第2話 会話は試験ではありません
「それでは、最近関心を持っていることを教えてください」
早瀬琴音はマイクの向こうで、まっすぐ悠斗を見た。
「……これは、好きな人との会話例だよね?」
「そう。回答をどうぞ」
「御番組の、相談方針に共感しまして」
ブースの外から白石の笑い声が聞こえた。琴音は台本を伏せた。
「採用面接みたいになっている」
「俺も今、落ちた気がした」
初回配信へ向けた追加収録だった。試験回の内容を見直したうえで、もう1通、短い相談を取り上げることになっていた。好きな人と話そうとすると緊張し、何を言えばよいか分からなくなる、というものだ。
相談者の学年や相手の所属は、公開用の文章から除いてある。小宮千紗が確認した同意の欄にも問題はなかった。琴音はその準備を済ませ、具体的な会話例を持ってきたのだが、例が具体的であるほど、悠斗の背筋が伸びた。
「質問に問題がある?」
「関心を持っていること、って、普段あまり聞かないかな」
「では、最近何をしている?」
「取調べの入口になった」
琴音がペンを置く。
「自然に話すの、難しいね」
その言い方がおかしくて悠斗は笑いかけたが、彼女が本気で考えていると気づき、笑いを引っ込めた。
台本には、共通の講義、昼食、休日の予定、好きなもの、という項目がある。話すときに困らないように、どこからでも会話を始められる形にしてくれたのだろう。
「俺は、その場で思ったことを聞けばいいと思ってたんだけど」
「その場で、何も思い浮かばなくなる人への相談でしょ」
「そうだね」
彼はあっさり引き下がった。初対面の学生と話すのは苦ではない。それを、できない人もやればいい、と言い換えるだけでは役に立たない。
「準備しておくと安心できるのは、本当だと思う」
琴音は、伏せた台本を戻した。
「ただ、これを順番に全部聞かなくてもいいんじゃないかな」
「全部は聞かないよ」
「一問目の圧が、全部聞きそうだった」
今度は琴音も少し笑った。ブースの窓に、白石が丸の印を書いた紙を当てた。何の合格かは分からない。
休憩中、悠斗は自動販売機からお茶を買って戻った。琴音はノートを広げ、さっきの会話例を書き換えていた。
「早瀬さん、お茶でよかった?」
「ありがとう。いくらだった?」
「140円」
彼女は小銭入れを開き、きっちり金額を机に置いた。悠斗が手元を見ると、1枚だけ5円玉が交じっている。
「これ、135円だ」
「え」
琴音は硬貨を並べ直し、5円玉と10円玉を交換した。
「会話の構成を考えながら、お金を数えるべきではなかった」
「同時にすると、どっちかに5円足りなくなるんだね」
「会話に5円は使わない」
「今、かなり自然に話してたよ」
彼女の指がペットボトルのふたで止まった。
「今のは、用事があったから」
「じゃあ最初は、用事から話してもいいのかな。好きな人だからって、特別な話題を探さなくても」
琴音は台本へ視線を落としたあと、ペンを取った。
「共通の講義の提出日を確かめる、とか」
「うん。その後、課題進んだ? って聞く」
「相手が急いでいたら、そこで終えていい」
「話せたのに短かった、って失敗扱いしなくていいね」
琴音が余白に1行足した。会話は試験ではない、と書かれているのが見えて、悠斗はさっきの面接を思い出した。
「それ、読んでほしい」
「久瀬くんが読んだほうが自然じゃない?」
「早瀬さんが言うから、いいんだと思う」
琴音は彼を見てから、線を1本引いた。削除ではなく、読む箇所の印だった。
収録を再開すると、最初の実演よりずっと短い会話になった。
「今日の課題、もう出した?」
「まだ。引用する本を探してるところ」
「何について?」
悠斗が尋ねると、琴音は一瞬、台本を見た。そこには次の返答がない。
「……今のは、実演の続き?」
「普通に、知りたくなった」
白石が窓の向こうで録音を止める手をためらった。琴音はまばたきをしてから、社会学の授業で扱う身近な集団について、簡単に説明した。
悠斗は放送研究会も一つの集団だろうかと聞いた。琴音は人数だけではなく、役割や目的の共有も見るのだと言う。いつもなら授業の説明を聞くと眠くなる時間帯なのに、例に藤堂の名前が出たところで笑ってしまった。
「会長、目的を共有する前に仕事を持ってくるから」
「だから私たちが、後から確認するんだと思う」
白石が小さく手を上げた。
「あの、その辺りまで使いますか」
「先生に聞いたほうがいい話が増えてしまった」
琴音が言うと、悠斗は首を振った。
「普通に話せるっていう例には、なったよね」
「でも、私の課題の話を公開する必要はない」
「じゃあ、実演は最初の三往復までで」
相談に使う部分と、二人がただ知りたくて交わした話が分かれた。それが少しもったいないようで、悠斗はまだ続きを聞きたいと思った。
最後に琴音は、台本に書き足した1行を読んだ。
「会話は試験ではありません。一度うまく話せなかったからといって、それで相手との関係が決まるわけではないと思います」
悠斗はその後を受けた。
「相手が答えやすいことを一つ聞いて、その返事を聞く。準備してきた話が使えなくても、返事の中に次の話があるかもしれません」
窓の外で白石がうなずいた。
今回は、琴音が手を上げる前に最後まで話せた。
夕方の部室で、千紗が告知の文章を二人に見せた。
「『共感と分析、あなたはどちら派?』ってどう?」
悠斗は琴音を見た。彼女もこちらを見ている。
「派閥に分けないほうがいいかな」
「そうだね。選んでもらう番組ではないから」
二人の返答に、千紗は少し口元を上げた。
「意見がそろうところもあるんだ」
「毎回違ったら、編集が大変です」
琴音が答え、悠斗は笑った。自分が思いつかなかった場所から返事が来る。
公開用の音声は、藤堂も含めて全員が確認してから予約することになった。琴音は確認の時刻を書き、悠斗は翌日の空き時間を伝えた。
予定していた作業が終わると、二人は並んで部室を出た。廊下の掲示板には、新歓の案内がいくつも重なっている。下の階から、理央が見学の礼を言って帰る声が聞こえた。
「今日は、予定していた時間より話した」
階段を下りながら琴音が言った。
悠斗は腕時計を見た。確かに、終了の目安を20分過ぎている。自分が課題の話を聞いたせいだろうか。
「それ、よくないこと?」
「……そうは言ってない」
彼女は手すりから指を離し、階段を1段下りた。
「実演のところは、もう少し短くできると思うけど」
「課題の話は?」
「あれは、収録の外で話せばよかった」
「じゃあ、また聞いてもいい?」
琴音は振り返らずにうなずいた。その動きが小さかったので、悠斗は念のため、横へ並んでからもう一度顔を見た。
「いいよ。ただし、レポートの答えを出してもらうわけではないから」
「それは、早瀬さんのほうが得意そう」
「久瀬くんは、例を出すのが上手だった」
思いがけない評価に、悠斗は返事を探した。さっき番組で話したばかりなのに、準備した言葉もないとやはり困るものだった。
玄関まで来ると、琴音は鞄を持ち直した。
「また話そう。……次の収録のときに」
途中で付け足された言葉を、悠斗は訂正しなかった。
「うん。また話そう」
外では、まだ新しい葉の薄い緑が、夕方の光に透けていた。悠斗は別々の方向へ歩き始めてから、台本どおりでない最後の会話を思い出した。
答えに困ったのに、もう一度同じ話をしたくなっていた。




