第22話 マイクの外の言葉
「相談に答える側の、正解はあるんですか」
理央の問いに、悠斗は持っていた台本を下ろした。
8月の部室は、講義のある時期より人が少ない。窓の外では蝉が鳴き、冷房の風が机の端の紙を揺らしていた。
今日は通常の相談回とは別に、番組を作るとき何を大切にしているかを話す特別回の準備をしている。理央は裏方の手伝いをしながら、進行の組み方を見学していた。
「これを言えば必ずよい答えになる、ってことなら、ないと思う」
悠斗が言うと、琴音も顔を上げた。
「守るルールはある。個人が分かる情報を出さないとか、本人が書いていないことを決めつけないとか」
「ルールを守ったら、正しい?」
「守るだけでは、足りないこともある」
琴音は少し考えた。
「相談した人が何を知りたかったか、分からないまま説明を増やしても、届かないから」
理央はノートへ書いた。悠斗はその様子を見て、自分も最初は相談の答えをちゃんと出さなければと思っていたことを思い出す。
相手の気持ちに寄り添えばよい。具体的な案を出せばよい。どちらも役に立つが、一つだけで全てが済むわけではなかった。
「俺たちも、まだ考えてる途中だよ」
彼が言うと、理央は意外そうに顔を上げた。
「二人とも、迷ってないみたいに聞こえます」
「迷った部分を、分かる形に直して話してるからかな」
「直すのに、時間はかかる」
琴音が付け加えた。悠斗は笑った。今日、先に答えを出したがったのは彼ではなく理央だったが、琴音はその質問も否定しなかった。
特別回には、過去の相談をそのまま並べず、一般的な問いを3つ用意した。
答えを一つに決めない理由。二人の意見が違うときの話し方。番組を始める前と後で変わったこと。
悠斗は最後の問いの前で、ペンを止めた。
変わったことなら、いくつもあった。しかし琴音への好意や、二人の間で起きた衝突を、勝手に番組の材料にするわけにはいかない。
「個人的な出来事を、詳しく話す必要はないよね」
彼が言うと、琴音はうなずいた。
「考え方の変化だけでいいと思う。相談した人のことも、特定できる話にはしない」
「分かった」
二人で公開する範囲を確かめた。話せることを増やすより、話さないものを先に決めることで、かえって言葉が選びやすくなった。
白石がブースの準備を終え、理央は収録の開始時刻をメモした。見学する部分も、本人たちが公開用として話す箇所だけにする。
悠斗は台本を持ってブースへ入った。琴音が隣に座る。
数週間前、同じ場所で一緒にいたのに、相手のしたいことを聞けなかった。今は、マイクを入れる前に一度、彼女へ尋ねられる。
「この流れで、話せそう?」
「うん。久瀬くんは?」
「大丈夫。途中で変えたいと思ったら、止めよう」
琴音はうなずいた。
冒頭は、番組を聞いてくれる人への礼から始めた。
相談を送るには勇気がいること。番組で紹介しなくても、投稿された内容を雑に扱いたくないこと。二人とも専門家として判断する番組ではないこと。
説明が長くならないよう、悠斗が最初に問いを出し、琴音が短く答えた。
「どうして、意見を一つにまとめないんですか」
「人によって、大事にしたいものが違うからです。私にできる方法でも、相談した人には難しい場合があります」
「違う意見があると、迷わせることにならない?」
「迷いをなくすために、相手の選択を代わりに決めるほうが、よいとは限りません」
悠斗はうなずいた。
自分が選んでしまったことを思い出したが、それは口に出さなかった。今は相談者へ向ける話だった。
「俺も、相手の気持ちを受け止めることは大事だと思っています。ただ、受け止めたつもりで、その先を聞かなくなることもあるんだなと気づきました」
琴音がこちらを見る。
「相手が何をしたいかは、聞かないと分からない。自分が何をしたいかも、黙っていたら伝わらないんですよね」
彼は続けた。
琴音は短くうなずき、手元の台本から目を離した。
「私も、状況を整理することは、今も大事だと思っています。でも、整理できてからでないと話してはいけない、と考える必要はないのかもしれません」
「途中でも?」
「うん。分からない気持ちを、分からないまま伝えることで、一緒に考えられる場合もあるので」
悠斗は彼女の声を聞いた。
「伝えないままにすることが、一番合理的とは限らない」
琴音はそう言い、少しだけ笑った。
悠斗は返事をしようとしたが、言葉がすぐには出なかった。彼女が話しているのは番組の方針だった。けれど自分の中の、まだ伝えていない気持ちにも届いた。
白石が窓の向こうで小さく手を動かした。悠斗は顔を戻し、まとめへ進んだ。
締めの言葉を言い終えると、録音が止まった。
「その沈黙は、編集で切りますか」
白石が尋ねる。
「どこ?」
悠斗が聞き返すのと重なって、琴音が言った。
「切らなくていい」
二人は互いを見て、それから笑った。白石も少し笑って、考える間として残すとメモした。
編集の席で、悠斗は琴音の最後の発言をもう一度聞いた。
伝えないままにすることが、一番合理的とは限らない。
気持ちを隠すほうが安全だと思っていた。だが隠したことで、彼女は話したくないのかもしれないと不安になった。好きだと言わずにいることにも、何も起きないという保証はない。
ただ、番組の言葉を彼女への告白に見立てて、分かってもらおうとは思わなかった。
自分が言わなければいけない相手は、今、隣にいる。
白石が別の作業へ移り、理央も見学のメモをまとめに席を離れた。悠斗は台本を閉じ、琴音へ向いた。
「琴音、個人的に話したいことがある」
彼女の手が止まった。
「今?」
悠斗は部室を見回した。録音は止まっているが、他の部員はまだいる。彼女が答えを考えるのにも、落ち着かない場所だろう。
「今すぐでなくていい。改めて、二人で時間を取ってもらいたい」
琴音は彼を見たまま、うなずいた。
「分かった。予定を見よう」
「うん」
彼女は手帳を開いた。夏休みの用事や帰省の予定があり、直近ではまとまった時間が取りにくい。悠斗にも勤務がある。
二人はいつ会えるかを確認し、無理に今日へ押し込まないことにした。話すことがなくなったのではない。話す時間を、ちゃんと選ぶことにしたのだった。
喫茶店では、番組の収録で言えたことと、言い足したかったことを整理した。
琴音は、合理的という言葉が冷たい印象になっていないか気になったと言った。悠斗は、彼女が相談者へ選ぶ余地を残そうとしているのは伝わると答えた。
「俺は、そういう考え方を聞けてよかった」
彼が言うと、琴音はカップを置いた。
「私も、久瀬くんが自分の希望を話すことに触れたのは、よかったと思う」
「番組で言うだけにならないようにしたいね」
彼は少し笑った。琴音はすぐに笑わず、彼の顔を見てからうなずいた。
「うん」
その返事の後に、普段より長い静けさがあった。
悠斗はその間を急いで埋めなかった。彼女も何か考えているのだろうと、今は思えた。
店を出る前、次にゆっくり会える日の候補をもう一度確認した。時刻は、まだ確定していない。だが彼女は手帳に印を入れ、彼も予定へ残した。
悠斗は帰宅してから、告白の文章を考え始めた。
誰かへ役立つ一般的な答えではなく、琴音だけへ伝えたい言葉だった。
彼は番組用のノートを閉じ、別の紙を1枚取った。いつものように相談の題名を書く場所へ、何も書かなかった。答えを出してあげる相手ではなく、返事を聞きたい相手がいる。その違いを、まず紙の使い方から覚えておきたかった。




