第21話 二人で決める
喫茶店の扉を開ける前、悠斗は携帯を鞄へしまった。
覚えた文を見直すために出していたが、もう必要ないと思った。言い間違えても、足りなければ言い直せばよい。相手の返事を聞かずに読み終えるのは、今日したいことではない。
琴音は窓際の席にいた。悠斗を見ると、小さく手を上げる。
「待った?」
「5分くらい。私が早かっただけ」
「ありがとう。今日は、来てくれて」
彼は向かいへ座った。
注文を済ませると、二人の間に何もなくなった。普段なら台本や手帳がある場所に、店の小さな砂糖入れだけが置かれている。
悠斗は琴音の目を見た。
「予定を変える前に、琴音の意思を聞かなかった。台本も、自分がやったほうがいいと決めて、担当を進めた。ごめん」
彼女は黙って聞いた。
「忙しそうに見えて、楽になってほしかったのは本当。でも、それで何をしたいかまで決めてよかったわけじゃない」
「うん」
琴音は返事をして、カップが運ばれてくるのを待った。店員が去ってから、彼女はゆっくり口を開いた。
「手伝ってくれたことが、嫌だったわけではない」
「うん」
「でも、どこをお願いするかは、話したかった。私も番組を作りたいし、自分でできることまでなくなると、何をするために一緒にいるのか分からなくなる」
悠斗は指を組みかけ、ほどいた。
「役に立とうとして、琴音の役割を減らしてた」
「そういうふうに、感じた」
彼女は断定せず、自分にどう見えたかを伝えた。その慎重さを、彼は今度はちゃんと聞けた。
「反省会も、聞けばよかった」
悠斗が言うと、琴音は目を伏せた。
「私は、行きたかった」
短い言葉だった。彼はその後を待った。
「課題はあったけど、30分くらい話してから帰る予定にしていた。疲れていても、一緒に話す時間まで休みたかったわけではない」
「……うん」
「でも、そのことを言わずに、分かったと返したのは私だから。久瀬くんが、全部分かるはずもなかった」
琴音はカップの取っ手に触れ、まだ持ち上げなかった。
「制作の段取りの話ばかりしたけど、本当は寂しかった」
悠斗は顔を上げた。
彼女は視線をそらさず、続けた。
「私と話したくなくなったのかもしれないと思った。忙しいからではなくて、私が何か、話しにくいことをしたのかと」
「違う」
悠斗は思わず言った。それから、言葉を重ねすぎないよう一度息をついた。
「話したかった。俺も、反省会へ行きたかった」
琴音の手が取っ手から離れた。
「でも、俺が会いたいからって、琴音の休む時間を使ったらいけないと思って。それを聞いたら、気を遣っていいと言ってくれるかもしれないし」
「だから、聞かなかった?」
「うん」
彼女は少し黙り、眉を寄せた。
「断るかどうかも、私が決めることだよ」
「そうだね」
「気を遣う場合もあると思う。でも、毎回そうだと決められたら、本当に一緒にいたいと言っても、信じてもらえなくなる」
悠斗はその言葉をゆっくり受け止めた。
相手に負担をかけないためだと考えながら、彼女の返事を信じることも避けていた。自分が一番安全だと思う選択へ、二人を一緒に動かしていた。
「琴音が来たいと言ったら、その返事を受け取る。難しいなら、難しいと言ってもらう。そういうふうにしたい」
彼女はうなずいた。
「私も、平気ではないときに大丈夫だけで終わらせない。話したいときは、そう言う」
悠斗はカップを持った。まだ温かかった。随分長く話した気がしたが、店の時計は少ししか進んでいなかった。
これからの分担を、二人で改めて決めた。
琴音の試験前の作業は少し減らす。ただし、相談文を公開用に整理する部分は、彼女が続ける。悠斗は候補を先に読み、疑問点をまとめて渡す。変更したいときは、決める前に聞く。
「急に機材の予定が変わったら?」
悠斗が尋ねた。
「まず、候補の時刻を教えて。今すぐ返事が必要なら、その期限も」
「分かった。返事ができない場合は?」
「勝手に確定せず、藤堂先輩へ少し待てるか聞く。二人とも無理なら、別の方法を考える」
手帳を開こうとした琴音は、途中で笑った。
「今日は、会議のつもりではなかったけど」
「でも、決まったことは覚えておきたいね」
「うん。1行だけ書く」
彼女は手帳へ、変更は相談してから、と記した。悠斗も携帯へ入れた。相手を監視するためでなく、自分が迷ったときに戻れる約束だった。
その後、琴音は手帳を閉じた。
「反省会は、続けたい」
「俺も」
「課題が多い日は、短くしたいと言う。休みたい日は、やめたいと言う」
「うん。俺も、長く話したい日は、そう言う」
琴音は小さく笑った。
「今、何か話したい?」
悠斗は彼女を見た。伝えたいことは一つ、とても大きなものがある。しかし今日は、そのために呼び出したのではない。
何も言わずに先へ延ばすのとも違う。まず今、自分が選べることを選びたかった。
「まだ、一緒にいたい」
彼は答えた。
「時間、大丈夫?」
「うん。今日は、もう少し取ってある」
彼女は時計を見ずに言った。
悠斗はほっとして、背もたれへ少し体を預けた。謝るために来たはずなのに、相手の希望を聞けたことが、一番大きな変化になっていた。
お代わりを頼むことになり、二人はメニューを開いた。
「次、冷たいのにする?」
悠斗が聞くと、琴音は首を振った。
「温かいほうが、長く飲める」
「冷たいのも、氷があるから長いよ」
「最後が薄くなる」
「そこも含めて飲み物じゃない?」
「最初の味が、好きなのに?」
悠斗は少し笑った。
「また、飲み物で意見が違う」
「ここは、同じにしなくていいでしょ」
「うん。そうだね」
彼は冷たいコーヒー、琴音は温かい紅茶を頼んだ。さっきまで真剣な話をしていた机に、違う形のカップが並ぶ。
違うままでも、何を望んでいるか聞けるようになった。そのことを、悠斗はカップを見ながら思った。
琴音は、新刊の話を聞きたいと言った。先日、窓の前で帰ろうと言われた日に、渡そうとしていたのは本屋の小さな案内だったらしい。
「あの日、少しだけ寄ってもよかった」
「聞けばよかったね」
「うん。次は、寄りたいと言う」
悠斗は新刊について、まだ読んでいない部分まで勝手に説明しないよう気をつけながら話した。琴音は、最初の紹介だけで十分面白そうだと言った。
彼女も試験が終わった後に読みたい本を挙げた。二人で書店へ行く予定が、一つ決まった。
番組の反省は、ほとんどしていなかった。
店を出る前、悠斗は今日の支払いを全部持とうとしかけた。謝罪のつもりでそうしようと思ったが、琴音が自分の分を出すのを見て、手を止めた。
「今日は、それぞれでいい?」
彼が聞くと、彼女はうなずいた。
「うん。話すために、二人で来たから」
悠斗はその返事を受け取った。
外へ出ると、夕方の風が少し涼しかった。二人はいつもの角まで並んで歩いた。
「久瀬くん、話す時間を作ってくれて、ありがとう」
琴音が言った。
「来てくれて、ありがとう」
彼も返した。
互いの謝罪だけで終わらず、次に何をするかまで決められた。まだ上手にはできないかもしれない。それでも、うまくいかなければ聞き直す方法がある。
別れる前、悠斗は次の反省会を楽しみにしていると伝えた。
琴音は「私も」と答えた。
その二文字を疑わず受け取ることから、彼は始めるつもりだった。
帰宅してから送ったのは、決まった分担の確認と、今日は話せてよかったという1行だった。琴音からも同じ気持ちが返り、次の収録の日付が続いた。予定が、また二人の返事で決まっていく。




