たつもりだったが、琴音もすでに席にいた。初めて二人で収録した日のように、台本が二部そろっている。
「今日、少し緊張してる」
悠斗は先に伝えた。
琴音はペンを止め、それからうなずいた。
「私も」
「収録、できそう?」
「うん。台本は、確認したから」
「俺も見た。いつもどおり、やろう」
彼女は小さく笑った。
「いつもどおりが、難しい日もあるね」
「あるね」
二人はそれ以上、理由を説明しなかった。
白石が機材を確かめ、今夜公開する別の回の予約も問題ないと報告した。今日録る回は翌週分なので、収録した瞬間に誰かへ届くことはない。
悠斗はその当たり前の仕組みを確かめ、マイクの前へ座った。
相談への回答は、普段どおり進めた。返事に詰まった箇所は録り直し、琴音が説明を言い換えたところは印をつける。
自分たちの大切な話が後に控えていても、届いた相談を雑に扱いたくなかった。
締めの言葉まで録り、白石が音声を保存した。
必要な編集の確認を終える頃には、他の部員が少しずつ帰っていった。白石も機材を片付け、自分の作業を持って部室を出た。
悠斗は彼を見送り、ブースの録音が止まっていることを確認した。琴音は台本を鞄へしまっていた。
廊下の声が遠くなり、二人だけになった。
悠斗は椅子から立ち上がった。
「琴音」
彼女が手を止め、顔を上げた。
もう、長い前置きは要らなかった。
「少し、話してもいい?」
琴音は彼のほうへ向き直った。
「うん」
彼女の前には、もう台本がなかった。




